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{{by|1998年}}にアジア経済危機で親会社が経営難に陥り、球団の運営にも陰りが見られた。それで、サンバンウルは主力選手を資金力が豊富だった現代ユニコーンズや三星ライオンズなどにトレードで出して、その代償でもらった資金で運営費に充てる羽目になった。これは、打線の中心だった彼にも例外ではなく、中継ぎの要で1996年はリリーフだけで20勝を挙げ、最多勝のタイトルを取ったこともあったチームメイトの金玄旭(キム・ヒョヌク)とともに金銭トレードで1998年シーズン終了後に[[三星ライオンズ]]に移籍した。
{{by|1998年}}にアジア経済危機で親会社が経営難に陥り、球団の運営にも陰りが見られた。それで、サンバンウルは主力選手を資金力が豊富だった現代ユニコーンズや三星ライオンズなどにトレードで出して、その代償でもらった資金で運営費に充てる羽目になった。これは、打線の中心だった彼にも例外ではなく、中継ぎの要で1996年はリリーフだけで20勝を挙げ、最多勝のタイトルを取ったこともあったチームメイトの金玄旭(キム・ヒョヌク)とともに金銭トレードで1998年シーズン終了後に[[三星ライオンズ]]に移籍した。


三星では左の長距離砲として[[林昌勇]](イム・チャンヨン)獲得のためヘテにトレードされた[[梁ジュン赫|梁埈赫]](ヤン・ジュンヒョク)の穴を埋める役割を果たした。また、[[2000年シドニーオリンピックの野球競技|2000年シドニーオリンピック]]の韓国代表に選ばれ、銅メダルを獲得した。
三星では左の長距離砲として[[林昌勇]](イム・チャンヨン)獲得のためヘテにトレードされた[[梁埈赫]](ヤン・ジュンヒョク)の穴を埋める役割を果たした。また、[[2000年シドニーオリンピックの野球競技|2000年シドニーオリンピック]]の韓国代表に選ばれ、銅メダルを獲得した。


しかし{{by|2001年}}、優勝請負人として三星に赴任した[[金応龍]](キム・ウンヨン)監督との確執で出場機会が減り、{{by|2002年}}に[[SKワイバーンズ]]にトレードされた。SK移籍後は、年齢からくる衰えを克服できず成績が落ち、{{by|2004年}}は一度調子を取り戻すも、{{by|2005年}}は54試合出場で打率.205と不本意な成績に終わったのを最後に現役引退。
しかし{{by|2001年}}、優勝請負人として三星に赴任した[[金応龍]](キム・ウンヨン)監督との確執で出場機会が減り、{{by|2002年}}に[[SKワイバーンズ]]にトレードされた。SK移籍後は、年齢からくる衰えを克服できず成績が落ち、{{by|2004年}}は一度調子を取り戻すも、{{by|2005年}}は54試合出場で打率.205と不本意な成績に終わったのを最後に現役引退。

2020年8月13日 (木) 02:40時点における版

金 杞泰
Kim Ki-Tae
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
出身地 光州広域市
生年月日 (1969-05-23) 1969年5月23日(55歳)
身長
体重
181 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1990年 特別指名
初出場 1991年4月8日
最終出場 2005年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
五輪 2000年
オリンピック
男子 野球
2000 シドニー 野球

金 杞泰(キム・キテ、ハングル김기태1969年5月23日 - )は、韓国光州広域市出身の元プロ野球選手内野手)、野球指導者。

来歴・人物

現役時代

大学時代から野球韓国代表の中心打者として活躍。大学4年生時の1990年サンバンウル・レイダースへ入団。新規参入球団である同球団の措置として新人ドラフトで1次指名と2次指名の間で行われた特別指名を受けてのものだった。

新人でありながら、当時、選手層の薄さで苦戦したチームの4番打者として早くも定着。27本塁打で当時までの新人最多本塁打および左打者シーズン最多本塁打の新記録を達成、打点2位などの活躍で新人王候補にもなった。しかし、記者投票では最優秀救援のタイトルを取ったチームメイトの曺圭帝に敗れ、2位で終わった。

それ以降、サンバンウルの中心打者として、また韓国プロ野球を代表する左の大砲としての地位を固める。1994年は最多本塁打のタイトルを、1997年には首位打者のタイトルを獲得。特に1994年の最多本塁打のタイトルで韓国プロ野球史上初めての左打者本塁打王となり、それまで「左打者は巧打者」という韓国プロ野球の常識を破った。チームの歴史を通じて、いつも貧弱だったサンバンウルの打線でより一層の存在感を持ち、相手からは「サンバンウルの打線は金杞泰さえ避ければ大丈夫」と徹底的に敬遠されて、何かあれば勝負を避けられた。そのお陰でシーズン3ケタ四球を2度も記録するなど、通算975四球を記録。また敬遠の数も歴代2位の129にあがり、サンバンウルに在籍した8年間で6度も二ケタ敬遠を記録した。それでも自分のリズムを崩さず、猛打を振るってきた。1996年、1997年は金星根(キム・ソングン)監督の下でポストシーズンも経験。

