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** '''[[第48回世界卓球選手権個人戦|第48回世界選手権]][[上海市|上海]]大会 男子シングルス優勝'''、男子ダブルス3位([[閻森]]と)、混合ダブルス優勝([[郭躍]]と)
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** アジア選手権[[済州島]]大会 男子シングルス優勝、男子ダブルス準優勝([[陳キ (卓球選手)|陳玘]]と)、混合ダブルス優勝([[郭躍]]と)
** アジア選手権[[済州島]]大会 男子シングルス優勝、男子ダブルス準優勝([[陳玘]]と)、混合ダブルス優勝([[郭躍]]と)
* [[2006年]]
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** [[第48回世界卓球選手権団体戦|第48回世界選手権]][[ブレーメン]]大会 男子団体優勝
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** '''[[第49回世界卓球選手権個人戦|第49回世界選手権]][[ザグレブ]]大会 男子シングルス優勝'''、男子ダブルス準優勝([[王皓]]と)、混合ダブルス優勝([[郭躍]]と)
** '''[[第49回世界卓球選手権個人戦|第49回世界選手権]][[ザグレブ]]大会 男子シングルス優勝'''、男子ダブルス準優勝([[王皓]]と)、混合ダブルス優勝([[郭躍]]と)
** 男子ワールドカップ([[バルセロナ]]) 3位
** 男子ワールドカップ([[バルセロナ]]) 3位
** [[ITTFプロツアー]]・グランドファイナル(2007 北京) 男子ダブルス優勝([[陳キ (卓球選手)|陳玘]]と)
** [[ITTFプロツアー]]・グランドファイナル(2007 北京) 男子ダブルス優勝([[陳玘]]と)
* [[2008年]]
* [[2008年]]
** [[2008年北京オリンピックの卓球競技|北京オリンピック]] 男子シングルス銅メダル、男子団体金メダル
** [[2008年北京オリンピックの卓球競技|北京オリンピック]] 男子シングルス銅メダル、男子団体金メダル

2020年8月12日 (水) 00:39時点における版

王励勤
2013世界選手権男子ダブルス準決勝の王励勤
基本情報
よみがな ワンリチン オウレイキン
生年月日 (1978-06-18) 1978年6月18日(46歳)
国籍 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
出身地 上海
身長 185cm
選手情報
最高世界ランク 1位 (2001年1月)
利き腕
グリップ シェークハンド
ラケット クリッパーCR WRB
フォア面ラバー 狂飈NEOブルースポンジ
バック面ラバー テナジー05
シューズ コンバース
戦型 両面裏ソフトドライブ型
ITTFサイト ITTFプロフィール
経歴
代表 中華人民共和国の旗 中国代表英語版 1993-2013
ITTFワールドツアー戦歴
生涯成績 230試合 178勝
世界卓球選手権戦歴
出場大会数 13
初-最終出場 1997 - 2013
受賞歴
世界卓球殿堂 2005
獲得メダル
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
男子卓球
オリンピック
2000 シドニー 男子ダブルス
2004 アテネ 男子シングルス
2008 北京 男子シングルス
2008 北京 男子団体
世界卓球選手権
1997 マンチェスター 混合ダブルス
1999 アイントホーフェン 男子ダブルス
1999 アイントホーフェン 混合ダブルス
2000 クアラルンプール 男子団体
2001 大阪 男子シングルス
2001 大阪 男子ダブルス
2001 大阪 男子団体
2003 パリ 男子ダブルス
2004 ドーハ 男子団体
2005 上海 男子シングルス
2005 上海 男子ダブルス
2005 上海 混合ダブルス
2006 ブレーメン 男子団体
2007 ザグレブ 男子シングルス
2007 ザグレブ 男子ダブルス
2007 ザグレブ 混合ダブルス
2008 広州 男子団体
2009 横浜 男子シングルス
2013 パリ 男子ダブルス
2013 パリ 混合ダブルス
■テンプレート ■プロジェクト:卓球 ■選手一覧

