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「東海道中膝栗毛」の版間の差分

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*[[弥次喜多隠密道中]]
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*[[弥次多 (1927年の映画)]]
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*[[弥次喜多道中記]]
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*[[彌次喜多 名君初上り]]
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2020年8月12日 (水) 21:34時点における版

弥次さんと喜多さんの像
京都三条大橋

東海道中膝栗毛』(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、1802年享和2年)から1814年文化11年)にかけて初刷りされた、十返舎一九滑稽本である。「栗毛」は栗色の馬。「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。

大当たりして、今に至るまで読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八、繋げて『弥次喜多』は、派生する娯楽メディア類に、なお活躍している。文学的な価値とともに、文才とともに絵心のあった作者による挿絵が多く挿入され、江戸時代の東海道旅行の実状を記録する、貴重な資料でもある。

一般的には上記の『弥次喜多』あるいは『弥次喜多道中』の通称で親しまれている。

あらすじ

本作は、弥次喜多の旅行記の形式をとる。

江戸神田八丁堀の住人、栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ)と、居候の喜多八(きたはち)は、妻と死別したり、仕事上の失敗から勤務先を解雇されるなど、それぞれの人生で思うにまかせぬ不運が続き、つまらぬ身の上に飽き果て、厄落としにお伊勢参りの旅に出ることを決意した。身上を整理して財産をふろしき包み一つにまとめ、旅立った二人は、東海道江戸から伊勢神宮へ、さらに京都大坂へとめぐる。京都、大阪にいき、そののち続編に入る。二人は四国に行き、讃岐の金比羅神社を参詣し、中国に行き、宮島を見物し、そこから引き返して木曾街道を東に、善光寺を参詣し、草津温泉に行き、江戸に帰着する。2人は道中で、狂歌洒落・冗談をかわし合い、いたずらを働いては失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを起こす。

登場人物の紹介

弥次郎兵衛(左)喜多八(右)
駿府城・2012年9月)
弥次郎兵衛(やじろべえ)
東海道の旅に出発当時数え歳50歳(満49歳)。屋号は「栃面屋」。肥っていて、作者によると「のらくら者」「ただのおやじ也」という。作中では下俗で軽薄な性格設定がされているが、一方で楽器を演奏し、古今の書籍に通暁し、狂歌漢詩、また法律文書も自在に作成するなどきわめて教養の高い人物として描かれる。駿河国府中(現・静岡市)出身、実家は裕福な商家であったが遊蕩が過ぎて作った借金がもとで江戸に夜逃げし「借金は富士の山ほどある故に、そこで夜逃を駿河者かな」と身の上を詠んでいる。江戸では神田八丁堀の長屋密陀絵などを製作して生活していた。
喜多八(または北八)「きたはち」
出発当時数えで30歳(満29歳)。弥次郎兵衛の居候。元々は弥次郎兵衛の馴染みの陰間であったが、弥次郎兵衛とともに江戸に駆け落ちしてくる。ある商家に使用人として奉公したが、使い込みをした上に、女主人に言い寄ろうとして嫌われ、解雇されて行き場を失い、弥次さんとともに旅立つ。

経緯

一九は1795年寛政7年)から、職業作家として多くの黄表紙ほかを出していたが、まだ大ヒットはなかった。この滑稽本の初編は、1802年享和2年)正月に、村田屋治郎兵衛が出版した。一九が、挿絵を描き、版下の清書もするという安直さに、乗ったらしい。

名所・名物紹介に終始していた従来の紀行物と違い、旅先での失敗談や庶民の生活・文化を描いた本書は絶大な人気を博し、翌年に続編を出した。書名はそれぞれ『浮世道中 膝栗毛』『道中膝栗毛 後篇 乾坤』で、『東海道中 膝栗毛』の外題になったのは、つぎの第3編からであった。そして、『東海道中』シリーズは、1809年文化6年)の第8編(大阪見物)で一段落したが、1814年(文化11年)に、旅立ちの発端(はじまり)の編が、追いかけて出された。序編が、最後に書かれたのである。

一九は、頻繁に取材の旅をしたが、京都は未見で、『名所図会』などによったのではと言われる。狂歌が多くはさまれている。狂言浄瑠璃歌舞伎浮世草子落語川柳などに関する彼の素養が、篇中に生かされている。長編としての一貫性がととのっているとは、言い難い。

本書は初出版から完結まで何年もかかっているが、記述された弥次喜多の江戸から大坂までの旅のストーリーの時間軸は、13日間である。一九はさらに後続の『続膝栗毛』シリーズを書き、弥次喜多は、金比羅宮嶋木曾安曇野善光寺草津温泉中山道へと膝栗毛する。『続膝栗毛』1810年(文化7年)から1822年文政5年)にかけて刊行され21年後にようやく完結した。さらに日光東照宮に向かう『続々膝栗毛』も書かれたが、こちらは作者の死去により未完に終わった。

