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[[2011年]]9月、安が同年10月の[[ソウル特別市]][[2011年ソウル市長補欠選挙|市長補欠選挙]]に立候補するのではという期待が広がった。無所属である安は、相次ぐ政治的腐敗の告発や政策的失敗によって主流派政党に不満を抱いている層から、一定の支持を得ることができると予想された。安の政治的動機は、2002年の[[盧武鉉]]が先導した[[ポピュリズム]]と近い。結局、安はソウル市長補選に出馬せず、「希望製作所」常任理事の[[朴元淳]](パク・ウォンスン)支持を表明した<ref>{{cite news |title= 世論調査で人気首位の安哲秀氏、ソウル市長選不出馬|author= |newspaper= [[聯合ニュース]](日本語版)|date= 2011-09-06|url= http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/09/06/0200000000AJP20110906003500882.HTML|accessdate=2012-02-15}}</ref>。 |
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10月26日に投票が行われた補選の結果、[[野党]]統一候補となった朴元淳が[[与党]]候補の[[羅卿 |
10月26日に投票が行われた補選の結果、[[野党]]統一候補となった朴元淳が[[与党]]候補の[[羅卿瑗]](ナ・ギョンウォン)を押さえて勝利した<ref>{{cite news |title= ソウル市長に朴元淳氏 「市民が権力に勝った」 |author= |newspaper= 聯合ニュース(日本語版)|date= 2011-10-27|url= http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/10/27/0200000000AJP20111027000100882.HTML|accessdate=2012-02-15}}</ref>。 |
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2012年12月に予定されている[[2012年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]の候補者[[世論調査]]で、ハンナラ党の[[朴槿恵]]を抜いて首位に立ち、野党陣営の有力候補と目されていたが、本人自身は明確な回答を避けていた<ref>{{cite news |title= 大統領選候補の世論調査、安哲秀氏が朴槿恵氏上回る|author= |newspaper= 聯合ニュース(日本語版)|date= 2011-09-07|url= http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/09/07/0200000000AJP20110907000400882.HTML|accessdate=2012-02-25}}</ref>。しかし、2012年2月6日の「安哲秀財団」(仮称)の設立記者会見で「我が社会の発展的変化でどのような役割を果たせばいいのかを考えている。政治もその一つになりうる」と発言し、一歩踏み込んだ発言をした<ref name="example">{{cite news |title= 安哲秀氏「発展的変化に一助」 政界進出余地残す|author= |newspaper= 聯合ニュース(日本語版)|date= 2012-02-06|url= http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2012/02/06/0200000000AJP20120206002100882.HTML|accessdate=2012-02-15}}</ref>。また財団理事長に故・[[金大中]]元[[大統領 (大韓民国)|大統領]]側近で[[平和民主党]]副総裁や総裁権限代行を務めた女性運動家の[[朴英淑]]未来フォーラム理事長を選任したことも、政界から注目されている<ref>{{cite news |title= 格差解消の財団設立 ソウル大学安哲秀教授|author= |newspaper= [[KBSワールドラジオ]]|date= 2012-02-06|url= http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_Dm_detail.htm?No=42452|accessdate=2012-02-15}}</ref><ref>{{cite news |title= 大統領選挙に先に立って“安風”興し?