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*『絶対の真理 天台 <small>仏教の思想5</small>』([[角川書店]]、1970年)
*『絶対の真理 天台 <small>仏教の思想5</small>』([[角川書店]]、1970年)
*:[[梅原猛]]と共著、[[角川文庫ソフィア]](改訂版)、1996年
*:[[梅原猛]]と共著、[[角川文庫ソフィア]](改訂版)、1996年
*『[[智ギ|智顗]] <small>人物中国の仏教</small>』([[大蔵出版]]、1982年)
*『[[智顗]] <small>人物中国の仏教</small>』([[大蔵出版]]、1982年)
*:新田雅章と共著、序説のみ、新装版1996年
*:新田雅章と共著、序説のみ、新装版1996年
*『法華経 <small>佛典講座</small>』(上・下、大蔵出版、1988-1992年)
*『法華経 <small>佛典講座</small>』(上・下、大蔵出版、1988-1992年)

2020年8月16日 (日) 12:45時点における版

田村 芳朗(たむら よしろう、1921年4月11日 - 1989年3月20日仏教学者法華宗の僧侶。千葉県長生郡長生村浄教寺住職を務めた。東京大学文学部インド哲学仏教学研究室「日本仏教思想講座」を設けた。

経歴

大阪府大阪市生まれ。1943年第三高等学校卒、東京帝国大学文学部梵文学印度哲学入学、12月応召入隊、46年復員、49年卒業、54年大学院(旧制)修了、56年東洋大学文学部助教授、62年「鎌倉新仏教の研究」で東洋大学文学博士。65年教授、70-71年文学部長、72年東大文学部教授、82年定年退官、立正大学仏教学部教授。86年紫綬褒章受章。在任中死去。[1]

本覚思想研究(中世仏教史の主軸だった教義)や、日本仏教史での法華経研究(とりわけ日蓮)の第一人者であった。『法華経』(中公新書)のまえがきで、在学中に学徒出陣により戦場を『法華経』のみを携え、激戦を渡った事が原点であったと回想している。弟子の一人に末木文美士がいる。

晩年には、『岩波仏教辞典』の編纂にも当たった(岩波書店、1989年)。

著書

編書・共著

  • 日本思想大系9 天台本覚論』(多田厚隆・大久保良順・浅井圓道と校注・解説、岩波書店、1973年)
    • 新装版 『原典日本仏教の思想 続2 天台本覚論』(1995年)
  • 『日本の思想4 日蓮集』(編著、筑摩書房、1969年、浅井圓道ほか訳注)
    • 新装版 『日蓮 日本の仏教思想』(1986年)- 主な著作・書簡の対訳
  • 『講座 日蓮』(全5巻、春秋社、坂本日深監修、宮崎英修共編、1972-1973年)
    • 1 日蓮と法華経、2 日蓮の生涯と思想、3 日蓮信仰の歴史、4 日本近代と日蓮主義、5 日蓮語録
  • 『仏教思想史 1 神と仏 源流をさぐる』(平楽寺書店
  • 『仏教思想史 5 仏教内部における対論 日本』(全5巻、1979-1983年)
  • 『日本仏教のこころ 入門日本仏教思想史』 田村圓澄と共編
  • 『日本における生と死の思想  日本人の精神史入門』 源了圓と共編
  • 『生き死にの道をさぐる 日本仏教の生死観』(各・有斐閣、1977年~1980年)
  • 『法華経を生きる』 渡辺宝陽と共編(講談社、1984年)
  • 『日蓮と法華経信仰 よみうりカラームックシリーズ』(読売新聞社、1985年)
  • 思想読本 日蓮』(法蔵館、1987年)
  • 天台神道 神道大系 論説編 3・4』(神道大系編纂会、1990-1993年)- 末木らとの共編
    ※以上は編者代表、他にも多くの編著・共著に参加している。
  • 『絶対の真理 天台 仏教の思想5』(角川書店、1970年)
    梅原猛と共著、角川文庫ソフィア(改訂版)、1996年
  • 智顗 人物中国の仏教』(大蔵出版、1982年)
    新田雅章と共著、序説のみ、新装版1996年
  • 『法華経 佛典講座』(上・下、大蔵出版、1988-1992年)
    藤井教公訳著、上巻序説のみ担当、新装版2001年
  • 『仏教入門 読書マップ』(筑摩書房、1981年)- 金岡秀友柳田聖山との鼎談

論文

記念論集

  • 『田村芳朗博士還暦記念論集 仏教教理の研究』(春秋社 1982年)-自身の論考と年譜・著作目録を記載。

  1. ^ 「田村芳朗先生年譜・著述論文目録 (田村芳朗先生追悼号) 『大崎学報』1989-11