「彭筌」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
タグ: コメントアウト |
m Bot作業依頼: 「元晟ジン」→「元晟溱」の改名に伴うリンク修正他の依頼 (元晟溱) - log |
||
32行目: | 32行目: | ||
*[[農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦]] |
*[[農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦]] |
||
**2004年 0-1(○[[高尾紳路]]、×崔哲瀚) |
**2004年 0-1(○[[高尾紳路]]、×崔哲瀚) |
||
**2006年 5-1(○[[羽根直樹]]、○崔哲瀚、○[[今村俊也]]、○[[ |
**2006年 5-1(○[[羽根直樹]]、○崔哲瀚、○[[今村俊也]]、○[[元晟溱]]、○[[山田規三生]]、×[[朴永訓]]) |
||
**2007年 0-1(×羽根直樹) |
**2007年 0-1(×羽根直樹) |
||
2020年8月12日 (水) 21:41時点における最新版
彭 筌(ほう せん、彭荃、ペン・クァン、1985年11月9日 - )は、中国の囲碁棋士。貴州省出身、中国囲棋協会所属、劉小光九段門下、七段。全国囲棋個人戦準優勝2回、応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦ベスト4など。「小李昌鎬」の異名もある。
経歴
[編集]貴陽市に生まれ、父の影響で碁を覚え、6歳の時に区の囲碁訓練班に入る。1994年に母について北京へ行き、中国棋院を見学した際に劉小光に河南省チーム入りを推薦され、鄭州に移る。1995年に第1回全国少年戦のC組(11歳以下)で優勝。1996年初段、最年少12歳で国家囲棋少年隊入りを果たす。1999年に世界青少年囲碁選手権大会青年部で優勝。同年14歳で春蘭杯中国代表となり、車敏洙、劉昌赫を破って注目を集める。2001年名人戦ベスト8、天元戦ベスト4。
2002年五段、全国囲棋個人戦2位、新人王戦優勝。2003年、招商銀行杯に準優勝し、翌年テレビ囲碁アジア選手権戦出場。2005年春蘭杯3位。2006年農辛杯で5人抜きを達成、七段昇段。2009年名人戦ベスト4。2010年BCカード杯世界囲碁選手権ベスト16。2011年招商銀行杯ベスト4。2013年Mlily夢百合杯世界囲碁オープン戦ベスト32。
中国囲棋甲級リーグ戦では1999年から中信大三元チーム、その後、浙江、北京新興地産などで出場。2009年は貴州チーム主将戦10勝4敗で主将最高勝率、2014年から遼寧チームでコーチ兼任。中国棋士ランキングでは、2003年7位。
タイトル歴
[編集]- 新人王戦 2002年
その他の棋歴
[編集]国際棋戦
- 春蘭杯世界囲碁選手権戦 3位 2004年(○周俊勲、○劉昌赫、○王立誠、×周鶴洋、○胡耀宇)、4位 2006年(○高根台、○周鶴洋、×常昊、×謝赫)、ベスト8 2002年(○車敏洙、○劉昌赫、×依田紀基)
- 応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦 ベスト4 2004年(○王立誠、○依田紀基、○周鶴洋、1-2 崔哲瀚)
- トヨタ&デンソー杯囲碁世界王座戦 ベスト8 2006年(○チュエン・クオ、○崔哲瀚、×李昌鎬)
- 中韓新人王対抗戦
- 2002年 1-2 李世乭
- 農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦
国内棋戦
- 全国囲棋個人戦 2位 2002、03年
- 招商銀行杯中国囲棋電視快棋戦 準優勝 2003年
- 全国体育大会 男子個人戦4位 2002年
- 全国智力運動会 2009年男子快棋戦4位・男子団体戦5位(貴州チーム)
- 中国囲棋甲級リーグ戦
- 1999年(中信大三元)
- 2000年(中信大三元)
- 2001年(中信大三元)
- 2002年(浙江新湖)
- 2003年(北京大興)
- 2004年(北京新興地産)15-6
- 2005年(北京新興地産)9-13
- 2006年(北京新興地産)
- 2007年(新興地産)14-8
- 2008年(新興地産)12-10
- 2009年(貴州百魂)13-9
- 2010年(遼寧覚華島)12-10
- 2011年(遼寧覚華島)11-11
- 2012年(遼寧覚華島)9-9
- 2013年(遼寧覚華島)11-8
- 2014年(遼寧覚華島)4-8(コーチ兼任)