|author= |newspaper= [[韓国速報]]|date= 2012-02-07|url= http://www.worldtimes.co.jp/kansok/kan/seiji/120207-4.html|accessdate=2012-02-15}}</ref>。3月27日、ソウル大学で行われた講演会で社会発展に一定の貢献ができるなら[[大韓民国の政治|政治]]に参加する意志があるとの考えを示し、前回より更に踏み込んだ発言をした。また「仮に政治に参加するとしても、[[保守]]陣営と[[進歩主義 (政治)|進歩]]陣営、どちら一方の論理に頼らないことだけは確かだ」とし、セヌリ党や[[民主統合党]](以下、民主党)といった既成政党とは距離を置く立場も示した<ref>{{cite news |title= 安哲秀教授「社会に貢献できるなら政治も参加できる」|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2012-03-28|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=43091|accessdate= 2012-04-02}}</ref>。 |
2012年12月に予定されている[[2012年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]の候補者[[世論調査]]で、ハンナラ党の[[朴槿恵]]を抜いて首位に立ち、野党陣営の有力候補と目されていたが、本人自身は明確な回答を避けていた<ref>{{cite news |title= 大統領選候補の世論調査、安哲秀氏が朴槿恵氏上回る|author= |newspaper= 聯合ニュース(日本語版)|date= 2011-09-07|url= http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/09/07/0200000000AJP20110907000400882.HTML|accessdate=2012-02-25}}</ref>。しかし、2012年2月6日の「安哲秀財団」(仮称)の設立記者会見で「我が社会の発展的変化でどのような役割を果たせばいいのかを考えている。政治もその一つになりうる」と発言し、一歩踏み込んだ発言をした<ref name="example">{{cite news |title= 安哲秀氏「発展的変化に一助」 政界進出余地残す|author= |newspaper= 聯合ニュース(日本語版)|date= 2012-02-06|url= http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2012/02/06/0200000000AJP20120206002100882.HTML|accessdate=2012-02-15}}</ref>。また財団理事長に故・[[金大中]]元[[大統領 (大韓民国)|大統領]]側近で[[平和民主党]]副総裁や総裁権限代行を務めた女性運動家の[[朴英淑]]未来フォーラム理事長を選任したことも、政界から注目されている<ref>{{cite news |title= 格差解消の財団設立 ソウル大学安哲秀教授|author= |newspaper= [[KBSワールドラジオ]]|date= 2012-02-06|url= http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_Dm_detail.htm?No=42452|accessdate=2012-02-15}}</ref><ref>{{cite news |title= 大統領選挙に先に立って“安風”興し?|author= |newspaper= [[韓国速報]]|date= 2012-02-07|url= http://www.worldtimes.co.jp/kansok/kan/seiji/120207-4.html|accessdate=2012-02-15}}</ref>。3月27日、ソウル大学で行われた講演会で社会発展に一定の貢献ができるなら[[大韓民国の政治|政治]]に参加する意志があるとの考えを示し、前回より更に踏み込んだ発言をした。また「仮に政治に参加するとしても、[[保守]]陣営と[[進歩主義 (政治)|進歩]]陣営、どちら一方の論理に頼らないことだけは確かだ」とし、セヌリ党や[[民主統合党]](以下、民主党)といった既成政党とは距離を置く立場も示した<ref>{{cite news |title= 安哲秀教授「社会に貢献できるなら政治も参加できる」|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2012-03-28|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=43091|accessdate= 2012-04-02}}</ref>。 |
