「紀元前8世紀」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
108行目: | 108行目: | ||
* [[幽王 (周)|幽王]](? - [[紀元前771年|前771年]]) - [[周|西周]]の第12代の王(在位[[紀元前781年|前781年]] - [[紀元前771年|前771年]]) |
* [[幽王 (周)|幽王]](? - [[紀元前771年|前771年]]) - [[周|西周]]の第12代の王(在位[[紀元前781年|前781年]] - [[紀元前771年|前771年]]) |
||
* [[褒姒]](前8世紀前半) - 周の幽王の后・申后に代わり后にされる・絶世の美女で亡国の原因とされる |
* [[褒姒]](前8世紀前半) - 周の幽王の后・申后に代わり后にされる・絶世の美女で亡国の原因とされる |
||
* [[ |
* [[虢石父]](? - [[紀元前771年|前771年]]) - 周の王族・虢の君主・幽王に遊興を勧め亡国の因をなしたか |
||
* 申侯(前8世紀前半) - 周の諸侯・娘は幽王の后(申后)・[[犬戎]]と結んで幽王を倒し平王を擁立 |
* 申侯(前8世紀前半) - 周の諸侯・娘は幽王の后(申后)・[[犬戎]]と結んで幽王を倒し平王を擁立 |
||
* [[平王 (周)|平王]](? - [[紀元前720年|前720年]]) - 東周の初代(周の第13代)の王(在位[[紀元前771年|前771年]] - [[紀元前720年|前720年]]) |
* [[平王 (周)|平王]](? - [[紀元前720年|前720年]]) - 東周の初代(周の第13代)の王(在位[[紀元前771年|前771年]] - [[紀元前720年|前720年]]) |
2020年8月12日 (水) 07:42時点における版
千年紀: | 紀元前1千年紀 |
---|---|
世紀: | 前9世紀 - 紀元前8世紀 - 前7世紀 |
紀元前8世紀(きげんぜんはちせいき、きげんぜんはっせいき)は、西暦による紀元前800年から紀元前701年までの100年間を指す世紀。
できごと
紀元前800年代
- 紀元前800年頃
- 紀元前800-500年頃 - 古散文ウパニシャッド文献が成立する。
- 最古層の『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』が代表とされる。
紀元前780年代
- 紀元前780年 - 周で涇水・渭水・洛水の三川の水が涸れて岐山が崩れる大地震が発生(三川岐山地震)。
紀元前770年代
紀元前760年代
- 紀元前763年
- 6月15日 - アッシリア王アッシュール・ダン3世が日食を記録した。
- それを天文学的に割り出すと正確な日付が特定できたため、アッシリア年代学の基点となっている。
- 6月15日 - アッシリア王アッシュール・ダン3世が日食を記録した。
紀元前750年代
- 紀元前756年 - 洛邑の平王が鎬京の携王を倒し、周の王統は統一される。
- 紀元前753年
- 紀元前753年頃
- アッシュール・ニラリ5世が遠征によりアルパド王マティールを服属させる。
- 紀元前8世紀半ば
紀元前740年代
- 紀元前743年 - 第一次メッセニア戦争始まる( - 紀元前724年)。
- 紀元前743年頃
- 紀元前740年 - アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がシリアのアルパドを陥落させる。
- 紀元前740年頃 - ギリシア文字の最古級の銘文である「ディピュロンの銘文」が刻まれた酒注ぎ(オイコノエ)が作られる(アテネ国立考古学博物館蔵)。
紀元前730年代
- 紀元前735年 - アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がウラルトゥ王サルドゥリ2世に勝利し都のトゥシュパ(ヴァン)を攻撃。
- 紀元前734年頃 - ギリシアのコリントス人によりシチリア島に植民市シュラクサイが建設される。
- 紀元前732年 - アッシリア王ティグラト・ピレセル3世によるシリア・エフライム戦争。地中海東岸のダマスコ・サマリアなどを征服。
紀元前720年代
- 紀元前729年 - アッシリア王ティグラト・ピレセル3世によるバビロニア遠征。ナブー・ムキン・ゼリを打倒しバビロンを占領。
- 紀元前728年 - メディアの初代国王デイオケスが即位し、都のエクバタナを建設する。
- 紀元前727年 - ヌビア人の王ピアンキが全エジプトを占領。
- 紀元前724年 - イトメ山の戦いでのメッセニア王アリストデモスが自殺。スパルタが勝利しメッセニアを占領。
- 紀元前722年 - 魯の隠公元年。この年より『春秋』の記述が始まる。
- 紀元前721年 - アッシリア王サルゴン2世によりイスラエル王国が滅亡する。イスラエル10部族のアッシリア捕囚。