出版の経年的なデータを、次節にまとめる。

版元は、第4編まで『通油町 村田屋治郎兵衛』であったが、第5 - 8編には、江戸の『本石町二丁目 西村源六』・『通油町 靏屋喜右衛門』と、大阪の『心斎橋唐物町 河内屋太助』も加わり、後発の『発端』のそれは、『馬喰町二丁目角 西村屋與八』であった。『通油町』は、現在の中央区日本橋大伝馬町である。

挿絵は、『発端』の喜多川式麿のほかは、ほとんど一九の自画である。

1809年(文化6年)発行の第8編末の広告に、「版木が減ったので、初編を再板」する旨が、すでに記されている。ヒット作ゆえに、古版木を加工したり、版木を彫りなおしたりの異本は多く、1862年文久2年)の改版が知られ、その後も翻刻が重ねられて来た。

初刷本のデータ

東海道中膝栗毛

  • 1802年享和2年):『浮世道中 膝栗毛』(品川 - 箱根)(戸塚、小田原、箱根で宿泊)
  • 1803年(享和3年):『道中膝栗毛 後篇 乾坤』(箱根 - 蒲原)(蒲原 - 岡部)(三島、蒲原、府中、岡部で宿泊)
  • 1804年文化元年):『東海道中膝栗毛 三編 上下』(岡部 - 日坂)(日坂 - 新居)(日坂で宿泊)
  • 1805年(文化2年):『東海道中膝栗毛 四編 上下』(新居 - 赤坂)(赤坂 - 桑名)(赤坂、桑名で宿泊)
  • 1806年(文化3年):『東海道中膝栗毛 五編 上 下 追加』(桑名 - 追分)(追分 - 山田)(伊勢めぐり)、(歌川豊国の口絵)
  • 1807年(文化4年):『東海道中膝栗毛 六編 上下』(伏見 - 京都)(京都めぐり)、(歌川豊国の口絵)
  • 1808年(文化5年):『東海道中膝栗毛 七編 上下』(京都めぐり)(京都めぐり)、(勝川春亭の口絵)
  • 1809年(文化6年)『東海道中膝栗毛 八編 上中下』(大阪見物)(大阪見物)(生玉 - 住吉)、(喜多川式麿と北川美丸の口絵、喜多川月麿の挿絵、1葉ずつ、他は自画)
  • 1814年(文化11年):『東海道中膝栗毛 発端』(喜多川式麿画)

続膝栗毛

  • 1810年(文化7年):『金比羅参詣 続膝栗毛 初編 上下』(月麿・式麿画、自画)、村田屋治郎兵衛
  • 1811年(文化8年):『宮嶋参詣 続膝栗毛 二編 上下』(葛飾北斎口絵、自画)、村田屋治郎兵衛
  • 1812年(文化9年):『木曾街道 続膝栗毛 三編 上下』(月麿・式麿画)、西村屋與八
  • 1813年(文化10年):『木蘇街道 続膝栗毛 四編 上下』(月麿画)、西村屋與八
  • 1814年(文化11年):『木曾街道 続膝栗毛 五編 上下』(月麿・式麿画)、河内屋太助、森屋治兵衛、西村屋與八
  • 1815年(文化12年):『木曾街道 続膝栗毛 六編 上下』(式麿画)、鶴屋金助
  • 1816年(文化13年)
    • 『岐曾続膝栗毛 七編 上下』(二世喜多川歌麿の口絵)、鶴屋金助
    • 『従木曾路善光寺道 続膝栗毛 八編 上下』(二世歌麿の口絵)、鶴屋金助
  • 1819年文政2年):『続膝栗毛 九編 上下』(善光寺道中)(渓斎英泉の口絵)、伊藤與兵衛
  • 1820年(文政3年):『続膝栗毛 十編 上下』(上州草津温泉道中)(勝川春亭の口絵)、伊藤与兵衛
  • 1821年(文政4年):『続膝栗毛 十一編 上下』(中山道中)(春亭の口絵)、伊藤與兵衛
  • 1822年(文政5年):『続膝栗毛 十二編 上中下』(中山道中)(自画)、伊藤與兵衛

最近の出版

原著

現代語訳

  • 村松友視の東海道中膝栗毛:講談社(2001)、 ISBN 9784062545556
  • 谷真介訳:ポプラ社 21世紀によむ日本の古典18 東海道中膝栗毛(2002)、ISBN 9784591071434

マンガ化

膝栗毛物

『東海道中膝栗毛』からヒントを得た作品は多数存在する。過去の娯楽小説を調査している山下泰平[1]によれば、明治期には弥次喜多が月世界や人体内部を旅するパロディ作品が多数刊行されたという[2]

出典

ウェブ情報のほか、上記『最近の出版』、『原著』の項の、図書3冊。および、

  • 山崎麓編:日本文学大系25 日本小説書目年表、国民図書 (1929)
  • 田辺聖子:「東海道中膝栗毛」を旅しよう(講談社文庫 古典を歩く)

脚注

関連項目

後世の二次創作

外部リンク