2020年8月24日 (月) 11:54時点における版
安哲秀 안철수 | |
---|---|
安哲秀(KAIST 教授在職時代、2010年) | |
生年月日 | 1962年2月26日(62歳) |
出生地 | 慶尚南道密陽郡(現、密陽市) |
出身校 |
ソウル大学校医科大学(MD、MS、Ph.D.) ペンシルベニア大学 (MSE) |
前職 | 実業家、大学教授、国会議員 |
所属政党 |
(無所属→) (新政治連合→) (新政治民主連合→) (無所属→) (旧国民の党→) (正しい未来党→) (無所属→) 国民の党 |
公式サイト | ahncs.kr |
韓国国会議員 | |
選挙区 | ソウル特別市蘆原区丙選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2013年4月25日 - 2017年4月15日 |
在任期間 | 2014年3月26日 - 2014年7月31日 |
国民の党常任共同代表 | |
在任期間 | 2016年2月2日 - 2016年6月29日 |
国民の党総裁 | |
在任期間 | 2020年2月23日 - 現職 |
安哲秀 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 안철수 |
漢字: | 安哲秀 |
発音: | アン・チョルス |
ローマ字: |
An Cheol-su(2000年式) An Ch'ŏl-su(MR式) |
英語表記: | Ahn Cheol-soo |
安 哲秀(アン・チョルス、안철수、1962年2月26日 - )とは、韓国の政治家、大学教授、実業家。英語名はチャールズ・アン (Charles Ahn)。
1995年にアンラボを創業する[1]。その後政治の世界にも参入し、2014年3月に発足した新政治民主連合の共同代表や[2]2016年2月に結成された国民の党共同代表を歴任し、2020年2月から国民の党総裁を務めている。また、大韓民国大統領選挙にも2回出馬しており、2012年の大統領選挙では有力候補の一人とされつつも[3]途中で出馬を辞退、2017年の大統領選挙では共に民主党候補文在寅に敗れ第3位の得票率となった。
経歴
慶尚南道密陽郡(現、密陽市)で生まれ、小学校から高校まで釜山直轄市(現、釜山広域市)で過ごす。1980年から1991年にかけてソウル大学校で医学の学位(MD、MS、Ph.D.)を取得。1990年1月から2月にかけての短期間、九州大学医学部にも籍を置いていたこともある。ソウル大学校病院、檀国大学校病院に勤務していた時期に個人としてアンチウイルスソフトウェアを研究し、病院を退職後に起業したアンラボは韓国最大のコンピュータセキュリティ企業となる。
1997年にペンシルベニア大学にてMSE、2008年に同大学ウォートン・スクールにてMBAを取得。2005年にポスコの社外取締役、2010年に取締役会議長となる。その外にもソウル大学校融合科学技術大学院(GSCST)院長、アンラボ会長、また同社の社内ベンチャーとして発足し後に別法人となった Noritown Studio の会長も務める。
政治活動
2011年ソウル市長補選
2011年9月、安が同年10月のソウル特別市市長補欠選挙に立候補するのではという期待が広がった。無所属である安は、相次ぐ政治的腐敗の告発や政策的失敗によって主流派政党に不満を抱いている層から、一定の支持を得ることができると予想された。安の政治的動機は、2002年の盧武鉉が先導したポピュリズムと近い。結局、安はソウル市長補選に出馬せず、「希望製作所」常任理事の朴元淳(パク・ウォンスン)支持を表明した[4]。
10月26日に投票が行われた補選の結果、野党統一候補となった朴元淳が与党候補の羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)を押さえて勝利した[5]。
2012年12月に予定されている大統領選挙の候補者世論調査で、ハンナラ党の朴槿恵を抜いて首位に立ち、野党陣営の有力候補と目されていたが、本人自身は明確な回答を避けていた[6]。しかし、2012年2月6日の「安哲秀財団」(仮称)の設立記者会見で「我が社会の発展的変化でどのような役割を果たせばいいのかを考えている。政治もその一つになりうる」と発言し、一歩踏み込んだ発言をした[7]。また財団理事長に故・金大中元大統領側近で平和民主党副総裁や総裁権限代行を務めた女性運動家の朴英淑未来フォーラム理事長を選任したことも、政界から注目されている[8][9]。3月27日、ソウル大学で行われた講演会で社会発展に一定の貢献ができるなら政治に参加する意志があるとの考えを示し、前回より更に踏み込んだ発言をした。また「仮に政治に参加するとしても、保守陣営と進歩陣営、どちら一方の論理に頼らないことだけは確かだ」とし、セヌリ党や民主統合党(以下、民主党)といった既成政党とは距離を置く立場も示した[10]。
