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2020年8月12日 (水) 04:50時点における版
第一高等学校・東京大学弁論部(だいいちこうとうがっこう・とうきょうだいがくべんろんぶ)は、東京大学に存在する弁論部である。
概要
第一高等学校・東京大学弁論部は東京大学で唯一の弁論部である。1889年に発足した第一高等学校弁論部の伝統を引き継ぐ形で戦後の新生東京大学設置以来、駒場キャンパスを拠点に活動している。
現在では弁論のほか、ディベート、読書会を主要な活動内容に掲げており、毎年「東京大学総長杯争奪全国学生弁論大会」と「五月祭記念弁論大会」を開催している。
OB・OG会である縦の会は第一高等学校時代から現在に至る卒部生が参加している。
沿革
- 1889年(明治22年) - 前身の第一高等学校弁論部が発足。
- 1911年(明治44年) - 弁論部大会で作家の徳富蘆花が『謀反論』の講演を行う[1]。
- 1977年(昭和52年) - 法学部緑会加盟サークルとして、本郷キャンパスに部室を設置。
- 1979年(昭和54年) - OB会誌「縦の論壇」創刊。(以降毎年発刊)
主な出身者
政治家
- 岩崎勲(元衆議院議員)
- 前田多門(元衆議院議員・元文部大臣)
- 鶴見祐輔(元衆議院議員・元厚生大臣)
- 芦田均(第47代内閣総理大臣)
- 橋本龍伍(元衆議院議員・元文部大臣・元厚生大臣)
- 河上丈太郎(元衆議院議員・元日本社会党委員長)
- 原彪(元衆議院議員・第36代衆議院副議長)
- 前尾繁三郎(第57・58代衆議院議長)
- 山下元利(元衆議院議員・元防衛庁長官)
- 津島雄二(元衆議院議員。元厚生大臣)
- 阿部孝夫(元川崎市長)
- 古田肇(岐阜県知事)
- 村上誠一郎(衆議院議員・元内閣府特命担当大臣)
- 金子洋一(元参議院議員)
- 古川元久(衆議院議員・元内閣府特命担当大臣)
- 桜内文城(元衆議院議員)
- 佐藤孝弘(山形市長)
官僚
- 青木得三(元大蔵省主税局長・経済学者・元中央大学経済学部長)
- 入江俊郎(元法制局長官(日本国憲法の立案責任者)・元貴族院議員・元最高裁判所判事)
- 齋木昭隆(元外務事務次官)
- 中原広(元国税庁長官)
- 前川守(内閣府審議官)
- 朝比奈一郎(元経済産業省課長補佐、青山社中CEO)
学者
- 矢内原忠雄(経済学者、元東京大学総長)
- 森戸辰男(経済学者、初代広島大学学長、元衆議院議員、元文部大臣、森戸事件)
- 河合栄治郎(経済学者、元東京帝国大学教授、河合栄治郎事件)
- 蠟山政道(政治学者、行政学者、元お茶の水女子大学名誉教授)
- 福田歓一(政治学者、元東京大学名誉教授)
- 坂本義和(政治学者、元東京大学名誉教授)
- 富永健一(社会学者、東京大学名誉教授)
- 寺谷広司(国際法学者、東京大学大学院法学政治学研究科教授)
- 五百籏頭薫(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
文化人
脚注
- ^ 独立不羈の男・河合栄治郎(14)その生涯編・弁論部記念講演 - 産経ニュース、2015年12月13日
- ^ 才色兼備!菊川怜の後輩は政治家志望 - デイリースポーツ、2003年12月28日