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「ルイス・ロペス (1964年生の内野手)」の版間の差分

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* 初盗塁:1996年4月9日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]1回戦([[横浜スタジアム]])、9回表に二盗(投手:[[佐々木主浩]]、捕手:[[谷繁元信]])
* 初盗塁:1996年4月9日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]1回戦([[横浜スタジアム]])、9回表に二盗(投手:[[佐々木主浩]]、捕手:[[谷繁元信]])
* 初本塁打:1996年4月13日、対[[阪神タイガース]]2回戦([[阪神甲子園球場]])、5回表に[[湯舟敏郎]]から左越決勝ソロ
* 初本塁打:1996年4月13日、対[[阪神タイガース]]2回戦([[阪神甲子園球場]])、5回表に[[湯舟敏郎]]から左越決勝ソロ
* 100本塁打:2001年5月9日、対[[読売ジャイアンツ]]8回戦(広島市民球場)、2回裏に[[鄭ミン哲|鄭珉哲]]から左越ソロ ※史上212人目
* 100本塁打:2001年5月9日、対[[読売ジャイアンツ]]8回戦(広島市民球場)、2回裏に[[鄭珉哲]]から左越ソロ ※史上212人目


=== 背番号 ===
=== 背番号 ===

2020年8月15日 (土) 04:32時点における版

ルイス・ロペス
Luis Lopez
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ニューヨークブルックリン区
生年月日 (1964-09-01) 1964年9月1日(60歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手捕手
プロ入り 1983年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB / 1990年9月14日
NPB / 1996年4月5日
最終出場 MLB / 1991年10月6日
NPB / 2002年8月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ルイス・アントニオ・ロペスLuis Antonio Lopez , 1964年9月1日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の元プロ野球選手内野手)。

経歴

現役時代

ラファイエット高校から、1983年MLBドラフト2巡目でロサンゼルス・ドジャースに入団。1990年9月14日、メジャーデビューを果たす。

1991年クリーブランド・インディアンスに移籍。メジャー再昇格を果たす。

1994年アトランタ・ブレーブスに移籍するも、1995年にはインディアンズに復帰した。1992年以降は、メジャー昇格は出来なかった。

1996年に日本に活躍の場を求め広島東洋カープに入団。同年の春季キャンプではスイングの軌道が安定せず打球も飛ばず、しかも走力もなかった。シーズンでの活躍を不安視されたが、山本一義チーフ兼打撃コーチがスイングを矯正したところ、打撃が開眼。

1996年から2年連続で打点王1997年には最多安打のタイトルを獲得するなど活躍した。好機で勝負強く、しぶとい打撃でチームに活力を与えた。また「タイトルや個人成績よりも、僕はチームが勝つために仕事をしているんだ」と常々語るなど、チームプレーに徹する姿勢も好感を呼び「広島史上最強の外国人選手」とも称された。

しかし、1997年オフに契約更改交渉がこじれ決裂。翌1998年、出場停止処分となっていた主砲の小久保裕紀に代わる選手を探していた福岡ダイエーホークスへ移籍した。3割近い打率を残すなどの活躍をしたが、小久保の復帰もあって1年で退団。

1999年から2000年の途中まで、アメリカの独立リーグアトランティックリーグに加盟しているサマセット・パトリオッツでプレーした。

2000年のシーズン途中、長打力不足に悩む広島の再オファーを受けて3年ぶりに復帰。93試合で打率.313、20本塁打、88打点、翌2001年も138試合で打率.308、32本塁打、100打点をマークするなど再び主力打者として活躍した。

2002年シーズン前のキャンプで、ロペスはシーズンの目標を問う取材に対し「打率.350、56本塁打、160打点」という数字を掲げた。
しかし、同年は前田智徳とのトラブル(後述)もあり、4月7日まで.417だった打率は、モチベーションの低下から急降下し、シーズン途中で退団した。

2003年2004年は、再びサマセット・パトリオッツでプレーした。

引退後

2006年東北楽天ゴールデンイーグルスの駐米スカウトに就任。2010年は楽天の二軍打撃コーチを務めた。

2012年より横浜DeNAベイスターズ国際担当スカウトを務める。

トラブル

  • 陽気な性格だが、審判の判定や乱闘などの激高する場面が多く、また退場処分も2度受けている。
  • 1996年の10月3日の対中日戦の8回裏の打席でハーフスイングを空振りに取られ三振を喫した直後、9回表の守備につく際に井野塁審に暴力行為をし退場処分を受けた。
  • ダイエー時代の1998年には日本ハム戦で、芝草宇宙からの死球に激怒し芝草を追いかけ乱闘騒ぎを起こして退場処分。
  • 2002年4月6日の対中日ドラゴンズ2回戦(広島市民球場)の8回裏、二塁に前田智徳を置いた場面で、ロペスは中前打を放った。しかし前田は三塁で止まり、加点できなかった。ロペスはこれに憤慨。適時打で本塁生還後、ダッグアウト裏で前田に「どうして本塁に走らなかったんだ」などと激しく詰め寄り、つかみかかる騒ぎを起こした[1]。ロペスの年俸には打撃成績に応じた出来高が支払われる契約が含まれていたことが背景にあったとも言われている。一方の前田はアキレス腱などの故障歴があるなど足に不安を抱えているため、無理な走塁はできない状態であった[1](しかもこの日は小雨が降っていてグラウンド状態が悪く、前田は普段以上に足を気遣いながらのプレーを余儀なくされていた)。
    4月7日、球団フロントと山本浩二監督による事情聴取に応じたロペスは「打点が欲しかったからやったわけじゃないんだ」と釈明した。しかし、事態を重く見た球団はロペスの出場選手登録を抹消、10日間の謹慎を科した上で二軍の練習参加も禁じる厳罰を下した。前田とは話し合いの機会を持って和解している。また、この件について前田は「言い訳したくない」とあまり口にしない。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1990 LAD 6 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1991 CLE 35 89 82 7 18 4 1 0 24 7 0 0 1 1 4 1 1 7 0 .220 .261 .293 .554
1996 広島 130 545 503 66 157 29 1 25 263 109 2 1 0 4 34 0 4 48 23 .312 .358 .523 .881
1997 134 580 532 80 170 37 0 30 297 112 0 0 0 6 36 1 6 58 15 .320 .366 .558 .924
1998 ダイエー 134 527 480 58 141 35 0 17 227 68 1 3 1 5 34 2 7 34 14 .294 .346 .473 .819
2000 広島 93 377 351 43 110 10 0 20 180 88 0 0 0 6 16 0 4 37 12 .313 .345 .513 .858
2001 138 561 493 53 152 21 0 32 269 100 0 2 3 7 51 4 7 35 22 .308 .376 .546 .922
2002 80 276 265 12 65 11 1 5 93 33 0 0 0 3 6 1 2 23 8 .245 .264 .351 .615
MLB:2年 41 95 88 7 18 4 1 0 24 7 0 0 1 1 4 1 1 9 0 .205 .245 .273 .517
NPB:6年 709 2866 2624 312 795 143 2 129 1329 510 3 6 4 31 177 8 30 235 94 .303 .350 .506 .856
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

NPB

背番号

  • 12 (1990年)
  • 22 (1991年)
  • 2 (1996年 - 1997年)
  • 44 (1998年)
  • 33 (2000年 - 2002年)
  • 79 (2010年)

脚注

  1. ^ a b 助っ人トラブル 審判にボール投げつけた投手には罰金4000万円”. スポーツニッポン. 2016年6月28日閲覧。

関連項目

外部リンク