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福永 泰子(ふくなが やすこ、大正7年(1918年) - 平成18年(2006年)9月11日)は、大正時代から平成初期の女性。嵯峨実勝の三女。母は9代浜口吉右衛門の長女・尚子(ひさこ)。香淳皇后の女官。

略歴

長姉が愛新覚羅溥傑妃である。泰子が福永家に嫁いだ縁で、溥傑・浩夫妻の次女・嫮生は、泰子の夫の姉の子である健治と結婚した。

1971年から1989年にかけて宮内庁侍従職で女官を務める。その後2000年まで香淳皇后に仕えた[1]

2006年9月、88歳で死去。神戸市須磨区の老人ホーム自宅で行われた葬儀の喪主は姪の嫮生が務めた[2]

出典

  1. ^ 毎日新聞2006年9月12日
  2. ^ 福永泰子さん死去/故愛新覚羅溥傑氏夫人の妹