「李源」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
41行目: | 41行目: | ||
[[1981年]]、[[ソウル特別市|ソウル]]の尚文高等学校を卒業したのち父親と共に渡米、[[ニューヨーク工科大学]]において新聞放送学を修めた。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のケーブルテレビ局でプロデューサーとして働き、韓国に帰国後は現代放送などにプロデューサーとして勤めた。[[2001年]]に[[ヒュンダイ|現代]]ホームショッピングに入社、児童スポーツ部長に就任する。 |
[[1981年]]、[[ソウル特別市|ソウル]]の尚文高等学校を卒業したのち父親と共に渡米、[[ニューヨーク工科大学]]において新聞放送学を修めた。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のケーブルテレビ局でプロデューサーとして働き、韓国に帰国後は現代放送などにプロデューサーとして勤めた。[[2001年]]に[[ヒュンダイ|現代]]ホームショッピングに入社、児童スポーツ部長に就任する。 |
||
[[2005年]]7月、宗家当主である李玖が子女なく薨去すると、[[全州李氏大同宗約院]]の決定によって第30代当主になった。李源より皇位継承順位が高いと考えられる者が複数人いたものの、彼らは家督相続に興味を示さなかった<ref group="注釈">なお、[[2006年]]に叔父・[[李錫]]や伯母・[[ |
[[2005年]]7月、宗家当主である李玖が子女なく薨去すると、[[全州李氏大同宗約院]]の決定によって第30代当主になった。李源より皇位継承順位が高いと考えられる者が複数人いたものの、彼らは家督相続に興味を示さなかった<ref group="注釈">なお、[[2006年]]に叔父・[[李錫]]や伯母・[[李海瑗]]が第30代当主を主張したことにより、当主の座をめぐって係争が生じているものの、一般的に李源が正当な当主とされる。</ref>。 |
||
今は当主として儀式や祭祀に専念している。[[京畿道]]の[[高陽市]]のアパートに住んでおり2人の息子がいる。 |
今は当主として儀式や祭祀に専念している。[[京畿道]]の[[高陽市]]のアパートに住んでおり2人の息子がいる。 |
||
58行目: | 58行目: | ||
** 2006年8月に[[李錫]]によって創設された、李錫を総裁とする社団法人。 |
** 2006年8月に[[李錫]]によって創設された、李錫を総裁とする社団法人。 |
||
* [[大韓帝国皇室]] |
* [[大韓帝国皇室]] |
||
** 2006年5月5日に「大韓帝国皇族会」として結成され、同年9月29日に改称。2006年10月29日、[[ |
** 2006年5月5日に「大韓帝国皇族会」として結成され、同年9月29日に改称。2006年10月29日、[[李海瑗]]の「皇位継承式」をおこなった。 |
||
== 系図 == |
== 系図 == |
||
68行目: | 68行目: | ||
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |v| 004 |003=[[李グウ|李鍝]]<br />李公(埈鎔の養子)|004=[[李清|李淸]] }} |
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |v| 004 |003=[[李グウ|李鍝]]<br />李公(埈鎔の養子)|004=[[李清|李淸]] }} |
||
{{familytree|border=0| | | |!| | | |!| | | |`| 004 |004={{仮リンク|李淙|ko|이종 (1940년)}} }} |
{{familytree|border=0| | | |!| | | |!| | | |`| 004 |004={{仮リンク|李淙|ko|이종 (1940년)}} }} |
||
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |003=[[ |
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |003=[[李海瑗]] }} |
||
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |-| 004 |003={{仮リンク|李鉀|ko|이갑 (황손)}}|004='''李源''' }} |
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |-| 004 |003={{仮リンク|李鉀|ko|이갑 (황손)}}|004='''李源''' }} |
||
{{familytree|border=0| | | |!| | | |`| 003 |003=[[李錫]] }} |
{{familytree|border=0| | | |!| | | |`| 003 |003=[[李錫]] }} |
2020年8月16日 (日) 05:08時点における版
皇嗣孫 李源 | |
---|---|
李氏 | |
全名 | 李源(이원) |
称号 | 皇嗣孫(황사손) |
出生 |
1962年9月23日(62歳) |
子女 |
이권 이영 |
父親 | 李鉀 |
役職 |
全州李氏大同宗約院総裁 王室文化院総裁 大韓皇室文化院総裁 |
李源 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 이원 |
漢字: | 李源 |
発音: | イ・ウォン |
日本語読み: | り げん |
ローマ字: | I Won |
李源(り げん/イ・ウォン、朝鮮語: 이원、1962年9月23日 - )は、朝鮮国と大韓帝国の君主家だった李氏の子孫。最後の朝鮮国王(第26代)にして初代韓国皇帝である高宗の曾孫。全州李氏宗家の第30代当主であり、韓国の皇位継承者として「皇嗣孫(황사손)」を称する。
半生
義親王李堈の第9王子李鉀の長男として生まれる。出生時の名前は「相協(상협、サンヒョプ)」。
1981年、ソウルの尚文高等学校を卒業したのち父親と共に渡米、ニューヨーク工科大学において新聞放送学を修めた。アメリカのケーブルテレビ局でプロデューサーとして働き、韓国に帰国後は現代放送などにプロデューサーとして勤めた。2001年に現代ホームショッピングに入社、児童スポーツ部長に就任する。
2005年7月、宗家当主である李玖が子女なく薨去すると、全州李氏大同宗約院の決定によって第30代当主になった。李源より皇位継承順位が高いと考えられる者が複数人いたものの、彼らは家督相続に興味を示さなかった[注釈 1]。
今は当主として儀式や祭祀に専念している。京畿道の高陽市のアパートに住んでおり2人の息子がいる。
