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「三遊亭市馬」の版間の差分

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'''三遊亭 市馬'''(さんゆうてい いちば、[[1853年]]または[[1854年]]〔[[嘉永]]6年〕 - [[1907年]][[1月4日]]<ref name="koto">[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%20%E5%B8%82%E9%A6%AC%28%E4%BB%A3%E6%95%B0%E4%B8%8D%E8%A9%B3%29-1671641 三遊亭 市馬(代数不詳)] [[コトバンク]] - 典拠は[[日外アソシエーツ]]『新撰 芸能人物事典 明治~平成』。同資料では1913年生まれの三遊亭市馬の本名を前座名と同じ「岸正'''二'''郎」としている。</ref>)は落語家。本名:味波 文之助<ref name="koto"/>。柳亭市馬(味波庄太郎、[[#初代|下記]])の叔父。[[ニキビ|あばた顔]]で「'''ガンモドキの市馬'''」の異名をとった。
'''三遊亭 市馬'''(さんゆうてい いちば、[[1853年]]または[[1854年]]〔[[嘉永]]6年〕 - [[1907年]][[1月4日]]<ref name="koto">[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%20%E5%B8%82%E9%A6%AC%28%E4%BB%A3%E6%95%B0%E4%B8%8D%E8%A9%B3%29-1671641 三遊亭 市馬(代数不詳)] [[コトバンク]] - 典拠は[[日外アソシエーツ]]『新撰 芸能人物事典 明治~平成』。同資料では1913年生まれの三遊亭市馬の本名を前座名と同じ「岸正'''二'''郎」としている。</ref>)は落語家。本名:味波 文之助<ref name="koto"/>。柳亭市馬(味波庄太郎、[[#初代|下記]])の叔父。[[尋常性痤瘡|あばた顔]]で「'''ガンモドキの市馬'''」の異名をとった。


==経歴・人物==
==経歴・人物==

2020年8月24日 (月) 23:59時点における版

三遊亭 市馬(さんゆうてい いちば)は落語家名跡


三遊亭さんゆうてい 市馬いちば
三遊亭(さんゆうてい) 市馬(いちば)
三遊亭圓馬定紋「高崎扇」
本名 味波 文之助
別名 ガンモドキの市馬
生年月日 不詳年
没年月日 1907年1月4日
師匠 3代目春風亭柳朝
2代目三遊亭圓馬
名跡 1.春風亭右楽
2.三遊亭壽々馬
3.三遊亭市馬
家族 6代目桃川燕国
初代柳亭市馬(甥)

三遊亭 市馬(さんゆうてい いちば、1853年または1854年嘉永6年〕 - 1907年1月4日[1])は落語家。本名:味波 文之助[1]。柳亭市馬(味波庄太郎、下記)の叔父。あばた顔で「ガンモドキの市馬」の異名をとった。

経歴・人物

1870~80年代に柳亭右柳(のちの3代目春風亭柳朝)の門で春風亭右楽を名乗る。入門10年目ごろに2代目三遊亭圓馬の門下に転じ、三遊亭寿々馬に改名。1894年(明治27年)頃、三遊亭市馬に改名[1]。この間の真打昇進時期は不明。

美声を生かし音曲推量節」で人気を取った[1]

墓所は谷中蓮華寺。

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d 三遊亭 市馬(代数不詳) コトバンク - 典拠は日外アソシエーツ『新撰 芸能人物事典 明治~平成』。同資料では1913年生まれの三遊亭市馬の本名を前座名と同じ「岸正郎」としている。