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2020年8月25日 (火) 05:14時点における版

われらのうた』は、1941年2月12日から同年12月8日まで日本放送協会・東京中央放送局(JOAK、現・放送センター)より全国放送されたラジオ番組である。

概要

国民歌謡』が終了した1941年2月4日の8日後、本番組が開始した。午後7時50分から午後8時まで、以後30分から50分に[要追加記述]放送された。『国民- 』に代わるものであるが、毎日放送された訳ではなく、曜日も決まっていない不規則な放送であった。

内容も前番組とは違ったものであった。一人の歌手が既製の歌を歌う。その歌は『国民歌謡』であり、小学唱歌であり、軍歌であった。『国民- 』が作られた当初とは全く違ったものであった。いわゆる、普通の歌番組に変わりなかった。

そのうち、不満の声が出だしたのか[独自研究?]、新しい曲を何日か続けて放送するようになった。8月26日放送の『南方の歌』は、この曲だけ5日間放送した。楽譜も売り出した。

しかし、本番組の寿命は短かった。1941年12月8日放送の、杉山美子が歌う『みのり』・『のぞみ』・『まどい』を最後に10ヶ月あまりの短さで幕を閉じた。奇しくもこの日は、米英を相手とする戦争が開戦した日[1]でもあった。

後番組の『国民合唱』が始まるまでは、『国民に告ぐ』という大臣や役人が講演する番組になっている。

放送された曲

放送日 曲名 歌唱者
2月12日 奥田良三
椰子の実
春の唄
2月14日 すめら御国 小森智慧子
埴生の宿
故郷の廃屋
2月15日 利鎌の光 日置静
娘田草船
愛馬進軍歌
2月17日 波岡惣一郎
村の鍛冶屋
雪の進軍
2月18日 太平洋行進曲 灰田勝彦
スキーの歌
荒鷲の歌
2月19日 国民進軍歌 木川靖
軍艦
興亜行進曲
2月20日 手をとり合って 松田トシ
3月23日 大政翼賛の歌 阿部幸次
4月15日 永田絃次郎長門美保
4月30日 山はさけ 日本放送合唱団
5月3日 日本子守唄
5月9日 海の進軍 城多又兵衛
5月21日 海軍記念日の歌 JOBK唱歌隊男声部
5月28日 そうだその意気 伊藤武雄
6月3日 農民歌「国の華」 中村淑子
6月9日 瑞穂踊り 徳山璉
6月20日 歓喜の前進 JOBK唱歌隊男声部
銀輪の歌
6月24日 木の葉銀行 杉山美子
戦捷の大道を
7月16日 婦人愛国の歌(抱いた坊やの) 大毎合唱団女声部
8月7日 機甲団の歌 踏青会
鉄の千人針 関種子
8月19日 職場のうた 日本放送合唱団
8月21日 世紀の若人 林伊佐緒
8月26日 南方の歌 徳山璉
9月17日 空をゆく 日本放送合唱団
9月22日 職場のうた(男子用) 阿部幸次
大漁ぶし
起てよ一億
9月24日 月月火水木金金 水野康考
9月25日 爆撃行 大阪音楽学校生徒
10月3日 銃後奉公の歌 日本放送合唱団
空襲なんぞ恐るべき 柴田睦陸
10月13日 なんだ空襲 徳山璉
誉れの家族の歌 水野康考
10月18日 勇士の子供の歌 JOBK唱歌隊男声部
10月25日 朝だ元気で 日本放送合唱団
僕等の団結
10月27日 伊勢神宮にて
11月18日 アジアの力
11月21日 新穀感謝のうた
収穫
12月8日 みのり 杉山美子
のぞみ
まどい

参考文献

  • 『国民歌謡~ラジオ歌謡大全集解説書』(1990年)

脚注

関連項目