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「流光斎如圭」の版間の差分

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2020年8月13日 (木) 06:27時点における版

初代芳澤いろはの在原のなり平。寛政3年12月、大坂角の芝居の『競伊勢物語』より。大英博物館所蔵、如圭画。

流光斎 如圭(りゅうこうさい じょけい、生年不明 - 文化7年〈1810年〉)とは、江戸時代の大坂の浮世絵師

来歴

蔀関月の門人。姓は多賀、諱(あざな)は如圭、英昌。通称慈平。大坂北堀江、難波新地などに住む。安永6年(1777年)頃から狂歌本や絵本の挿絵を描いた。月岡雪鼎没後の上方を代表する浮世絵師であった。天明4年(1784年)の『旦生言語備』(やくしゃものいわい)[1]で50名の役者を描いて江戸の勝川春英勝川春好役者絵の影響を受けた独自の上方絵を確立した。

寛政4年(1792年)頃から細判一枚摺の役者絵も出すようになり、上方役者絵流行の基礎を築いた。作画期は文化年間までである。寛政2年(1790年)には舞台図を集めた絵本『画本行潦(えほん にわたずみ)』を刊行、寛政6年(1794年)に芝居絵本『絵本花菖蒲』、寛政8年(1796年)に滑稽本『通者茶話太郎』(鉄格子作)、寛政9年(1797年)に八文字屋自笑作の『桐の島台』、寛政12年(1800年)に芝居絵本『役者百人一衆化粧鏡』(八文字屋自笑作)、享和3年(1803年)に芝居絵本『劇場画史』、文化元年(1804年)に芝居絵本『三都劇場草の種(さんがのつ しばい くさのたね)』などを自筆刊行している。

如圭の役者絵は細判・大判ともに理想化されやすい江戸の錦絵に比べてより個性的で写実的な精神が貫かれ、これが上方絵に深い影響を与えることとなった。芝居に関係する『劇場画史』や『三都戯場草の種』などの著作もあるが、錦絵は比較的少ない。肉筆浮世絵となるとさらに少なく、寛政年間に描いた『狂言尽図巻』(紙本着色・千葉市美術館所蔵)など数点が知られるのみである。

俳諧を得意としており、芝居関係書、滑稽本(こっけいぼん)、狂歌本、読本などの挿絵も多い。門人に松好斎半兵衛二代目流光斎蘭好斎らがいる。かつて東洲斎写楽と関係があると論じられたこともあった[要出典]

作品

版本

  • 『画本行潦(にわたずみ)』、塩屋喜助ほか、寛政2年(1790年[2]
  • 『絵本花菖蒲』芝居絵本、寛政6年(1794年
  • 後穿窟主人(佐藤魚丸)『川童一代噺(かわたろう いちだいばなし)』全5冊、河内屋源七郎、丁子屋平兵衛ほか、寛政6年。西尾市岩瀬文庫[注釈 1][3]
  • 鉄格子波丸『通者茶話太郎』滑稽本、寛政8年(1796年[4][注釈 2]
  • 八文字屋自笑作『桐の島台』芝居絵本、寛政9年(1797年
  • 同上『役者百人一衆化粧鏡』芝居絵本、寛政12年(1800年[5]
  • 『劇場画史』芝居絵本2巻、盈香舎、享和3年(1803年[6]
  • 丹羽桃渓、多賀如圭『絵本拾遺信長記』西村宗七、譽田屋伊右衛門ほか、享和3年[7]
  • 『絵本目出度候』全2巻、本屋清七、享和3年[8]
  • 『三都戯場草の種(さんがのつ しばいくさのたね)』芝居絵本、文化元年(1804年[9]
  • 八文舎自笑(編)『役者用文章直指箱(やくしゃよう ぶんしょう じきしばこ)』全2巻、浪華 : 八文字屋八左衛門ほか3名、文化元年(1804年)[10]
  • 曲亭馬琴『月氷奇縁(げっぴょうきえん)』全5巻、河内屋太助、蔦屋重三郎ほか、文化2年(1805年)[11]
  • 田仲宣(輯)『當流随一小謡』、勝村治右衛門ほか、文化2年[12][注釈 3]
    • 改題『當流随一小謡絵抄』、勝村治右衛門、1839年。
    • 改題、多賀如圭(編)『小謡独稽古』、大塚宇三郎、1911年。
  • 田仲宣(輯)『小諷訓蒙図彙』多賀如圭(画工)、田中太右衛門、1839年。

