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「黄夫人」の版間の差分

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== 『三国志』に見える記述 ==
== 『三国志』に見える記述 ==
『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』蜀書諸葛亮伝の註に引く「襄陽記」によると、[[河南郡]]の名士であった[[黄承彦]]が「君は妻を探していると聞いたが、私には娘がいる。金毛で色黒の不美人だが、才知の方は君とお似合いだ」と言い、諸葛亮も承知したので娘を車に乗せて送り届けた。このことは当時の人々の物笑いの種となり、郷里では諺を作って「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」と言ったという。黄承彦は蔡諷([[蔡瑁]]の父)の長女を妻にしており、次女([[蔡夫人]])を後妻に迎えた[[劉表]]とは義理の兄弟である。諸葛亮は黄承彦を介して、劉表とは義理の叔父と甥の間柄となり、劉表の子[[劉キ|劉琦]]・[[劉ソウ|劉琮]]とは義理の従兄弟同士となった。
『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』蜀書諸葛亮伝の註に引く「襄陽記」によると、[[河南郡]]の名士であった[[黄承彦]]が「君は妻を探していると聞いたが、私には娘がいる。金毛で色黒の不美人だが、才知の方は君とお似合いだ」と言い、諸葛亮も承知したので娘を車に乗せて送り届けた。このことは当時の人々の物笑いの種となり、郷里では諺を作って「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」と言ったという。黄承彦は蔡諷([[蔡瑁]]の父)の長女を妻にしており、次女([[蔡夫人]])を後妻に迎えた[[劉表]]とは義理の兄弟である。諸葛亮は黄承彦を介して、劉表とは義理の叔父と甥の間柄となり、劉表の子[[劉キ|劉琦]]・[[劉琮]]とは義理の従兄弟同士となった。


== 史実には見られない逸話 ==
== 史実には見られない逸話 ==

2020年8月24日 (月) 09:29時点における版

黄 夫人(こう ふじん、? - ?)は、中国三国時代蜀漢の人物。諸葛亮の妻。黄氏。「黄月英」(こう げつえい)・「黄婉貞」(こう えんてい)という名も一般的に知られるが、史書に名が残っておらず、実名ではない。後世の創作上の必要から名付けられたものである。

『三国志』に見える記述

三国志』蜀書諸葛亮伝の註に引く「襄陽記」によると、河南郡の名士であった黄承彦が「君は妻を探していると聞いたが、私には娘がいる。金毛で色黒の不美人だが、才知の方は君とお似合いだ」と言い、諸葛亮も承知したので娘を車に乗せて送り届けた。このことは当時の人々の物笑いの種となり、郷里では諺を作って「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」と言ったという。黄承彦は蔡諷(蔡瑁の父)の長女を妻にしており、次女(蔡夫人)を後妻に迎えた劉表とは義理の兄弟である。諸葛亮は黄承彦を介して、劉表とは義理の叔父と甥の間柄となり、劉表の子劉琦劉琮とは義理の従兄弟同士となった。

史実には見られない逸話

民間伝承・講談・戯曲・小説等では様々な逸話が語られている。以下にその代表格を列挙する。

三国志演義

小説『三国志演義』では、才女として名高く、たくさんの知識を夫に伝授している。夫の死後まもなく死去した。また諸葛瞻の実母という設定でもある。

木牛流馬の発明説

南宋の范成大『桂海虞衡志』に見える逸話である。ある日、諸葛亮の家に来客があったためウドンを作ってもてなすことにした。ところが、用意してもいなかったウドンがすぐに出てきたため、不思議に思った諸葛亮が厨房を覗くと、木偶人形達がウドンを作っていたという。また木牛流馬も黄夫人の発明によるものと記載する。

外国人説

金毛色黒であるということから「実は外国人であった」という逸話。つまり黄承彦は実父ではなく、西域からの渡来人を養女にしたという解き明かしである。

美女説

世俗の目を欺くために顔に黒墨を塗っていた等、醜女を装っていただけで本当は美女であったという話。出典は不明だが、これも長く民衆の間で伝えられた説である。木牛流馬の発明説とセットで語られるパターンもある。上記の外国人説と合わせて、美女の外国人とする説もある。

その他

また、こちらも根拠の有無は不明だが、今と昔の美と言うものの価値観に差があり、今の価値観で見ると実は美人だった。と言う俗説もある。

関連項目

  • 孔明のヨメ。 - 若き日の黄夫人を主役とした女性向け四コマ漫画。