1998年にアジア経済危機で親会社が経営難に陥り、球団の運営にも陰りが見られた。それで、サンバンウルは主力選手を資金力が豊富だった現代ユニコーンズや三星ライオンズなどにトレードで出して、その代償でもらった資金で運営費に充てる羽目になった。これは、打線の中心だった彼にも例外ではなく、中継ぎの要で1996年はリリーフだけで20勝を挙げ、最多勝のタイトルを取ったこともあったチームメイトの金玄旭(キム・ヒョヌク)とともに金銭トレードで1998年シーズン終了後に三星ライオンズに移籍した。

三星では左の長距離砲として林昌勇(イム・チャンヨン)獲得のためヘテにトレードされた梁埈赫(ヤン・ジュンヒョク)の穴を埋める役割を果たした。また、2000年シドニーオリンピックの韓国代表に選ばれ、銅メダルを獲得した。

しかし2001年、優勝請負人として三星に赴任した金応龍(キム・ウンヨン)監督との確執で出場機会が減り、2002年SKワイバーンズにトレードされた。SK移籍後は、年齢からくる衰えを克服できず成績が落ち、2004年は一度調子を取り戻すも、2005年は54試合出場で打率.205と不本意な成績に終わったのを最後に現役引退。

引退後

引退後は指導者の道を歩み、2006年にSKからの派遣により阪神タイガースでコーチ研修を受けた後、李承燁(イ・スンヨプ)の紹介で、2007年読売ジャイアンツの育成コーチに就任。

2008年からは2年間、同チームの二軍打撃コーチを務めた。また同年行われた北京オリンピックでは韓国代表の打撃コーチを務めた。イースタン・リーグ チャレンジ・マッチの若手選手による連合チーム「フューチャーズ」と、巨人と千葉ロッテマリーンズとの連合チーム「シリウス」では監督も務めるなど、その指導力は高く評価された。

2010年からは韓国・LGツインズの二軍監督を務めてきたが、2011年7月一軍首席コーチに異動となった。そして2011年シーズン終了後、一軍監督への就任が発表された。契約期間は2012年より3年間。2013年、レギュラーシーズン2位でLGを11年ぶりにポストシーズンへ導いたが、プレーオフで斗山ベアーズに敗れた(年間順位は3位)。2014年4月23日、シーズン序盤にも関わらずLGが最下位に低迷したため突如辞任。2014年10月、起亜タイガースの監督に就任。2017年に起亜を8年ぶりのレギュラーシーズンと韓国シリーズ優勝に導いた。2019年5月16日、起亜が当時最下位に低迷していた責任を取って監督を辞任した[1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1991 サンバンウル 124 508 427 65 112 15 0 27 208 92 7 4 0 5 72 5 4 93 9 .262 .370 .487 .857
1992 123 525 398 86 120 28 3 31 247 96 5 7 0 5 114 18 8 84 11 .302 .461 .621 1.082
1993 96 395 317 36 76 17 2 9 124 43 11 5 0 4 73 8 1 57 7 .240 .380 .391 .771
1994 108 454 376 70 119 20 4 25 222 79 9 10 0 2 74 13 2 70 10 .316 .430 .590 1.020
1995 116 482 402 48 129 34 3 12 205 72 12 10 0 7 72 15 1 44 8 .321 .419 .510 .929
1996 91 366 310 47 92 17 3 12 151 53 3 6 0 2 54 20 0 48 9 .297 .399 .487 .886
1997 111 478 390 95 134 30 3 26 248 79 10 7 0 2 84 14 2 54 11 .344 .460 .636 1.096
1998 126 541 434 84 134 28 4 31 263 90 10 5 0 3 104 15 0 79 11 .309 .440 .606 1.046
1999 三星 130 560 468 82 137 33 2 28 258 88 5 4 1 3 82 6 6 95 9 .293 .403 .551 .954
2000 101 395 333 69 103 24 1 26 207 80 5 1 0 3 57 7 2 56 6 .309 .410 .622 1.032
2001 44 102 85 5 15 2 1 0 19 9 0 0 0 0 16 1 1 17 1 .176 .314 .224 .537
2002 SK 101 337 284 32 73 15 1 9 117 46 2 1 3 3 47 0 0 57 6 .257 .359 .412 .771
2003 93 265 236 32 69 7 0 3 85 18 2 2 1 1 27 0 0 30 4 .292 .364 .360 .724
2004 126 465 403 60 129 24 0 10 183 67 2 4 4 1 57 6 0 55 10 .320 .403 .454 .858
2005 54 130 112 5 23 4 0 0 27 11 0 0 2 1 15 1 0 23 4 .205 .297 .241 .538
通算:15年 1544 6003 4975 816 1465 298 27 249 2564 923 83 66 11 42 948 129 27 862 116 .294 .407 .515 .923
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

背番号

  • 3 (1991 - 1993年)
  • 10 (1994年 - 1999年、2002年 - 2005年)
  • 11 (2000年 - 2001年)
  • 130 (2007年)
  • 84 (2008年 - 2009年)
  • 71 (2010年 - 2011年)
  • 91 (2012年 - 2014年)
  • 77 (2015年 - 2019年)

脚注

関連項目

外部リンク