「尾上多見太郎」の版間の差分
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*[[剣豪悲節]](1927年<!--9月24日-->) - '''御堂大舞(主演)''' |
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*[[建国史 尊王攘夷]](尊王攘夷)(1927年<!--10月1日-->) - 有村治左衛門 |
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*[[弥次㐂多 尊王の巻]](1927年<!--12月31日-->) - 近藤勇 |
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=== 日活太秦撮影所 === |
=== 日活太秦撮影所 === |
2020年8月12日 (水) 21:35時点における版
おのえ たみたろう 尾上 多見太郎 | |
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本名 | 尾上 民美男 (おのえ たみお) |
別名義 | 尾上 多見太朗 |
生年月日 | 1892年6月 |
没年月日 | 不詳年 |
出生地 | 日本 大阪府大阪市 |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 新派、劇映画(時代劇・現代劇、剣戟映画、サイレント映画・トーキー) |
活動期間 | 1906年 - 1946年 |
主な作品 | |
『千葉周作』 『毒竜』 『慈悲狂刃』 |
尾上 多見太郎(おのえ たみたろう、1892年6月 - 1940年代)は、日本の俳優である[1][2][3][4]。本名は尾上 民美男(おのえ たみお)[1][2][3][4]。旧芸名は尾上 多見太朗(読み同じ)。戦前、日活大将軍撮影所などで多数の時代劇に悪役俳優として活躍した一人である[1][3]。
来歴・人物
1892年(明治25年)6月、大阪府大阪市に生まれる[1][2][3][4]。
1906年(明治39年)、14歳で第二成美団に入団し大阪朝日座で初舞台を踏む[1][2][3][4]。1910年(明治43年)、神戸相生座や大阪松島八千代座に出勤していたが、1925年(大正14年)、日活大将軍撮影所に入社、とされている[1][3][4]。1929年(昭和4年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』(映画世界社)では1924年(大正13年)7月に日活入社としている[2]。同年10月13日、築山光吉監督映画『義刃』で映画デビューして以来、河部五郎、尾上松之助、谷崎十郎主演映画の悪役俳優として頭角を現し、人々から声援を送られるほどの注目を集める[1][2][3][4]。また、日活の数え歌に「五つとや、いつも悪役ひきうけて、やんやといわれる多見太郎」とも唄われていた[4]。同社もそれを無視できず、1927年(昭和2年)1月14日に公開された辻吉郎監督映画『千葉周作』を始め十本以上の映画を手掛けたが、成功には至らなかった[1]。
1935年(昭和10年)、尾上多見太朗名義で実演活動をしていたが、1938年(昭和13年)に松竹下加茂撮影所へ移籍する[1][3][4]。以降は脇役がほとんどであったが、1939年(昭和14年)10月10日に公開された溝口健二監督映画『残菊物語』で関西歌舞伎の名門尾上多見蔵役など、多数の作品に出演。「うなぎ」とあだ名され、若い頃は澤村訥子型の猛優ぶりを発揮したという[1]。
戦後に出演した作品は、1946年(昭和21年)2月28日に公開されたマキノ正博(後のマキノ雅弘)監督映画『粋な風来坊』と、同年12月15日に公開された溝口健二監督映画『歌麿をめぐる五人の女』の2本のみであり、同作品に出演後間もなく死去したという[1][3][4]。没年不詳。
出演作品
日活大将軍撮影所
全て製作は日活大将軍撮影所、配給は日活、全てサイレント映画である。
- 義刃(1925年) ※デビュー作[1][2][3]
- 黒巾十六騎(1925年) - 細山城主荒川五郎左衛門
- 荒木又右衛門(1925年) - 阿部四郎五郎
- 愛国の血刃(1925年) - 近藤勇
- 祐天吉松(1925年) - 役名不明