紀元前710年代
- 紀元前719年 - 衛の公子州吁が兄の桓公を殺害し君主となる。
- 紀元前717年 - アッシリア王サルゴン2世がカルフ(ニムルド)からドゥル・シャルキン(コルサバド遺跡)へ遷都。
- 紀元前716年頃 - リュディアでヘラクレス家のカンダウレス王に代わり、メルムナス家のギュゲスが王になる。
- 紀元前716年 - ローマ王ロームルスが死去し、サビニ人ヌマ・ポンピリウスが第2代ローマ王に選出される。
- 紀元前714年 - アッシリア王サルゴン2世によりウラルトゥ王ルサ1世が大敗しムサシルが陥落する。
- 紀元前713年 - アッシリア王サルゴン2世が新ヒッタイト系のタバル王国を制圧する。
- 紀元前710年頃 - レラントス戦争によりハルキスとエレトリアがエウボイアの覇権をめぐり激突( - 紀元前650年頃)
紀元前700年代
- 紀元前709年
- 紀元前707年 - 東周の桓王が蔡・衛・陳と連合して鄭を攻撃したが撃退される(繻葛の戦い)。
- 鄭の荘公はこの戦いで威信を高め「春秋の小覇」と呼ばれた。対して周王室の力の衰えが明らかになった。
- 紀元前706年 - スパルタのパルテニアイらによるタラス(イタリア半島南端の現タレントゥム)植民市の建設。
- 紀元前705年 - アッシリア王サルゴン2世死去。後継のセンナケリブはドゥル・シャルキンからニネヴェへ遷都。
- 紀元前703年 - アッシリア王センナケリブがバビロニア王メロダク・バルアダン2世を倒し、傀儡政権を擁立するがバビロニアの政情は不安定。
- 紀元前700年以前 - フリギア王国の都ゴルディオン(トルコのヤッスホユック遺跡)に「ミダス王の墓」が建てられる。
- 紀元前700年頃 - ヘシオドスの『神統記』『仕事と日』が成立。
人物
中国
- 幽王(? - 前771年) - 西周の第12代の王(在位前781年 - 前771年)
- 褒姒(前8世紀前半) - 周の幽王の后・申后に代わり后にされる・絶世の美女で亡国の原因とされる
- 虢石父(? - 前771年) - 周の王族・虢の君主・幽王に遊興を勧め亡国の因をなしたか
- 申侯(前8世紀前半) - 周の諸侯・娘は幽王の后(申后)・犬戎と結んで幽王を倒し平王を擁立
- 平王(? - 前720年) - 東周の初代(周の第13代)の王(在位前771年 - 前720年)
- 襄公(? - 前766年) - 西周から東周の秦の初代君主(在位前777年 - 前766年)
- 文侯(前807年 - 前746年) - 西周から東周の晋の君主(在位前780年 - 前746年)
- 武公(? - 前744年) - 春秋時代初期の鄭の君主(在位前770年 - 前744年)
- 荘公(? - 前701年) - 春秋時代初期の鄭の君主(在位前743年 - 前701年)
王政ローマ
ギリシア
- リュクルゴス(前820年頃 - 前730年頃?) - スパルタの伝説的立法者・軍国主義制度を確立
- アリストデモス(在位前744年? - 前724年?) - メッセニア最後の王・第一次メッセニア戦争で敗北
- テオポンポス(在位前720年 - 前675年) - スパルタ王・第一次メッセニア戦争では将軍として活躍
- ホメロス(前8世紀) - イオニア出身の詩人(アオイドス)・『イリアス』『オデュッセイア』の伝統的作者
- エリスのイピトス(前8世紀) - エリスの王・デルポイの神託によりオリュンピア祭競技を行う
- エリスのコロイボス(前8世紀) - ギリシアの陸上選手・最古のオリュンピア祭競技のスタディオン走の優勝者
- ヘシオドス(前8世紀頃 - 前7世紀頃) - アスクラの詩人・『仕事と日』『神統記』などがある
オリエント
- ミダース(前8世紀後期) - アナトリアのフリギアの王
- ヒゼキヤ(? - 前687年) - ユダ王国の王(在位前715年 - 前687年)
- イザヤ(前8世紀) - 旧約聖書『イザヤ書』に登場するユダ王国の預言者
- ヨナ(前8世紀) - 旧約聖書『ヨナ書』に登場するイスラエル王国の預言者
- ティグラト・ピレセル3世(? - 前727年) - アッシリアの王(在位前744年 - 前727年)
- サルゴン2世(? - 前705年) - アッシリアの王(在位前722年 - 前705年)
- ルサ1世(? - 前714年) - ウラルトゥの王(在位前735年頃 - 前714年)
- ピアンキ(? - 前716年) - ヌビアの王・エジプト第25王朝のファラオ(在位前747年 - 前716年)
南アジア
- ウッダーラカ・アールニ(生没年不詳) - 古代インドのウパニシャッドの哲人・ヤージュニャヴァルキヤの師
技術・社会
- この頃日本で弥生時代が始まる(確定していない)。中国の戦乱の余波を受け、中国から日本に移住が続いたことが想定されている。また古事記、日本書紀によると、紀元前771年に神武天皇が生まれたとされている。(日本神話)
脚注
注釈
出典