「天涯歌女」の版間の差分
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「'''天涯歌女'''」(てんがいかじょ、ティエン ヤー ゴーァ ヌゥィ、{{ピン音|Tiānyá gēnǚ}})は、[[中国]]の[[楽曲]]。[[1937年]]に[[周璇]]が歌唱した。 |
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== 初出 == |
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2020年8月25日 (火) 05:08時点における版
天涯歌女 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 天涯歌女 |
簡体字: | 天涯歌女 |
拼音: | Tiānyá gēnǚ |
注音符号: | ㄊㄧㄢ ㄧㄚˊ ㄍㄜ ㄋㄩˇ |
発音: | ティエン ヤー ゴーァ ヌゥィ |
日本語読み: | 遥か彼方の歌姫 |
英文: | The Wandering Songstress |
「天涯歌女」(てんがいかじょ、ティエン ヤー ゴーァ ヌゥィ、拼音: )は、中国の楽曲。1937年に周璇が歌唱した。
初出
「天涯歌」とも呼ばれ、中国標準語(普通話)による内容である。日本語対訳は「遥か彼方の歌姫」であり、英題は “The Wandering Songstress” との翻訳表記が一般に知られている[1]。
出典は『街角の天使(原題: 马路天使)』)という映画である。映画は1937年に上映された作品で、作詞は田漢、作曲は賀緑汀が、映画では “小紅” 役の周璇が歌唱した。映画では二回唄われ、あるシーンでは “小紅” と “小陳” が分かれて、建物で窓越しに陳が二胡を弾き、小紅が唄っている。もう一つのシーンでは、小紅が酒楼で小陳に向かって大声で唄い上げ、2番まで唄うと小陳がテーブルを叩いて去っていく。
周璇はこの曲が切掛けで一躍有名になり、最も人気のある女性歌手となり、“金の喉” という美称も与えられることとなった。
本作は非常に多くの歌手にカバーされ、本作を唄うスターたちも少なくなかった。
また本作以外にも、『街角の天使』映画中の「四季歌」も同様に人気を博した。
出所
本作は当初「天涯歌」と呼ばれ、『街角の天使』内でもそのように呼ばれていた。しかし、その後その他の映画の影響のためか「天涯歌女」と呼ばれるようになった[2]。
当初の曲は改編作で、映画の脚本兼監督の袁牧之が探し出したものであった。原曲は当時の中国の歌姫たちが好んで唄っていた「知心客」で、張仰求が制作したものだった。袁牧之は田漢と賀緑汀の両名を見つけ出し、彼らに詞曲を変更させたのである。しかし「知心客」自体も他の曲へと改められ、馬如風の『馬頭調』[3]となったのである。
備考
JASRACに於いては2018年現在、外国作品/出典:PJ (サブ出版者作品届) /作品コード 0E6-1835-5 TIAN YA GE NU として登録[4]。計3名の歌手が「アーティスト」とされており、鄧麗君らが登録されているが、オリジナルの周璇[5]は登録されていない[4]。
出版者は、EMI MUSIC PUBLISHING HONG KONG。日本でのサブ出版[6]はイーエムアイ音楽出版株式会社 ソニー事業部である[4]。
脚注
- ^ 本記事の英語版記事、ページ(項目)名を参照。
- ^ 広東語版での記事タイトルは「天涯歌」。
- ^ ““天涯歌”怎麼變成“天涯歌女”了呢?” [「天涯歌」がなぜ「天涯歌女」へと変わったのか?] (広東語). 交大電物61級 Blog. 痞客邦(Pixnet) (2009年3月16日). 2016年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月29日閲覧。
- ^ a b c JASRAC作品データベース検索サービス J-WID 検索結果
- ^ 周璇の “璇” が日本語オペレーティングシステムで一般表記出来ないため、便宜的に“周 施”と表記・登録されている。
- ^ 音楽出版者が全世界の地域について単独でその活動を行うことは難しいことから、特定地域の出版者と、その地域についての利用開発やプロモーションを任せる契約を結ぶことがある。この場合、作詞者・作曲者から直接権利を取得した音楽出版者はOP(Original Publisher)と呼称し、OPと契約を結び特定地域についての活動を任せられた音楽出版者はSP(Sub Publisher)と呼称する。