「明 (姓)」の版間の差分
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明氏は中国各地に広がったが、特に[[湖北省|湖北]]の[[陽新県|陽新]]には一大支族があり、最盛期には千戸に達して祠堂や祖廟を立てた。明氏の一部は、[[清]]の[[乾隆]]19年([[1754年]])に陽新から移って[[蘄春県]]の漕河に移住した。 |
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=== 著名な人物 === |
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2020年8月24日 (月) 03:15時点における版
明(めい)は、漢姓の一つ。
中国の姓
明 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 明 |
簡体字: | 明 |
拼音: | Míng |
注音符号: | ㄇㄧㄥˊ |
ラテン字: | Ming |
広東語発音: | Ming4 |
上海語発音: | Min1 |
台湾語白話字: | Bêng |
明(めい)は、中国の姓の一つ。
周王室と同じ姫姓である。南宋の鄭樵がまとめた『通志』氏族略では「父王(祖父)の字をもって氏とする」例として挙げられている。同書によれば次の通りに起源が記されている。
晋の献公が虞(姫姓の国)を滅ぼした際に、虞公と百里奚が捕えられた。百里奚はのちに秦国の大夫となり、子の孟明視(名は視、字は孟明。孟明視と呼ばれる)を得た。孟明視の支孫は、祖父の字の「明」の字をとって、氏としたという。
明氏は中国各地に広がったが、特に湖北の陽新には一大支族があり、最盛期には千戸に達して祠堂や祖廟を立てた。明氏の一部は、清の乾隆19年(1754年)に陽新から移って蘄春県の漕河に移住した。
著名な人物
朝鮮の姓
ミョン | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 명 |
漢字: | 明 |
発音: | ミョン |
日本語読み: | めい |
ローマ字: | Myŏng |
英語表記: | Myeong ,Myung, Myoung, Myong |
明(めい、ミョン、朝: 명)は、朝鮮人の姓の一つである。2000年の国勢調査による韓国内での人口は26,746人。
元末に中国で反乱を起こし「夏」を建国した明玉珍の子明昇は、明の朱元璋に降ったのち、高麗に移された。高麗の恭愍王は延安と白川を食邑として与えた。
明昇の末裔は西蜀明氏と呼ばれ、始祖を明玉珍、本貫を西蜀(四川省)としている。その一部の支族は本貫を延安郡とし、延安明氏と称する。西蜀明氏と延安明氏は合同の宗親会を持ち、1986年に『明氏大同譜』を刊行している。
氏族
氏族(地域) | 創始者 | 割合 (%) (2000年) |
---|---|---|
西蜀明氏 | 1362年に四川省に夏を建国した明玉珍 | |
延安明氏 | 1362年に四川省に夏を建国した明玉珍 |
琉球の姓
明(みん)は、琉球王国の士族が持った唐名(からなー)の姓のひとつ(沖縄県の名字参照)。