コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「甕津郡 (黄海南道)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 朝鮮語規範集の改定により発音変更
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 翎羿の改名に伴うリンク修正依頼 (白翎島) - log
46行目: 46行目:
* 1945年11月4日 - 北緯38度線以南の米軍占領地域は[[京畿道]][[甕津郡 (仁川広域市)|甕津郡]]として編成される。
* 1945年11月4日 - 北緯38度線以南の米軍占領地域は[[京畿道]][[甕津郡 (仁川広域市)|甕津郡]]として編成される。
{{see|甕津郡 (仁川広域市)#歴史}}
{{see|甕津郡 (仁川広域市)#歴史}}
* 1950年 - [[朝鮮戦争]]において京畿道甕津郡([[白ニョン島|白翎面]]と[[延坪島|松林面の一部]]を除く)が[[朝鮮民主主義人民共和国]]に占領され、[[黄海道]]'''甕津郡'''に改編。(13面)
* 1950年 - [[朝鮮戦争]]において京畿道甕津郡([[白島|白翎面]]と[[延坪島|松林面の一部]]を除く)が[[朝鮮民主主義人民共和国]]に占領され、[[黄海道]]'''甕津郡'''に改編。(13面)
** 甕津邑が甕津面に降格。
** 甕津邑が甕津面に降格。
* 1952年12月 - 郡面里統廃合により、[[黄海道]]甕津郡東南面・北面・西面・龍泉面および甕津面・興嵋面の各一部、[[碧城郡]]交井面および茄川面の一部地域をもって、'''甕津郡'''を設置。甕津郡に以下の邑・里が成立。(1邑27里)
* 1952年12月 - 郡面里統廃合により、[[黄海道]]甕津郡東南面・北面・西面・龍泉面および甕津面・興嵋面の各一部、[[碧城郡]]交井面および茄川面の一部地域をもって、'''甕津郡'''を設置。甕津郡に以下の邑・里が成立。(1邑27里)

2020年8月18日 (火) 08:33時点における版

甕津郡
位置
各種表記
チョソングル: 옹진군
漢字: 甕津郡
日本語読み仮名: おうしんぐん
片仮名転写: オンジン=グン
ローマ字転写 (MR): Ongjin kun
統計(2008年
面積: 638.69 km2
総人口: 152,878 人
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
下位行政区画: 1邑3区24里
テンプレートを表示

甕津郡(オンジンぐん、옹진군)は朝鮮民主主義人民共和国黄海南道に属する郡。黄海に張出した甕津半島の南部に位置する。

韓国側にも同名の郡がある。

地理

黄海南道の南部に位置し、南と西は海に面している。東に、北東に碧城郡、北に苔灘郡と隣接する。郡域の大部分は北緯38度線以南に位置する。

歴史

現在の甕津郡は1952年に再編されたものである。それまでは黄海道に属して現在のを含み、甕津半島の南部沿岸一帯を管轄した。

北緯38度線以南であった甕津半島とその周辺の島々は、日本の敗戦後アメリカ軍の進駐地域になり、行政上京畿道甕津郡として編成された。朝鮮戦争において甕津半島本土は北朝鮮軍占領した。ただし、当時甕津郡に属していた白島・延坪島などのいくつかの島が大韓民国の統治下に残され、韓国はこれらの島を甕津郡(現在仁川広域市所属)としている。

年表

この節の出典[1]