2012年大韓民国大統領選挙
2012年7月19日、主要懸案に対する自身の立場を明らかにした著書を発表し、12月19日の大統領選挙への事実上の出馬意向を示した[11]。9月19日、ソウルで記者会見を開き、正式に大統領選挙への出馬表明を行った[12]。一方、最大野党である民主党は9月16日に文在寅を候補として選出しており、支持層が一部で重なっていることから、候補者一本化の可能性が早くから取りざたされていたが、安自身は一本化については態度を明らかにしていなかった。しかし、11月6日に行われた文在寅との会談で、候補者登録前までに候補者を一本化することで合意した[13]。結局、一本化するための手法で文在寅と折り合わなかったため、11月23日に出馬断念を発表した[14]。突然の出馬辞退の背景には、既存政治家との違いをアピールする狙いと、今後の政治活動における基盤作りを意識したものであるとの指摘がされた[15]。
出馬辞退後、しばらくは明確な態度を示さなかったが、選挙戦中盤、文在寅を全面支援する立場を表明した[16][17]。
国会議員再補選出馬
選挙後、しばらくアメリカに滞在していたが、2013年3月、4月末に行われるソウル市蘆原区丙選挙区国会議員再補選に出馬する意向を表明[18]。4月24日に投票が行われた再補選の結果、与党セヌリ党の候補に大差をつけて当選した。2017年の次期大統領選挙をにらみ新党を結成する可能性も取りざたされ、民主党の非主流派を巻き込んだ野党勢力再編の動きと合わせて注目が集まった[19]。
当選後の5月13日には10月末に行われる国会議員再補選に自身に近い人物を多数擁立させる方針を示し[20]、同月22日には自身の政策シンクタンクとなる「政策ネットワーク 明日」(以下、「明日」)の結成を公式宣言した。「明日」について政策専門家だけではなくすべての市民に開かれた組織とすることや、多くの市民団体と連携した活動を進めていくことを明らかにし、理事長に任命された崔章集高麗大学校名誉教授は「新党結成に進むほかは無い」として新党結成について規定事実化した発言をしている[21]。6月19日に行われた「明日」創立記念フォーラムで新党の政治的路線について理事長の崔章集は「進歩的自由主義」を提示し、中道左派に近い姿であることを明らかにした[22][23]。
8月10日に行われた日本軍慰安婦歴史館の開館15周年記念式典における挨拶で日本政府に対して「反省のない国は未来に進めない」として慰安婦への公式謝罪を求めた[24]。
新党「新政治連合」結成へ
9月に入ると、新党結成の際の足場となる「明日」の地方組織整備を全国的に進め、独自勢力化に向けた作業を本格化させた[25]。そして同月16日、出演したニュース番組の中で、来年6月に行われる統一地方選挙(第6回全国同時地方選挙)を前に新党を結成する可能性が高いことを示した上で、他党からの政治家の参加も広く募ることを明らかにした[26]。同月29日、民主党の強固な地盤である湖南地域(光州・全羅道の総称)における「明日」実行委員第1次名簿(68名)を発表[27]。11月10日には全国合計で466名となる実行委員を追加で発表し、先に発表された湖南地域実行委員も含め実行委員は534名となった[28]。
10月11日、一部新聞は安哲秀関係者の発言として、12月に新党創党準備委員会を旗揚げ、来年2月〜3月に新党を結成し、新党に参加する前・現職名簿の公開という新党結成の具体的なロードマップを報じた[29]。しかし安本人は12日、「事実無根」としてこれを否定した[30]。
そして11月28日、国会で行われた記者会見にて「古い枠ではこれ以上何も生み出すことが出来ず、今後は新しい政治勢力が乗り出すしかないとの結論に達した」として政治勢力の結集を表明し、「国民と共にする新政治推進委員会」(以下、新政治推進委員会)の発足を宣言。新党結成時期については具体的な言及はしなかったが、翌2014年6月に行われる統一地方選挙には責任を持って参加することを述べ、統一地方選挙前の結成に含みを持たせた[31]。
2014年1月21日、済州島で行われた記者会見において2月に新党結成準備委員会を発足させ、3月に新党を結成することを表明。6月に行われる統一地方選挙では、ソウル市を初めとする17の広域自治団体の首長選全てに候補者を擁立することを明らかにした[32]。27日、仮名称を「新政治新党」(새정치신당)[33]とし、2月4日から14日までの公募を経て最終的党名を「新政治連合」(새정치연합)に決定した[34]。17日に行われた新政治連合の結党発起人大会で、新党準備委員会の最高意思決定機関となる中央運営委員会の委員長に選出された[35]。