「大韓帝国」への国号改称120周年である2017年10月14日に、ソウル広場で大韓帝国宣布式の全過程が初めて再現された際には、皇帝高宗の役を務めた[1][2]。
李宗家関連団体
- 李源の李宗家第30代当主継承 承認・支持派
- 全州李氏大同宗約院
- 李朝皇族の子孫たちの大部分が設立した社団法人。李朝皇室継承者の決定、および祭祀を行う。
- 大韓皇室再建会
- わが皇室愛の集まり(愛我們的皇室會)
- 2001年、李朝皇室の象徴的な復活を希望する人々が設立。
- 李源の李宗家第30代当主継承 未承認・反対派
- 皇室文化財団(황실문화재단)
- 2006年8月に李錫によって創設された、李錫を総裁とする社団法人。
- 大韓帝国皇室
- 2006年5月5日に「大韓帝国皇族会」として結成され、同年9月29日に改称。2006年10月29日、李海瑗の「皇位継承式」をおこなった。
系図
李源の親類・近親・祖先の詳細
高宗 (李太王) | 純宗 (李王) | ||||||||||||||||||||||||||||
李墡 完親王 | |||||||||||||||||||||||||||||
李堈 義親王・李公 | 李鍵 李公 | 子女は 李氏を称さず | |||||||||||||||||||||||||||
李鍝 李公(埈鎔の養子) | 李淸 | ||||||||||||||||||||||||||||
李淙 | |||||||||||||||||||||||||||||
李海瑗 | |||||||||||||||||||||||||||||
李鉀 | 李源 | ||||||||||||||||||||||||||||
李錫 | |||||||||||||||||||||||||||||
李垠 英親王・李王 | 李晋 | ||||||||||||||||||||||||||||
李玖 李王世子 | |||||||||||||||||||||||||||||
李徳恵 | |||||||||||||||||||||||||||||
璿源系譜紀略(荘祖懿皇帝子孫)
←仁祖系 | 荘祖愃 | 懿昭世孫琔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
正祖祘22 | 文孝世子㬀 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
純祖玜23 | 翼宗旲 | 憲宗烉24 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
淑善翁主 | 明温公主 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福温公主 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
徳温公主 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永温翁主 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
恩彦君䄄 | 常渓君湛 | 益平君曦 | 載悳 | 完鎔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊渓君瑭 | 景恩君載星 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全渓大院君㼅 | 懐平君明 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永平君景応 | 清安君載純 | 豊善君漢鎔 | 清豊君海昇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
哲宗昪25 | 永恵翁主 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
恩信君禛 | 南延君球 | 興寧君昌応 | 完林君載元 | 埼鎔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
興完君晸応 | 完順君載完 | 達鎔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
完林君載元 | 逵鎔 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
興寅君最応 | 完永君載兢 | 址鎔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
興宣大院君昰応 | 完恩君載先 | 壦鎔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
興王熹 | 永宣君埈鎔 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高宗㷩26 | 純宗坧27 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
完王墡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
義王堈 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
英王垠 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堣 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
徳恵翁主 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
恩全君禶 | 豊渓君瑭 | 慶平君晧 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
清衍公主 | 完平君昇応 | 仁陽君載覲 | 憲鎔 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
清璿公主 | 益平君曦 | 載現 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
清瑾翁主 | 義陽君載覚 | 徳鎔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
載規 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
李氏朝鮮後期系図
脚注
注釈
出典
- ^ “大韓帝国宣布式の全過程を初めて再現”. 中央日報. (2017年10月15日) 2019年3月4日閲覧。
- ^ “'대한제국 선포' 재현행사”. 中央日報. (2017年10月14日) 2019年3月4日閲覧。
関連項目
|
|
|