錦絵

袋カッコ内は上演された歌舞伎の演目を示す。

  • 「二世山下金作の鳴物占い小萩」細判 錦絵。寛政5年正月、中座『傾城楊柳桜(やなぎさくら)』より。
  • 「初世芳沢いろは」細判 錦絵。寛政5年正月、中座『傾城楊柳桜(やなぎさくら)』より。
  • 「泉川楯蔵の藤屋伊左衛門」細判。寛政5年11月、『けいせい阿波鳴門』より。
  • 「御前試合の場の役者五名」大錦、寛政後期から享和

肉筆画

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦 × 横cm) 所有者 年代 款記・印章 備考
瑞龍護持曼荼羅 絹本著色(画部分)・紺紙金泥(文字部分) 1幅 個人 1787年(天明7年) 款記「曼荼画工師 攝陽浪速之住 流光齋 多賀英昌」(花押 流光斎のみならず浮世絵師の作品としては異例な仏画。『金光明最勝王経』を典拠にし、弁財天十五童子と最勝曼荼羅を組み合わせた極めて珍しい図様であり、神像も数多く描かれている。永平寺僧・棟外哲梁が発願し、和泉国泉佐野豪商・食野(めしの)次郎左衛門常辰が寄進[13][14]
梨園書画 紙本着色 画帖3冊の内2冊 大阪歴史博物館 1788年(天明8年)頃 主に役者絵を描いた画帖。上冊と中冊は流光斎がそれぞれは役者の半身像、役者の立ち姿を、下冊は耳鳥斎が略筆で役者を描く。本画帖は大阪の表具師で絵も描いた松本奉時が制作を主導し、まず流光斎と耳鳥斎に絵を描かせ、奉時が自ら序文を記して帖に仕立て、役者たちに書賛を乞い完成させた[要出典]
狂言尽図巻 紙本着色 1巻 千葉市美術館 1790年(寛政2年)頃 無款 34人の歌舞伎役者を描き分けた、26.7x857.5cmの大作。無款だが、題簽に「狂言尽 浪花流光斎筆」とあり、画風からも真筆は疑いない。従来は「寛政期」または「寛政後期」制作とされたが、役者の活躍時期やその演じる役は天明末から寛政元年の場面が多く、寛政2年(1790年)頃の作品と考証される[15]
Seven Great Osaka Actors in Favorite Roles 絹本着色 1巻 18.3 × 125.5(表装、軸18.3 × 178) ミネアポリス美術館 1790年(寛政2年)頃 京坂で1782年から1787年にわたり人気のあった歌舞伎役者を7人描く。なるべく忠実に似せたと見られ、肉付きのよい顔なども写し取っている[16]
二代目中村のしほのお軽・初代嵐雛助の由良助・初代浅尾為十郎の九大夫[17] 絹本着色 1幅 117.3 × 15.5 大英博物館 1790-95年

脚注

注釈

  1. ^ 書名は巻1内題にフリガナ「かはたらういちだいはなし」。原題簽左肩単辺「川童一代噺 一」以下「かとふ一代噺 二」から「同五」。 丁子屋平兵衛(江戸大伝馬町二丁目)、大島屋伝右衛門(同京橋弥左衛門町)、紙屋徳八(同下谷御成道)、菊屋幸三郎(同馬喰町二丁目)、山崎屋清七(同浅草福井町壹丁目)、吉野屋仁兵衛(京都三条通御幸町)、河内屋源七郎版(大坂心斎橋北久宝寺町)。
  2. ^ 滑稽本『通者茶話太郎』は全5巻。刷り題簽=通者茶話太郎、粹者茶話太郎、通者ちや話太良、すいは茶話太良あり。巻之5後見返しの記述では『川童一代噺』と合計10巻の企画か(「川童一代噺 前遍全部五冊/粹者茶話太郎 後遍全部五冊/浪速書林」とある)。
  3. ^ おくづけによると、輯者(京師)田仲宣、画工(浪芲=浪花)多賀如圭。文化二乙丒嵗五月。書肆は皇京(京都)勝村治右衛門、東都(江戸)須原茂兵衛、尾陽(名古屋)片野東四郎、姫府(姫路)本莊輔二、攝都(神戸)大野木市兵衛。