- 丸橋忠彌(1925年) - 金井半兵衛
- 乱世の雄(1926年) - 陳幕又十郎
- 修羅八荒 第一篇(1926年) - 陣場弥十郎
- 修羅八荒 第二篇(1926年) - 陣場弥十郎
- 孔雀の光 第一篇(1926年) - 多田源左衛門
- 梁川庄八(1926年) - 伊達政宗公
- 孔雀の光 第二篇(1926年) - 多田源左衛門
- 実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻(1926年) - 武林唯七隆重
- 修羅八荒 第三篇(1926年) - 陣場弥十郎
- 忍術一夜大名(1926年) - 赤熊大五郎
- 修羅八荒 第四篇(1926年) - 陣場弥十郎
- 金子市之丞(1926年) - 金子市之丞(主演)
- 剣は怒る(1926年) - 高田重三郎
- 慈悲心中ヶ丘(1926年) - 近藤勇
- 義に鳴く虎徹(1926年) - 芹沢鴨
- 侠骨三日月 前篇(1926年) - 平塚藤左衛門
- 修羅八荒 第五篇(1926年) - 陣場弥十郎
- 日出づる国の武士(1926年) - 志士古高俊太郎
- 修羅八荒 最終篇(1926年) - 陣場弥十郎
- 駄々っ児羅漢(だゝっ児羅漢)(1926年) - 水野十郎左衛門
- 月形半平太(1926年) - 藤岡九十郎
- 水戸黄門(1926年) - 渥美格之丞
- 鳴門秘帖 第一篇(1926年) - お十夜孫兵衛
- 剣侠(1926年) - 役名不明
- 鳴門秘帖 第二篇(1926年) - お十夜孫兵衛
- 修羅王 前後篇(1926年) - 矢代傳五郎
- 千葉周作(1927年) - 千葉周作(主演)
- 鳴門秘帖 第三篇(1927年) - お十夜孫兵衛
- 鬼傑の叫び(1927年) - 飯田市十郎
- 獅子吼(大和武士)(1927年) - 土方歳三
- 妙法院勘八 第一篇(1927年) - 神祇組・菅野左源太
- 妙法院勘八 第二篇(1927年) - 神祇組・菅野左源太
- 大久保彦左衛門(1927年) - 兼松又四郎
- 毒龍(毒竜)(1927年) - 稲葉小僧(主演)
- 鳴門秘帖 第四篇(1927年) - お十夜孫兵衛
- 鳴門秘帖 第五篇(1927年) - お十夜孫兵衛
- 慈悲狂刃(1927年) - 大月左馬之助信康(主演)
- 辰巳嵐(1927年) - 主演
- 落武者(1927年) - 大谷大三郎信行(主演)
- 地雷火組 第一篇(1927年) - 目明し金助
- 地雷火組 第二篇(1927年) - 目明し金助
- 鳴門秘帖 第六篇(1927年) - お十夜孫兵衛
- 増補改訂忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻(1927年) - 武林唯七隆重
- 鳴門秘帖 最終篇(1927年) - お十夜孫兵衛
- 剣豪悲節(1927年) - 御堂大舞(主演)
- 建国史 尊王攘夷(尊王攘夷)(1927年) - 有村治左衛門
- 弥次㐂多 尊王の巻(1927年) - 近藤勇
日活太秦撮影所
全て製作は日活太秦撮影所、配給は日活、全てサイレント映画である。
- 弥次喜多 韋駄天の巻(1928年) - 近藤勇
- 弥次喜多 伏見鳥羽の巻(1928年) - 近藤勇
- 無宿の大名(1928年) - 主演
- 俵星玄蕃(1928年) - 主演
- 続水戸黄門(1928年) - 渥美格之丞
- 享保借春賦(1928年) - 一色虎次郎(主演)
フリーランス
特筆以外は全てサイレント映画である。
- 浪人の行く道(1933年) - 倉地周馬
- 荒木又右衛門 天下の伊賀越(1934年) - 柳生但馬守 ※トーキー
松竹下加茂撮影所
特筆以外、全て製作は松竹下加茂撮影所、配給は松竹、以降全てトーキーである。
- 奴銀平(1938年) - 大槻主師匠
- 虹晴れ街道(1939年) - 重右衛門
- 残菊物語(1939年) - 尾上多見蔵
- 仇討恋人形(1940年) - 桐竹紋兵衛
- 芸道一代男(1941年) - 扇屋の親類
- 元禄女(1941年) - 荻田主馬
- 北方に鐘が鳴る(1943年) - 役名不明
- 団十郎三代(1944年) - 天満屋
松竹京都撮影所
全て製作は松竹京都撮影所、配給は松竹である。
- 粋な風来坊(1946年) - 仙右衛門
- 歌麿をめぐる五人の女(1946年) - 松平周防守