ノート:荀彧
「この時に同郷の辛評・郭図なども同道している。」は誤読でしょう。--220.99.2.215 2007年6月10日 (日) 06:13 (UTC)
- その部分については意見する気はありません。ただ、ほかの削られた部分に問題があったと感じたので、差し戻しを行いました。--koon1600 2007年6月10日 (日) 06:16 (UTC)
「王佐の才」について
[編集]「王佐」の例として管仲を挙げるのは不適切と思われます。「王佐」とは単に王を助けるとか、主君に仕えてその人を偉大たらしめるとかの意味ではないのではないでしょうか。「王佐」の「王」とは徳治をおこなう王道を指し、実力によって天下を治める覇道に対置されるものであってあくまで儒教的価値観に根ざした概念であり、「王佐」とは主君の王道による統治を助けることと解すべきでしょう。そして、斉の桓公は春秋五覇のひとりにかぞえられるのであり、これを助けた管仲は「王佐」の典型例であるとはいえないのではないでしょうか。
この問題に関し、例えば狩野直喜氏は孟子・荀子による管仲批判を紹介した上で「凡そ儒家に屬せしものは、五伯(拙注:五覇のこと)若しくは之を輔けし人物を非難し、(中略)王覇の別を嚴にして孔子の道を明にせんと務めた」と述べられています。そして管仲を「齊桓の覇業を輔け」た者とし、『論語』における管仲の評価につき「孔子の王道と覇者の道とは根本的に異り、氷炭相容れざるものであつて、孔子が管仲の仁を許したと見るは、學者が所謂孔安國の注なるものに誤まられた結果であると思ふ」と結論されています(「孔子と管仲」、『支那學』巻3・第2号(大正11年11月)所収)[1]。
また朱熹『論語集注』八佾に引く楊時の言に「夫子管仲の功を大なりとして其の器を小なりとす。蓋し王佐の才に非ずして、能く諸侯を合わせ天下を正すと雖も、其の器は称するに足らざるなり。道学明らかならずして、王霸の略混じりて一途と為る」とあります。要するに、管仲は覇者の臣であって王佐の才ではないとするのが伝統的な理解であるというべきでしょう。
管仲の項目でもない上にたかだか数十字の文章を編集するための理由づけとしてはくどいと我ながら思いますが、管仲の歴史的評価や「王佐」の意義は決して簡単な問題ではないと思うので、以上の通り述べさせて頂きました。--Fish40 2011年9月4日 (日) 16:15 (UTC)
二段目の >若いことから才名をうたわれ「王佐の才」とも称揚され
- 若いこと
- 若い頃
なのでは? --Melonspin(会話) 2019年6月22日 (土) 15:30 (UTC)
改名提案
[編集]WP:NCの改定により、本来の表記である「荀彧」を記事名にすることができるようになりましたので、改名を提案します。--こんせ(会話) 2020年7月5日 (日) 00:33 (UTC)
- 賛成 今回の改定で使用可能になったIBM拡張文字に該当してますね。ちなみに歴史人物記事では程昱や奝然もOKなはずです。--Nagaichi(会話) 2020年7月7日 (火) 20:32 (UTC)
- 報告 賛成意見のみでしたので、改名を実行しました。「程昱」は当記事以前に私から改名提案を行い、改名実行済みです。「奝然」については私からは今のところは行っておりません。--こんせ(会話) 2020年7月12日 (日) 05:18 (UTC)