出典

  1. ^ 多賀、川上 1926.
  2. ^ 流光斎如圭(画)『画本行潦』全3巻 (マイクロ ; 合本1冊)、大坂 : 塩屋喜助ほか、寛政2年(1790年)。 国立国会図書館蔵書。題簽書名: 画本にはたつみ。流光斎 1世。
  3. ^ 『川童一代噺』”. デジタルアーカイブシステムADEAC. 西尾市岩瀬文庫. 2020年7月22日閲覧。
  4. ^ 鉄格子波丸、多賀如圭『通者茶話太郎』1795年。 NCID BB05267665 
  5. ^ 〈三都戯場〉役者百人一衆化粧鏡”. trc-adeac.trc.co.jp. ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム. 2020年7月22日閲覧。 “原題簽左肩双辺「〈三都/戯場〉役者百人一衆化粧□ 全」(角書は円内に記す)。「目録」を記した副題簽存(萌葱色料紙)。見返(遊紙裏)題同、ふりがな「さんがのつ/しばゐ/やくしやひやくにんいつしゆよそをひかゞみ」。”
  6. ^ 流光斎如圭『劇場画史』全2巻、盈香舎、1803年、doi:10.11501/2554346。国立国会図書館デジタルコレクション]に収載。
  7. ^ 丹羽桃渓、多賀如圭『絵本拾遺信長記』初篇13編後篇10編、西村宗七、譽田屋伊右衛門 : 和泉屋源七 : 播磨屋五兵衛刊、1803年。NCID BA7979717X。後篇巻之10、最終丁片面に「画工 多賀如圭」等。
  8. ^ 『絵本目出度候』全2巻、浪花 : 正本屋清七、享和3年(1803年)、全2冊(合本1冊)。注記:角書=いろは歌教訓。流光斎1世。マイクロ、国立国会図書館蔵書
  9. ^ 流光斎如圭(画)『三都戯場草之種 2巻』、浪速 : 八文字屋八左衛門ほか、文化元年(1804年)。流光斎1世、マイクロ、国立国会図書館蔵書。
  10. ^ 八文舎自笑(編)『役者用文章直指箱』全2巻、浪華 : 八文字屋八左衛門ほか3名、享和4年(1804年)。注記:角書、三都戯場。印記:大。八文字屋自笑(3代)。注記:角書: 三都戯場、印記: 大。八文字屋自笑(3代)マイクロ、国立国会図書館蔵書。
  11. ^ 滝沢馬琴、多賀如圭『月氷竒縁』全5巻、河内屋太助 : 播磨屋五兵衞、蓍屋儀兵衞、永楽屋東四郎、蔦屋重三郎、1805年。NCID BA82801854。見返しの書名:享徳年間復讐小説月氷竒縁。
  12. ^ 田宮仲宣、多賀如圭『當流随一小謡』、勝村治右衛門、須原茂兵衛、本莊輔二、大野木市兵衛、1805年。NCID BB22579981
  13. ^ 唐画もん展覧会図録 2015, pp. pp.140、189-190.
  14. ^ 古川、浅野, 2016 & pp.42-46.
  15. ^ 北川, 2013 & pp.19-29.
  16. ^ Seven Great Osaka Actors in Favorite Roles, c. 1790, Jokei; Ink, color, gold, and gofun on silk; Bequest of Richard P. Gale; #74.1.193” (英語). ミネアポリス美術館. 2020年7月22日閲覧。
  17. ^ 矢野 2005, p. pp.65-66, 図巻頭2.

