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「離間計」の版間の差分

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** [[後漢]]の[[司徒]][[王允]]は[[美人計]]と併せることで、[[董卓]]と[[呂布]]を仲違いさせる([[連環計]])に成功、呂布を味方に引き入れ、董卓を討ち果たした。
** [[後漢]]の[[司徒]][[王允]]は[[美人計]]と併せることで、[[董卓]]と[[呂布]]を仲違いさせる([[連環計]])に成功、呂布を味方に引き入れ、董卓を討ち果たした。
** [[劉備]]と[[呂布]]がいる[[徐州]]の攻略を目論む[[曹操]]に、[[荀彧]]は両者の仲を裂く方法として「二虎競食の計」、「駆虎呑狼の計」を献策している。
** [[劉備]]と[[呂布]]がいる[[徐州]]の攻略を目論む[[曹操]]に、[[荀彧]]は両者の仲を裂く方法として「二虎競食の計」、「駆虎呑狼の計」を献策している。
** [[諸葛亮]]は[[劉備の入蜀|征蜀]]の際、[[張魯]]のもとにいた[[馬超]]に[[李恢]]を派遣し、張魯との関係を絶たせた。また、南蛮平定の際には[[高定]]、[[雍ガイ|雍闓]]、[[朱褒]]らに用いて仲を裂いた。さらに[[北伐]]に際して、[[魏 (三国)|魏]]の[[姜維]]と[[馬遵]]らに用いて、疑われた姜維を[[蜀漢|蜀]]軍に寝返らせた。
** [[諸葛亮]]は[[劉備の入蜀|征蜀]]の際、[[張魯]]のもとにいた[[馬超]]に[[李恢]]を派遣し、張魯との関係を絶たせた。また、南蛮平定の際には[[高定]]、[[雍闓]]、[[朱褒]]らに用いて仲を裂いた。さらに[[北伐]]に際して、[[魏 (三国)|魏]]の[[姜維]]と[[馬遵]]らに用いて、疑われた姜維を[[蜀漢|蜀]]軍に寝返らせた。
* 『[[三国志]]』において、[[賈詡]]は、馬超・[[韓遂]]の連合軍に苦戦する曹操に両者を仲違いさせることを進言し、馬超と韓遂を不和にさせ、連合軍を撃破することに成功した([[潼関の戦い]])。なお、『三国志演義』において馬超は先述の通り、諸葛亮による離間計にもかかっている。
* 『[[三国志]]』において、[[賈詡]]は、馬超・[[韓遂]]の連合軍に苦戦する曹操に両者を仲違いさせることを進言し、馬超と韓遂を不和にさせ、連合軍を撃破することに成功した([[潼関の戦い]])。なお、『三国志演義』において馬超は先述の通り、諸葛亮による離間計にもかかっている。
* [[呉 (三国)|呉]]の[[丁奉]]は、[[晋 (王朝)|晋]]の[[石苞 (西晋)|石苞]]に偽りの手紙を送ることで、[[司馬炎|武帝]]の信頼を失わせ失脚させた。
* [[呉 (三国)|呉]]の[[丁奉]]は、[[晋 (王朝)|晋]]の[[石苞 (西晋)|石苞]]に偽りの手紙を送ることで、[[司馬炎|武帝]]の信頼を失わせ失脚させた。

2020年8月13日 (木) 06:33時点における版

離間計(りかんのけい)は、対象の仲を裂くことで状況を打破する戦術

敵対する親子・兄弟・君臣・同盟といった関係の弱点を密かに突いたり、結びつく要因(人・物・利害)を悟られないように利用したりして心理戦を仕掛けることで、対象となる関係を内部から崩し、漁夫の利を得ようとするものである。

反間計と混同されることがあるが、それぞれ異なる計略である。古今東西で用いられる。

中国

  • 小説『三国志演義』ではたびたび登場する計略である。
  • 三国志』において、賈詡は、馬超・韓遂の連合軍に苦戦する曹操に両者を仲違いさせることを進言し、馬超と韓遂を不和にさせ、連合軍を撃破することに成功した(潼関の戦い)。なお、『三国志演義』において馬超は先述の通り、諸葛亮による離間計にもかかっている。
  • 丁奉は、石苞に偽りの手紙を送ることで、武帝の信頼を失わせ失脚させた。
  • 范蠡は、を支える伍子胥を亡き者にするため、彼の政敵であった伯嚭賄賂工作で呉王夫差に讒言を吹きこませ、伍子胥を自害に追い込ませた。