李秉源
表示
李秉源 | |
---|---|
通政大夫 | |
贈議政府領議政 | |
本貫氏派 | 全州李氏麟坪大君派 |
続柄 | 李鎮翼第2子 |
諱号 | 秉源 |
字号 | 景深 |
誕生年 | 乾隆17年(1752年) |
没死 | 道光2年(1822年) |
実父 | 李鎮翼 |
子女 |
李䆃重 南延君李球 李彙重 |
李 秉源(イ・ビョンウォン、1752年 - 1822年)は、李氏朝鮮の両班。本貫氏派は全州李氏麟坪大君派。李鎮翼第2子。諱号は「秉源」。字号は「景深」。第2子は南延君である。
系統は仁祖の第3子で玄祖父の麟坪大君傍系である。生前時の実父の李鎮翼は蔭位制により嘉善大夫・漢城府右尹であったが、若年時の李秉源は官位官職にありつけなかった。
1783年式年試合格者100人中44位であり、3等14位として生員認定された[1]。1833年5月13日、第2子南延君上疏で70歳の李秉源に官位を要請すると、純祖が承諾した[2]。5月16日、通政大夫に叙位[3]。卒去後に議政府左賛成を追贈される。1864年2月17日、興宣大院君により議政府領議政を追贈される[4]。
経歴
[編集]西暦 | 月日 | 内容 |
---|---|---|
1783年 | 生員認定 | |
1822年 | 5月16日 | 通政大夫(正三品上階) |
議政府左賛成(追贈) | ||
1864年 | 2月17日 | 議政府領議政(追贈) |
家門
[編集]尊属 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
続柄 | 諱 | 備考 | |||||
実父 | 李鎮翼 | ||||||
実母 | 漢陽趙氏 | 本貫は漢陽趙氏。趙道健の娘。 | |||||
妻子 | |||||||
続柄 | 諱 | 備考 | |||||
正室 | 延日鄭氏 | 本貫は延日鄭氏。鄭義煥の娘。 | |||||
一子 | 李䆃重 | ||||||
二子 | 南延君李球 | 興宣大院君の実父。 | |||||
三子 | 李彙重 | ||||||
正室 | 広州金氏 | 本貫は広州金氏。金鎮九の娘。 |
李氏朝鮮後期系図