民主党との統合新党「新政治民主連合」結成
3月2日、民主党代表である金ハンギルと共同で記者会見を行い、統一地方選挙前に民主党と新政治連合が統合して新党を結成することで合意したことを表明[36]。同月16日に行われた統合新党・新政治民主連合(略称:新政治連合)の創党発起人大会で結成準備委員会の委員長に選出[37]。同月26日の結党大会にて共同代表に選出されたことにより、昨年4月の補欠選挙から1年足らずで最大野党の党首に就任した[2]。しかし同年7月30日の国会議員再補選で新政治連合が惨敗した責任を取って金ハンギルと共に代表を辞任した[38]。
2015年6月、出演したラジオ番組において17年末に予定されている大統領選挙に出馬する意向を表明した[39]。
新政治民主連合からの離党と新党「国民の党」結成
その後、新政治民主連合の支持率は低迷。安は文在寅代表の辞任と、新代表を選出する党大会の開催を要求したが受け入れられず、12月14日に離党を表明。新党を結成する意向を示した[40]。
2016年1月8日、新党の名称が国民の党であると、発表する[41][42]。
2月2日、結党大会を開き、千正培とともに常任共同代表に就任する[43]。同年4月に行われた第20代総選挙では、全羅道(光州市・全羅北道・全羅南道)で圧勝するなど国民の党を躍進に導き自身も再選[44]を果たしたが、6月には同党の国会議員や幹部が政治資金法違反で取り調べを受けた責任を取る形で代表を辞任した[45]。
2017年韓国大統領選挙出馬
2017年3月19日、崔順実ゲート事件を起因とした疑惑による弾劾で朴槿恵が大統領を罷免された事によって5月に繰り下げて行われる事になった大統領選挙への出馬を公式に宣言した[46]。全羅道を皮切りに行われた国民の党の予備選では他候補に大きく差をつけて連勝を重ね、3月30日に行われた第4選で七割以上の得票を得て圧勝、累計得票率が66%以上となり、事実上の予備選勝利を固める事になった[47]。また支持率も上昇し、30日の予備選直後の世論調査では最有力候補である共に民主党の文在寅に次ぐ、2位となった[48]。
4月4日に行われた最後の予備選挙も含めた計7回の投票の結果、総得票数で75%を獲得して国民の党の正式な大統領候補に選出された[49]。立候補に際し議員を辞職[50]
プログラマー出身でベンチャー企業を大企業に成長させたという経歴を生かし、政府が支援して民間と企業が主導する「第4次産業革命」を掲げた。そのためには教育が重要として教育部を廃止して国家教育委員会で長期教育政策を行うこと、学制改編、老人になるまで国家が教育に責任を持つ生涯学習などを訴えた。科学技術開発の支援も訴えた。また中小企業でも実力があれば大企業と戦って勝てる公正な市場競争が必要として公正取引委員会の改革を訴えた[51]。また出馬前はTHAAD(高高度ミサイル防衛システム)に反対の意思を示していたが、出馬後は容認に転じた[52]。テレビ討論ではその件ついて正義党候補沈相奵から追及された[51]
立候補直後に行われた世論調査では保守層や中道層からも支持を得て支持率を大幅に伸ばし、共に民主党の大統領候補に選出された文在寅に対し誤差範囲内にまで迫る勢いを示した[53]。また一部の世論調査では文在寅を抜いて初めて1位を記録する結果も出た[54]。
しかしテレビ討論が振るわなかったことなどにより、その後支持率は低下していった[55]。文在寅に引き離されるとともに自由韓国党候補洪準杓にも迫られた[56]。
5月9日の投票と翌10日にかけての開票の結果、安の票は699万8342票(同21・41%)にとどまり、1342万3800票(得票率41.08%)を獲得した文在寅、785万2849票(得票率24.03%)を獲得した洪準杓に次ぐ三位に終わった[57]。前年の国会議員選挙では国民の党が共に民主党に圧勝した全羅道(光州市・全羅北道・全羅南道)でも文在寅に大きく引き離されて大敗した。特別市・広域市・道のみならず、市・郡・区単位でも安が1位となった自治体は全国で1つも無かった。安は「国民の選択を謙虚に受け入れたい。変化の熱望に応えるには力があまりに足りなかった。大韓民国が新たな大統領と共に未来に踏み出すことを望む。支持してくださった国民の皆さん、党員、党職者の皆さんにも感謝申し上げる」という敗戦の弁を述べた[58]。
国民の党と正しい政党を統合し新党「正しい未来党」結成
2017年8月27日に再び国民の党の代表となった。国民の党と正しい政党との統合を推進し、2018年2月13日に両党を統合した新党正しい未来党を結成すると、その党員となった。
2018年ソウル市長選挙出馬
2018年6月13日に行われた第7回全国同時地方選挙のソウル市長選挙に正しい未来党の公認候補として立候補したが、得票率19.5%にとどまり、当選した共に民主党の現職市長・朴元淳(得票率52.7%)にダブルスコアの大差をつけられ、さらに、2位の自由韓国党の金文洙(得票率23.3%)の後塵を拝して3位となり惨敗した[59]。
