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[[慶應義塾普通部]]を経て[[慶應義塾大学]]に進学。同大学では[[慶應義塾體育會蹴球部|ラグビー部]]で活動し、日本代表として初のキャップ対象試合となった、[[1930年]][[9月24日]]に[[カナダ]]、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]で行われた[[ブリティッシュコロンビア州]]代表戦に[[ラグビーのポジション#フロントロー|プロップ(PR)]]のポジションで出場した<ref>ザ・ワールドラグビー(大友信彦 編、[[新潮社]]、ISBN 4104627011)の48ページ</ref>。ちなみに、矢飼は日本代表選手のキャップ認定第一号選手である。
[[慶應義塾普通部]]を経て[[慶應義塾大学]]に進学。同大学では[[慶應義塾體育會蹴球部|ラグビー部]]で活動し、日本代表として初のキャップ対象試合となった、[[1930年]][[9月24日]]に[[カナダ]]、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]で行われた[[ブリティッシュコロンビア州]]代表戦に[[ラグビーのポジション#フロントロー|プロップ(PR)]]のポジションで出場した<ref>ザ・ワールドラグビー(大友信彦 編、[[新潮社]]、ISBN 4104627011)の48ページ</ref>。ちなみに、矢飼は日本代表選手のキャップ認定第一号選手である。


その後、[[昭和シェル石油|昭和石油]]専務、[[日本精]]社長等を歴任した。
その後、[[昭和シェル石油|昭和石油]]専務、[[日本精]]社長等を歴任した。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年8月12日 (水) 04:51時点における版

矢飼 督之(やがい よしゆき、1909年6月27日 - 1974年6月26日)は、島根県出身の会社社長、元ラグビー選手日本代表キャップは1。

来歴

慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学に進学。同大学ではラグビー部で活動し、日本代表として初のキャップ対象試合となった、1930年9月24日カナダバンクーバーで行われたブリティッシュコロンビア州代表戦にプロップ(PR)のポジションで出場した[1]。ちなみに、矢飼は日本代表選手のキャップ認定第一号選手である。

その後、昭和石油専務、日本精蠟社長等を歴任した。

脚注

  1. ^ ザ・ワールドラグビー(大友信彦 編、新潮社ISBN 4104627011)の48ページ

参考文献

関連人物

関連項目