王励勤(おう れいきん、拼音:wáng lìqín、仮名転写:ワン・リチン(ワン・リキンと表記される場合もある)、1978年6月18日 - )は、中華人民共和国の元卓球選手。上海出身。中国トップ3二王一馬の一角の一人。

略歴

6歳から卓球を始め、1993年中華人民共和国代表になる。

2007年1月時点において、2005年1月から2年間世界ランキング1位を維持し続けていた。また2001年1月以来2006年12月までの6年間72か月のうち51か月に渡り世界ランキング1位の座に着いていた。また同期間において世界ランキング7位以下に落ちたことがない。以上のようにこれ程までに長い期間世界のトップクラスであり続けた選手は過去にもヤン=オベ・ワルドナーをおいて他に類を見ない。以前までは精神面が脆く、団体戦になるとシングルでの活躍が嘘のようなプレーで敗北を重ね、団体戦においての成績は悪かった。初めて世界チャンピオンとなった大阪での世界選手権では、決勝では団体戦のメンバーからはずされた。しかし、徐々に課題だった精神面の弱さを克服し、団体戦でも好成績を出した。

世界卓球選手権でのシングルスにおいては、2001年の大阪大会、2005年の上海大会、2007年のザグレブ大会で優勝しており、男子においては、3回以上優勝した選手はわずかに4人しかいない。また、2001年の大阪大会から2009年の横浜大会までの期間でのシングルスにおいて、勝利を挙げられなかったのは2003年のパリ大会でのヴェルナー・シュラガーに敗れた後、2008年の広州大会でアンドレイ・フィリモンに敗れるまでシングルスで30連勝を果たした[1]。 尚、オリンピックイヤーの翌年の世界卓球選手権(2001年の大阪大会と2009年の横浜大会)では、孔令輝馬琳といった当時のオリンピック金メダリストから勝利を挙げている。

シングルスだけでなく、ダブルスに置いても高い成績を残している。男子ダブルスでは閻森、混合ダブルスでは郭躍と組んでおり、共に世界選手権で2回以上優勝している。

キャリア晩年は年齢の為か衰えの色を見せており、2009年のイングランドオープンでは格下のポルトガル選手に敗れるなど、かつての強さは既に過去の物となりつつあった。

2010年の世界選手権モスクワ大会代表最後の座を馬琳と争ったが敗れた。

2014年中国国家チームを正式に引退する。その後上海市の卓球・バドミントン管理センター主任として現場を指導する[2]

プレースタイル

ドライブ主戦型であるが、正統派タイプのプレースタイルといえる。長身と恵まれた体格から繰り出される両ハンドドライブは脅威で、特にフォアハンドドライブは、ブロックで止めるのが困難なほどである。バックブロック、フォアブロックも得意であり、そこから相手を崩し得点するということもある。それ以外に

  • 直線的なドライブだけでなく、伸びるドライブ、曲がるドライブ、沈むドライブ、弾くドライブ、無回転ドライブなど、戦況に応じて使い分けている。
  • フットワークが速く、長身の選手にありがちな鈍足さが見られない。リーチの長さも相まって、後陣に下がっても、左右に振られても安定した返球が可能である。
  • サービスは単調なように見えるが、強烈な回転が掛かっており、変化量も多彩で、レシーブが困難である。また、タイミングの外し方やサービスを軸にした攻撃の組み立て方等にも秀でている。
  • ワルドナーのような多彩なテクニックはないが、総じて技術のレベルが高くミスが少ない。

といった特徴がある。

なお、200gを越える重量のラケットを使用している。[3]

主な戦績

脚注

  1. ^ 調べて分かった?! 王励勤なんと30連勝”. 卓球王国 (2008年3月12日). 2017年6月28日閲覧。
  2. ^ 『卓球王国』2014年5月号、p25
  3. ^ 卓球王国2009年4月号

外部リンク