参考文献

発行年順

  • 多賀如圭『旦生言語備』川上邦基、歌舞伎図絵刊行会、光琳社、1926年。 NCID BB00056108 
  • 藤懸静也『浮世絵』(増訂)雄山閣、1946年、200頁。  国立国会図書館近代デジタルライブラリー、136コマ目
  • 日本浮世絵協会 編『原色浮世絵大百科事典』 2巻、大修館書店、1982年、107頁。 
  • 矢野明子「図版解説 流光斎如圭筆「二代目中村野塩のお軽、初代嵐雛助の由良之助、初代浅尾為十郎の九太夫」」『浮世絵芸術 : 国際浮世絵学会会誌』第150号、2005年、pp.65-66, 図巻頭2。 
  • 北川博子「流光斎肉筆役者絵『狂言尽図巻』考」『採蓮』第16号、2013年9月30日、pp.19-29。 
  • 北川博子(監修)『特別展 上方の浮世絵 ー大坂・京都の粋と技ー』岩佐伸一、澤井浩一、渕田恵子(編集)、NHKプラネット、2014年4月19日、[要ページ番号]頁。 
  • 『「唐画もんー武禅林閬苑若冲も」展図録』岩佐伸一、伊藤紫織、松岡まり江(企画・編集)、大阪歴史博物館、千葉市美術館産経新聞社、2015年9月8日、pp.140、189-190頁。 
  • 古川攝一、浅野秀剛「流光斎如圭筆 瑞龍護持曼荼羅」『国華』第1446号、國華社、2016年4月20日、pp.42-46、ISBN 978-4-02-291446-0 

関連項目

関連文献

  • 多賀如圭『似面集』自筆帙題簽に「流光斉如圭自筆」とあり。上方役者二十五人似面、彩色、帙、桐箱入。NCID BA87111558
  • 梅本鐘太郎 (塵山)(編)『浮世絵備考』、東京 : 東陽堂、1898年(明31年)。国立国会図書館デジタルコレクション収載。
  • 石田誠太郎『大阪人物誌』巻2、大阪 : 石田文庫、1926年(大正15年)。国立国会図書館デジタルコレクション収載。
  • 岡本撫山『浪華人物誌 巻2』、風俗絵巻図画刊行会〈芸苑叢書 ; 第1期〉、1920年。国立国会図書館デジタルコレクション収載。
  • 『東洋美術』第12号、東洋美術研究会(編集)、飛鳥園、1931年7月。doi:10.11501/1516311、国立国会図書館デジタルコレクション、図書館送信参加館内公開。
    • 春山武松「流光齋と松好齋」、pp.1-26。
    • 「故岡田伊三次郎氏蔵 多賀流光齋如圭筆『秋塚帯刀 叶雛助』錦絵/飛鳥園コロタイプ
  • 吉田漱『浮世絵の見方事典』、北辰堂、1987年。
  • 松平進「流光斎如圭—上方浮世絵の始まり」『上方浮世絵の世界』、和泉書院〈上方文庫22〉、2000年。ISBN 4757600690、NCID BA48405537。
  • 中野志保『上方浮世絵史再考 : 北斎様式の「選択」を手がかりに』、同志社大学、甲第399号、2009年3月31日。NCID BB00622657。岸文和、太田孝彦、浅野秀剛(博士論文審査)。
  • 多賀如圭「流光斎図録 : 上方役者似顔絵の黎明 」、アンドリュー・ガーストル、矢野明子(編)『MKCRサブ・プロジェクト「上方芸能の視覚文化的特質について」研究報告書』、武庫川女子大学関西文化研究センター、2009年。NCID BA90164938。原語表記Gerstle, C. Andrew。
  • 『国立国会図書館所蔵歌舞伎関係資料集 保存版』、東京 : フジミ書房〈DVD 復刻シリーズ〉、2010年。OCLC 813445468。
  • ミネアポリス美術館(編)『ミネアポリス美術館浮世絵名品集成』、藝華書院、2011年。
  • 辻惟雄泉武夫山下裕二板倉聖哲(編)『日本美術全集 15』、小学館、2014年。