正しい未来党離党と新党「国民の党」結成
2020年に入り正しい未来党が第21代総選挙を見越して民主平和党及び代案新党とそれぞれ合同する動きを見せ始めると、安哲秀は独自の道を模索して1月30日に正しい未来党を離党し[60]、2月23日に支持者と共に中央党結党大会を開いて国民の党の結党を宣言した[61]。
2020年2月後半になってコロナウイルス感染患者が韓国で爆発的に増加すると、医学博士でもある安哲秀は3月1日から政治活動を一時停止し、医師の数が不足している大邱広域市の病院へ赴いて医療活動に従事した[62]。この行動は国民から支持され[63]、国民の党の政党支持率上昇につながった[64]。医療活動は3月15日まで続けられ、同日中に安は2週間の自宅隔離を経た後に選挙活動を再開すると表明した[65]。
2020年4月15日、予定通りに第21代総選挙が実施され、安哲秀率いる国民の党は3議席を獲得して国会第5党となった。ただし、安哲秀本人は総選挙に立候補せず、引き続き一般人のまま国民の党党首を務めることになった。また、安哲秀が離党した正しい未来党は、民生党として総選挙に臨んだものの議席を一つも獲得することができなかった。
慈善活動
2011年11月、自身が所有するアンラボの株式の半分を、低所得層児童の教育のために寄付する意志があると表明した[66]。安は同株式を37.1%所有しており、2011年12月9日の時点で寄付分の株価は2500億ウォン(2億1800万ドル)となる[67]。
2012年1月にはアメリカを訪れ、慈善基金運営に関してビル・ゲイツに意見を求めている[68]。2012年2月6日、「安哲秀財団」の設立記者会見を行った[7]。
著作
1995年以降、10冊を超える著書がある。
脚注
- ^ Ahnlab Founder Dr. Charles Ahn(安ラボ創設者 ドクター安哲秀) Archived 2011年7月22日, at the Wayback Machine.
- ^ a b “巨大野党誕生 安哲秀氏が共同代表に=韓国”. 聨合ニュース. (2014年3月26日) 2014年3月26日閲覧。
- ^ “韓国大統領選:異色カリスマ、安哲秀候補が台風の目”. 毎日新聞. (2012年10月22日). オリジナルの2012年10月22日時点におけるアーカイブ。 2012年11月11日閲覧。
- ^ “世論調査で人気首位の安哲秀氏、ソウル市長選不出馬”. 聯合ニュース(日本語版). (2011年9月6日) 2012年2月15日閲覧。
- ^ “ソウル市長に朴元淳氏 「市民が権力に勝った」”. 聯合ニュース(日本語版). (2011年10月27日) 2012年2月15日閲覧。
- ^ “大統領選候補の世論調査、安哲秀氏が朴槿恵氏上回る”. 聯合ニュース(日本語版). (2011年9月7日) 2012年2月25日閲覧。
- ^ a b “安哲秀氏「発展的変化に一助」 政界進出余地残す”. 聯合ニュース(日本語版). (2012年2月6日) 2012年2月15日閲覧。
- ^ “格差解消の財団設立 ソウル大学安哲秀教授”. KBSワールドラジオ. (2012年2月6日) 2012年2月15日閲覧。
- ^ “大統領選挙に先に立って“安風”興し?”. 韓国速報. (2012年2月7日) 2012年2月15日閲覧。
- ^ “安哲秀教授「社会に貢献できるなら政治も参加できる」”. KBSワールドラジオ. (2012年3月28日) 2012年4月2日閲覧。
- ^ “大統領有力候補の安哲秀氏 事実上出馬表明”. 聯合ニュース(日本語版). (2012年7月19日) 2012年7月19日閲覧。
- ^ “安哲秀氏が立候補表明 無所属、野党と一本化も”. 産経新聞. (2012年9月19日) 2012年9月19日閲覧。
- ^ “単一化に合意した文在寅-安哲秀 "雰囲気良好"”. ハンギョレ(日本語版). (2012年11月6日) 2012年11月11日閲覧。
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外部リンク
党職 | ||
---|---|---|
先代 なし |
新政治連合中央運営委員長 2014年2月17日-3月25日 |
次代 なし 民主党と統合新党結成 |
党職 | ||
先代 なし |
新政治民主連合代表 初代(共同代表):2014年3月26日-7月31日 |
次代 朴映宣 代表職務代行 |
党職 | ||
先代 なし |
国民の党常任共同代表 初代(共同代表):2016年2月2日-2016年6月29日 |
次代 朴智元 非常対策委員長 |
党職 | ||
先代 なし |
国民の党総裁 初代:2020年2月23日- |
次代 現職 |