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カンピオーニは[[第二次世界大戦]]中、艦隊司令官として[[カラブリア沖海戦]]を始め[[タラント空襲]]、[[ホワイト作戦]]、[[スパルティヴェント岬沖海戦]]といった数度の海戦を指揮した。だが、その後の戦いでイギリスの輸送船団の妨害に失敗した責任を問われ、40年12月8日に司令官を解任され海軍官房長官の職に戻った<ref name="Marina Militare"/>。カンピオーニの後任には[[アンジェロ・イアキーノ]]が就いた。しかしながら、40年6月から翌7月までの功績として、サヴォイア軍事勲章を授与された<ref name="Stewart, p. 58">Stewart, p. 58.</ref>。 |
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7月15日、[[イタリア領エーゲ海諸島]](現[[ドデカネス諸島]])の[[総督]]に就任した。[[1943年]][[9月8日]]のイタリアの休戦時にカンピオーニは[[ロドス島]]に居た。カンピオーニは[[イタリア社会共和国]]への協力を拒否すると[[ドデカネス諸島戦役]]に巻き込まれた。9月15日、ロドス島の守備隊はドイツ軍に包囲され、カンピオーニは逮捕された<ref name="ABC-CLIO SCHOOLS">[http://www.historyandtheheadlines.abc-clio.com/ContentPages/ContentPage.aspx?entryId=1145110¤tSection=1130224&productid= ABC-CLIO SCHOOLS History and the Headlines: Vanzo, John P., and Gordon E. Hogg, "Campioni, Inigo (1878–1944)."]</ref>。ポーランドの[[ヴィエルコポルスカ県]]にある捕虜収容所に拘留された。1944年1月、カンピオーニの身柄は[[ヴェローナ]]に拘留された<ref name="ABC-CLIO SCHOOLS"/>。 |
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2020年8月19日 (水) 03:28時点における版
イニーゴ・カンピオーニ Inigo Campioni | |
---|---|
生誕 |
1878年11月14日 イタリア王国、ヴィアレッジョ |
死没 |
1944年5月24日(65歳没) イタリア王国、パルマ |
所属組織 | イタリア王国海軍 |
軍歴 | 1893年 - 1944年 |
最終階級 | 大将 |
墓所 | バーリ |
イニーゴ・カンピオーニ(Inigo Campioni, 1878年11月14日 - 1944年5月24日)は、イタリア王国海軍の軍人。最終階級は大将。
カンピオーニは第二次世界大戦間において、イタリア海軍を最も代表する司令官でもあった。
経歴
1893年、リヴォルノのイタリア海軍兵学校に入学し、96年卒業[1] 。98年、正式に少尉に任官され[2]、1905年に大尉[3]。
1911年、装甲巡洋艦アマルフィ乗組員として伊土戦争に参加。
第一次世界大戦では戦艦コンテ・ディ・カブールおよび、「アンドレア・ドリア(en)」に乗艦した。
アドリア海海戦中の16年、カンピオーニは少佐に昇進し駆逐艦「アルディート」艦長に就任する。多くの輸送船団の護衛を務め、17年9月にはアドリア海北部での海戦で武功を上げた。
その後の功績により、武功青銅勲章を授与された。
また、休戦協定成立後の18年12月には、戦功十字章を授与された[3]。翌年、中佐に昇進。26年に大佐。ラ・スペツィアの海軍工廠統監を経てパリで駐在武官となった。
1929年、カンピオーニは重巡洋艦トリエステに第1艦隊参謀長として乗艦し、30年5月から翌年同月までトレントの艦長を務めた[3]。
32年、少将に進級し、34年に上級少将となった。海軍官房長官を経て35年から翌36年まで第5戦隊司令官として第二次エチオピア戦争に参加した[3]。36年、中将[4]に昇進し、38年まで海軍副本部長を務めた。39年、王国海軍における最も有望な提督として[5]、海軍の主力たる第1艦隊司令長官を命ぜられ、旗艦ジュリオ・チェザーレに座乗する。
カンピオーニは第二次世界大戦中、艦隊司令官としてカラブリア沖海戦を始めタラント空襲、ホワイト作戦、スパルティヴェント岬沖海戦といった数度の海戦を指揮した。だが、その後の戦いでイギリスの輸送船団の妨害に失敗した責任を問われ、40年12月8日に司令官を解任され海軍官房長官の職に戻った[3]。カンピオーニの後任にはアンジェロ・イアキーノが就いた。しかしながら、40年6月から翌7月までの功績として、サヴォイア軍事勲章を授与された[6]。
7月15日、イタリア領エーゲ海諸島(現ドデカネス諸島)の総督に就任した。1943年9月8日のイタリアの休戦時にカンピオーニはロドス島に居た。カンピオーニはイタリア社会共和国への協力を拒否するとドデカネス諸島戦役に巻き込まれた。9月15日、ロドス島の守備隊はドイツ軍に包囲され、カンピオーニは逮捕された[7]。ポーランドのヴィエルコポルスカ県にある捕虜収容所に拘留された。1944年1月、カンピオーニの身柄はヴェローナに拘留された[7]。
同年5月24日、カンピオーニはパルマにて銃殺刑となった[3]。
死後の1947年11月、イタリア共和国政府より武功黄金勲章を追贈された[7]。カンピオーニの墓はバーリの軍人墓地にある[6]。
栄典
- 聖マウリッツィオ・ラザロ勲章グランデ・ウッフィチャーレ
- イタリア王冠勲章グランデ・ウッフィチャーレ
- サヴォイア軍事勲章コンメンダトーレ - 1942年1月12日[8]
- 武功黄金勲章 - 1947年12月9日[8]
- 2等戦功十字章
- モーリタニア記念章
- 勤続記念十字章40年章
- 伊土戦争従軍記念章
- 伊墺戦争従軍記念章
- イタリア統一記念章
- 連合国戦勝記念章
脚注
- ^ ABC-CLIO SCHOOLS History and the Headlines: Vanzo, John P., and Gordon E. Hogg, "Campioni, Inigo (1878–1944)".
- ^ Stewart, p. 57
- ^ a b c d e f g Marina Militare: Inigo CAMPIONI, Ammiraglio di Squadra, Medaglia d'oro al Valor Militare alla
- ^ 少将から中将までの英訳はそれぞれrear admiral(少将)、vice admiral(上級少将)、squadron vice admiral(中将)。
- ^ ABC-CLIO SCHOOLS History and the Headlines: Vanzo, John P., and Gordon E. Hogg, "Campioni, Inigo (1878–1944)"
- ^ a b Stewart, p. 58.
- ^ a b c ABC-CLIO SCHOOLS History and the Headlines: Vanzo, John P., and Gordon E. Hogg, "Campioni, Inigo (1878–1944)."
- ^ a b Sito web del Quirinale: dettaglio decorato.
参考文献
- Marina Militare: Inigo CAMPIONI, Ammiraglio di Squadra, Medaglia d'oro al Valor Militare alla
- ABC-CLIO SCHOOLS History and the Headlines: Vanzo, John P., and Gordon E. Hogg, "Campioni, Inigo (1878–1944)"
- Stewart, Walter. Admirals of the World: A Biographical Dictionary, 1500 to the Present. Jefferson, North Carolina: McFarland & Company, Inc., 2009. ISBN 978-0-7864-3809-9.