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2020年8月17日 (月) 05:27時点における版
不明 - 紀元前414年 | |
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国姓 | 己姓 |
爵位 | 子 |
国都 | 郯城 |
滅亡原因 | 越により滅亡 |
史書の記載 | 『春秋左氏伝』(始見は宣公四年) |
周朝諸侯国一覧 |
歴史
春秋時代、郯の国君は魯の国君に2回朝拝した。戦国時代の紀元前414年に越によって郯は滅亡した。
関連する記録
- 郯の国君の爵位は子爵、姓氏は己姓。
- 郯の首都は郯城で「碌碡城」としても知られている。当時の君主郯子が外侵への防御のために、城壁を修理するとき、巫術の信仰により、何千もの数の碌碡(らくごく、田畑の土をならすのに用いる)を埋められたことから、郯城の別名となった。
- 郯の祖先は東夷の少昊。
- 郯は小国で、歴史的な記録がないため、その境界を確認することはできない。しかし、郯は強国であった。北は琅琊、南は江辺、東は黄海、西は徐州に接していたと言われる。
- 春秋時代、郯の周辺国家の領域は:
- 郯の首都の遺跡は郯城県の北にあり、敷地の東壁と南壁は平地となり、西と北の壁は部分的に保存されている。壁の底面の幅は40メートル、上部の幅は15メートル、残りの壁の高さは4メートル。周長は4670メートルで、そのうち西と北の壁は1260メートル、東の壁は1370メートル、南の壁は780メートル。
- 郯子が植えた古代のイチョウの木は、樹齢3000年で生きており、高さは41.9メートル、胸囲は8メートル、直径は2.6メートル、樹冠根系の面積は56畝。現在の繁栄していてる(画像→[1])。
- 孔子はかつて弟子たちを連れて郯に行き郯子に会い、虚心に教えを求めた。これが孔子師郯子の由来である。
- 紀元前341年の斉と魏の馬陵の戦いは郯城の附近で発生した。
歴代君主
記載
- 『春秋左氏伝』昭公十七年:郯子来朝,公与之宴。昭子(叔孫婼)問焉,曰:「少皞氏鳥命官,何故也?」郯子曰:「吾祖,我知之。…我高祖少皞摯之立也,鳳鳥適至,故紀于鳥,為鳥師而鳥名:鳳鳥氏,暦正也;玄鳥氏,司分者也;伯趙氏,司至者也;青鳥氏,司啓者也;丹鳥氏,司閉者也。祝鳩氏,司徒也;鴡鳩氏,司馬也;鳲鳩氏,司空也;爽鳩氏,司寇也;鶻鳩氏,司事也。五鳩,鳩民者也。五雉為五工正,得器用,正度量,夷民者也。九扈為九農正,扈民无淫者也。」