「文襄敬皇后元氏」の版間の差分
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清河王[[元亶]]の娘として生まれた。穏やかで優しい性格の美女であった。[[北魏]]の[[孝武帝 (北魏)|孝武帝]]のとき、馮翊[[公主]]に封ぜられ、また高澄に嫁いで嫡男の[[高孝琬]]と娘2人をもうけた。 |
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高澄と死別後、[[550年]]に亡夫の弟の[[文宣帝|高洋]](文宣帝)によって北斉が建てられると皇后の号を贈られ、静徳宮に住んだ。高孝琬は河間王に、長女は[[楽安公主 (北斉)|楽安公主]]に、次女も公主に封じられた。 |
2020年8月17日 (月) 14:14時点における版
元氏(げんし、生没年不詳)は、東魏の権臣高澄の妻で、東魏の孝静帝の妹。北斉が建てられ、高澄が文襄帝と追号されるとともに文襄皇后(ぶんじょうこうごう)の号を贈られ、死後に敬皇后(けいこうごう)と諡された。本貫は河南郡洛陽県。
経歴
清河王元亶の娘として生まれた。穏やかで優しい性格の美女であった。北魏の孝武帝のとき、馮翊公主に封ぜられ、また高澄に嫁いで嫡男の高孝琬と娘2人をもうけた。
高澄と死別後、550年に亡夫の弟の高洋(文宣帝)によって北斉が建てられると皇后の号を贈られ、静徳宮に住んだ。高孝琬は河間王に、長女は楽安公主に、次女も公主に封じられた。
555年、精神状態が悪化した文宣帝は元氏の財産を奪い、「我が兄(高澄)は昔、我が妻を犯した。私は今、その仕返しをするのだ」と言って、元氏を犯した。文宣帝は親疏を問わず、高氏の家族の女性たちに目の前で乱交させた。葛を綱にして、魏の安徳公主(清河王元懌の娘で元氏のおば、もと孝武帝の愛人)を馬乗りにさせて人に引かせ、また胡人に命じて辱めさせた。文宣帝は自らそのさまを見せて、臣下たちに示した。