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*王某(次男) |
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2020年8月16日 (日) 07:20時点における版
王 秉(おう へい、生没年不詳)は、中国の西魏から隋にかけての武人。『北史』では避諱により諱を康と書かれる。本貫は太原郡祁県。
経歴
王思政の子として生まれた。549年(大統15年)、父が潁川で敗れて東魏に降伏したが、王秉は西魏に残った。父の太原公の爵位を嗣ぎ、驃騎大将軍・侍中・開府儀同三司の位を受けた。550年(大統16年)、東征に参加し、使持節・大都督の任を加えられ、父の旧部下の兵士を配属された。553年(廃帝2年)、尉遅迥の下で蜀を攻撃し、天水郡に駐屯した。ほどなく拓王氏の姓を賜り、敷州刺史となった。560年(武成2年)、匠師中大夫に任じられ、載師中大夫に転じた。562年(保定2年)、安州総管に任じられた。571年(天和6年)、柱国に上った。575年(建徳4年)、襄州総管に転じた。隋代に入って、汴州刺史として死去した。
子女
伝記資料
- 『周書』巻18 列伝第10
- 『北史』巻62 列伝第50