  • 1018年 - 高麗によって甕津県が置かれた。
  • 1397年 - 朝鮮王朝によって甕津鎮が置かれた。
  • 1895年 - 海州府甕津郡となる。
  • 1896年 - 黄海道甕津郡となる。
  • 1906年 - 海州郡の一部(交井面・茄川面・馬山面)が甕津郡に移管される。
  • 1909年 - を甕津郡に編入。甕津郡が14面を管轄する:東面・西面・南面・北面・龍泉面・龍淵面・茄川面・交井面・邱洲面・鳳峴面・馬山面・富民面・新興面・峨嵋面。
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、黄海道甕津郡の一部(龍淵面の一部)が海州郡に編入。甕津郡に以下の面が成立。(11面)
    • 東南面・西面・北面・龍泉面・龍淵面・茄川面・交井面・鳳邱面・馬山面・富民面・興嵋面
  • 1938年 - 馬山面が甕津邑に昇格。(1邑10面)
  • 1945年8月15日 - 米軍管理下に置かれる。ただし、甕津邑・茄川面・交井面の各一部はソ連軍管理下に置かれる。(南1邑10面、北3面)
  • 1945年11月 - 北緯38度線以北のソ連軍占領地域は碧城郡に編入される。ソ連軍管理下の甕津郡は消滅。(1邑10面)
  • 1945年11月4日 - 北緯38度線以南の米軍占領地域は京畿道甕津郡として編成される。
  • 1950年 - 朝鮮戦争において京畿道甕津郡(白翎面松林面の一部を除く)が朝鮮民主主義人民共和国に占領され、黄海道甕津郡に改編。(13面)
    • 甕津邑が甕津面に降格。
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、黄海道甕津郡東南面・北面・西面・龍泉面および甕津面・興嵋面の各一部、碧城郡交井面および茄川面の一部地域をもって、甕津郡を設置。甕津郡に以下の邑・里が成立。(1邑27里)
    • 甕津邑・桃源里・蘆湖里・冷井里・秀垈里・立石里・長松里・龍湖島里・巡威里・漁化島里・南海里・九谷里・三山里・本営里・蘇江里・解放里・念仏里・銭山里・万珍里・昌麟島里・大機里・龍泉里・諸作里・麒麟島里・西海里・鴎浪里・松月里・陣海里
  • 1954年10月 - 黄海道の分割により、黄海南道甕津郡となる。(1邑25里)
    • 巡威里・漁化島里が黄海南道康翎郡に編入。
  • 1956年9月 - 苔灘郡隠洞里の一部を編入。(1邑26里)
  • 1961年 - 桃源里が甕津邑に編入。(1邑25里)
  • 1967年10月 - 甕津邑・隠洞里・秀垈里の各一部が合併し、甕津労働者区が発足。(1邑1労働者区25里)
  • 1972年 - 九谷里が九谷労働者区に昇格。(1邑2労働者区24里)
  • 1977年 (1邑2労働者区24里)
    • 念仏里が国峯里に改称。
    • 蘇江里が蓮峯里に改称。
  • 1981年6月 - 南海里が南海労働者区に昇格。(1邑3労働者区23里)
  • 1993年12月 - 蘆湖里が院寺里に改称。(1邑3労働者区23里)
  • 1996年7月 - 三山里の一部が分立し、先豊里が発足。(1邑3労働者区24里)

交通

産業

  • 甕津鉱山(

下位行政区域

1945年8月現在で、黄海道甕津郡には以下の1邑10面が所属した。

  • 甕津邑 - 옹진읍【甕津邑】
  • 富民面 - 부민면【富民面】
  • 龍淵面 - 용연면【龍淵面】
  • 鳳邱面 - 봉구면【鳳邱面】
  • 興嵋面 - 흥미면【興嵋面】
  • 東南面 - 동남면【東南面】
  • 北面 - 북면【北面】
  • 西面 - 서면【西面】
  • 龍泉面 - 용천면【龍泉面】
  • 交井面 - 교정면【交井面】
  • 茄川面 - 가천면【茄川面】

日本の敗戦後に進駐した米軍軍政当局は、甕津郡の北緯38度線以南の地域に、長淵郡面、碧城郡東江面・松林面・茄佐面・月禄面・代車面・海南面を編入して京畿道甕津郡とした。このうち、白面と松林面の一部(延坪島)が朝鮮戦争休戦後も韓国の領域に残った。

1952年12月、北朝鮮は甕津面・北面・西面・龍泉面・交井面と茄川面の一部、興嵋面の大部分で甕津面を再編成した。現在は1邑・3労働者区・24里を管轄している。

  • 甕津邑(オンジヌプ)
  • 九谷労働者区(クゴンノドンジャグ)
  • 南海労働者区(ナメロドンジャグ)
  • 甕津労働者区(オンジンノドンジャグ)
  • 鴎浪里(クランニ)
  • 国峯里(ククポンニ)
  • 麒麟島里(キリンドリ)
  • 大機里(テギリ)
  • 冷井里(レンジョンニ)
  • 蓮峯里(リョンボンニ)
  • 龍泉里(リョンチョンニ)
  • 龍湖島里(リョンホドリ)
  • 立石里(リプソンニ)
  • 万珍里(マンジンニ)
  • 本営里(ポニョンニ)
  • 三山里(サムサンニ)
  • 西海里(ソヘリ)
  • 先豊里(ソンプンニ)
  • 松月里(ソンウォルリ)
  • 秀垈里(スデリ)
  • 院寺里(ウォンサリ)
  • 隠洞里(ウンドンニ)
  • 長松里(チャンソンニ)
  • 銭山里(チョンサンニ)
  • 諸作里(チェジャンニ)
  • 陣海里(チネリ)
  • 昌麟島里(チャンニンドリ)
  • 解放里(ヘバンニ)

外部リンク

脚注

関連項目