コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「李源」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
41行目: 41行目:
[[1981年]]、[[ソウル特別市|ソウル]]の尚文高等学校を卒業したのち父親と共に渡米、[[ニューヨーク工科大学]]において新聞放送学を修めた。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のケーブルテレビ局でプロデューサーとして働き、韓国に帰国後は現代放送などにプロデューサーとして勤めた。[[2001年]]に[[ヒュンダイ|現代]]ホームショッピングに入社、児童スポーツ部長に就任する。
[[1981年]]、[[ソウル特別市|ソウル]]の尚文高等学校を卒業したのち父親と共に渡米、[[ニューヨーク工科大学]]において新聞放送学を修めた。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のケーブルテレビ局でプロデューサーとして働き、韓国に帰国後は現代放送などにプロデューサーとして勤めた。[[2001年]]に[[ヒュンダイ|現代]]ホームショッピングに入社、児童スポーツ部長に就任する。


[[2005年]]7月、宗家当主である李玖が子女なく薨去すると、[[全州李氏大同宗約院]]の決定によって第30代当主になった。李源より皇位継承順位が高いと考えられる者が複数人いたものの、彼らは家督相続に興味を示さなかった<ref group="注釈">なお、[[2006年]]に叔父・[[李錫]]や伯母・[[李海ウォン|李海瑗]]が第30代当主を主張したことにより、当主の座をめぐって係争が生じているものの、一般的に李源が正当な当主とされる。</ref>。
[[2005年]]7月、宗家当主である李玖が子女なく薨去すると、[[全州李氏大同宗約院]]の決定によって第30代当主になった。李源より皇位継承順位が高いと考えられる者が複数人いたものの、彼らは家督相続に興味を示さなかった<ref group="注釈">なお、[[2006年]]に叔父・[[李錫]]や伯母・[[李海瑗]]が第30代当主を主張したことにより、当主の座をめぐって係争が生じているものの、一般的に李源が正当な当主とされる。</ref>。


今は当主として儀式や祭祀に専念している。[[京畿道]]の[[高陽市]]のアパートに住んでおり2人の息子がいる。
今は当主として儀式や祭祀に専念している。[[京畿道]]の[[高陽市]]のアパートに住んでおり2人の息子がいる。
58行目: 58行目:
** 2006年8月に[[李錫]]によって創設された、李錫を総裁とする社団法人。
** 2006年8月に[[李錫]]によって創設された、李錫を総裁とする社団法人。
* [[大韓帝国皇室]]
* [[大韓帝国皇室]]
** 2006年5月5日に「大韓帝国皇族会」として結成され、同年9月29日に改称。2006年10月29日、[[李海ウォン|李海瑗]]の「皇位継承式」をおこなった。
** 2006年5月5日に「大韓帝国皇族会」として結成され、同年9月29日に改称。2006年10月29日、[[李海瑗]]の「皇位継承式」をおこなった。


== 系図 ==
== 系図 ==
68行目: 68行目:
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |v| 004 |003=[[李グウ|李鍝]]<br />李公(埈鎔の養子)|004=[[李清|李淸]] }}
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |v| 004 |003=[[李グウ|李鍝]]<br />李公(埈鎔の養子)|004=[[李清|李淸]] }}
{{familytree|border=0| | | |!| | | |!| | | |`| 004 |004={{仮リンク|李淙|ko|이종 (1940년)}} }}
{{familytree|border=0| | | |!| | | |!| | | |`| 004 |004={{仮リンク|李淙|ko|이종 (1940년)}} }}
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |003=[[李海ウォン|李海瑗]] }}
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |003=[[李海瑗]] }}
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |-| 004 |003={{仮リンク|李鉀|ko|이갑 (황손)}}|004='''李源''' }}
{{familytree|border=0| | | |!| | | |)| 003 |-| 004 |003={{仮リンク|李鉀|ko|이갑 (황손)}}|004='''李源''' }}
{{familytree|border=0| | | |!| | | |`| 003 |003=[[李錫]] }}
{{familytree|border=0| | | |!| | | |`| 003 |003=[[李錫]] }}

2020年8月16日 (日) 05:08時点における版

皇嗣孫 李源
李氏英語版

全名 李源(이원
称号 皇嗣孫(황사손)
出生 (1962-09-23) 1962年9月23日(62歳)
子女 이권
이영
父親 李鉀
役職 全州李氏大同宗約院総裁
王室文化院朝鮮語版総裁
大韓皇室文化院朝鮮語版総裁
テンプレートを表示
李源
各種表記
ハングル 이원
漢字 李源
発音: イ・ウォン
日本語読み: り げん
ローマ字 I Won
テンプレートを表示

李源(り げん/イ・ウォン、朝鮮語: 이원1962年9月23日 - )は、朝鮮国大韓帝国の君主家だった李氏英語版の子孫。最後の朝鮮国王(第26代)にして初代韓国皇帝である高宗の曾孫。全州李氏宗家の第30代当主であり、韓国の皇位継承者として「皇嗣孫(황사손)」を称する。

半生

義親王李堈の第9王子李鉀の長男として生まれる。出生時の名前は「相協(상협、サンヒョプ)」。

1981年ソウルの尚文高等学校を卒業したのち父親と共に渡米、ニューヨーク工科大学において新聞放送学を修めた。アメリカのケーブルテレビ局でプロデューサーとして働き、韓国に帰国後は現代放送などにプロデューサーとして勤めた。2001年現代ホームショッピングに入社、児童スポーツ部長に就任する。

2005年7月、宗家当主である李玖が子女なく薨去すると、全州李氏大同宗約院の決定によって第30代当主になった。李源より皇位継承順位が高いと考えられる者が複数人いたものの、彼らは家督相続に興味を示さなかった[注釈 1]

今は当主として儀式や祭祀に専念している。京畿道高陽市のアパートに住んでおり2人の息子がいる。

「大韓帝国」への国号改称120周年である2017年10月14日に、ソウル広場で大韓帝国宣布式の全過程が初めて再現された際には、皇帝高宗の役を務めた[1][2]

李宗家関連団体

李源の李宗家第30代当主継承 承認・支持派
李源の李宗家第30代当主継承 未承認・反対派
  • 皇室文化財団(황실문화재단)
    • 2006年8月に李錫によって創設された、李錫を総裁とする社団法人。
  • 大韓帝国皇室
    • 2006年5月5日に「大韓帝国皇族会」として結成され、同年9月29日に改称。2006年10月29日、李海瑗の「皇位継承式」をおこなった。

系図

李源の親類・近親・祖先の詳細

高宗
(李太王)
 
純宗
(李王)
 
 
 
 
 
 
 
李墡朝鮮語版
完親王
 
 
 
 
 
 
李堈
義親王・李公
 
李鍵
李公
 
子女は
李氏を称さず
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李鍝
李公(埈鎔の養子)
 
李淸
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李淙朝鮮語版
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李海瑗
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李鉀
 
李源
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李錫
 
 
 
 
 
 
李垠
英親王・李王
 
李晋
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
李玖
李王世子
 
 
 
 
 
 
李徳恵
 

脚注

注釈

  1. ^ なお、2006年に叔父・李錫や伯母・李海瑗が第30代当主を主張したことにより、当主の座をめぐって係争が生じているものの、一般的に李源が正当な当主とされる。

出典

関連項目

先代
李玖
全州李氏当主
第30代当主:2005年 -
次代