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;1927年
;1927年
* 『[[建国史 尊王攘夷]]』 : 監督池田富保 - 役・関鉄之助
* 『[[建国史 尊王攘夷]]』 : 監督池田富保 - 役・関鉄之助
* 『[[弥次多 尊王の巻]]』 : 監督池田富保 - 役・山嵐団六
* 『[[弥次多 尊王の巻]]』 : 監督池田富保 - 役・山嵐団六
;1928年
;1928年
* 『[[弥次喜多 韋駄天の巻]]』 : 監督池田富保 - 役・山嵐団六
* 『[[弥次喜多 韋駄天の巻]]』 : 監督池田富保 - 役・山嵐団六

2020年8月12日 (水) 21:35時点における版

にいづま しろう
新妻 四郎
新妻 四郎
別名義 新妻 英助 (にいづま えいすけ)
生年月日 (1898-08-15) 1898年8月15日
没年月日 (1951-05-29) 1951年5月29日(52歳没)
出生地 日本の旗 日本福島県
職業 俳優、元映画製作庶務
ジャンル 劇映画時代劇現代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1920年 - 1949年
活動内容 1920年 日活大将軍撮影所庶務係
1925年 俳優に転向
1927年 移転により日活太秦撮影所に継続所属
1933年 松竹下加茂撮影所移籍
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新妻 四郎(にいづま しろう、1898年[1][2]8月15日 - 1951年5月29日)は、日本の俳優である。元映画製作庶務から俳優に抜擢された。新妻 英助(にいづま えいすけ)とも名乗った[3]

人物・来歴

1898年(明治31年)8月15日福島県に生まれる[1][2]

1920年(大正9年)、京都の日活大将軍撮影所に入社、庶務係に配属される[2]。1925年(大正14年)、その体躯が気に入られ[2]社員から俳優となり、尾上卯多五郎主演、池田富保監督のサイレント映画フラフラ豪傑』の黒雲魔太郎役[3]に抜擢される[2]。同作は同年3月20日に公開され[4]、満26歳での映画俳優デビューとなった。「髭の大男」として人気を得る[2]。1926年(大正15年)、池田富保監督の『実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻』で初めて「不破数右衛門」を演じ、以降、同作も含めて5回演じるあたり役となった[3]

1930年(昭和5年)、池田富保監督の『元禄快挙 大忠臣蔵 天変の巻 地動の巻』から新妻英助と改名、1933年(昭和8年)、犬塚稔監督の『長脇差風景』を最後に日活を去るまで名乗った。同年、松竹下加茂撮影所に移籍[2][3]、芸名を新妻四郎に戻す[5]

第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)にマキノ正博監督の『粋な風来坊[1][2]、翌1947年(昭和22年)には高木孝一監督の『モデルと若様』といった松竹京都撮影所製作の作品に出演した[1]

以降の経歴・消息は不明とされていた[2]が、1951年(昭和26年)5月29日、死去した。満52歳没。

フィルモグラフィ

すべて出演である[3]。特筆以外は「新妻四郎」名義[3]

日活大将軍撮影所

1925年
1926年
1927年

日活太秦撮影所

1927年
1928年
1929年
1930年
1931年
1932年
1933年

松竹下加茂撮影所

1933年
1934年
1935年
写真左、松竹館に『あさぎり峠』の幟が見える。
1936年
1937年
1938年
1939年
1940年
1941年
1943年
1944年

松竹京都撮影所

  1. ^ a b c d e f 新妻四郎、キネマ旬報映画データベース、2010年2月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月、「新妻四郎」の項。
  3. ^ a b c d e f 新妻英助、日本映画データベース、2010年2月18日閲覧。
  4. ^ フラフラ豪傑、日本映画データベース、2010年2月18日閲覧。
  5. ^ 侠客春雨傘、日本映画データベース、2010年2月18日閲覧。

外部リンク