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「マルタ・ドマホフスカ」の版間の差分

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ドマホフスカは父親の勧めにより、8歳の時からポーランドの首都・[[ワルシャワ]]のテニスクラブに通い始めた。彼女は[[2001年]]からプロテニス選手になったが、しばらくジュニアの大会に出場し、[[2003年全豪オープン]]のジュニア女子シングルスで準決勝に進んだことがある。[[2004年]]の[[2004年全仏オープン|全仏オープン]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]予選会に初出場。同年10月、ドマホフスカは[[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]大会で初めてのシングルス決勝戦に進出したが、第1シードの[[マリア・シャラポワ]]に 1-6, 1-6 で完敗した。この活躍により、彼女は初めて世界ランキング100位以内に入った。
ドマホフスカは父親の勧めにより、8歳の時からポーランドの首都・[[ワルシャワ]]のテニスクラブに通い始めた。彼女は[[2001年]]からプロテニス選手になったが、しばらくジュニアの大会に出場し、[[2003年全豪オープン]]のジュニア女子シングルスで準決勝に進んだことがある。[[2004年]]の[[2004年全仏オープン|全仏オープン]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]予選会に初出場。同年10月、ドマホフスカは[[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]大会で初めてのシングルス決勝戦に進出したが、第1シードの[[マリア・シャラポワ]]に 1-6, 1-6 で完敗した。この活躍により、彼女は初めて世界ランキング100位以内に入った。


[[2005年]]5月、[[フランス]]・[[ストラスブール]]大会(全仏オープンの最後の前哨戦)で2度目のシングルス準優勝。[[2006年]]1月、ドマホフスカは[[オーストラリア]]・[[キャンベラ]]大会で[[ロベルタ・ビンチ]]([[イタリア]])とコンビを組み、女子ツアー大会でダブルス初優勝を飾った。これは[[ポーランド]]の女子選手が[[女子テニス協会|WTA]]ツアーで獲得した最初のダブルス・タイトルである。同年2月後半の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]大会で3度目のシングルス準優勝を記録した後、ドマホフスカはシングルスの自己最高ランキング「37位」をマークした。2006年10月に「[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]」で初来日した時は、2回戦で[[台湾]]の[[チャン詠然|詹詠然]]に敗れた。
[[2005年]]5月、[[フランス]]・[[ストラスブール]]大会(全仏オープンの最後の前哨戦)で2度目のシングルス準優勝。[[2006年]]1月、ドマホフスカは[[オーストラリア]]・[[キャンベラ]]大会で[[ロベルタ・ビンチ]]([[イタリア]])とコンビを組み、女子ツアー大会でダブルス初優勝を飾った。これは[[ポーランド]]の女子選手が[[女子テニス協会|WTA]]ツアーで獲得した最初のダブルス・タイトルである。同年2月後半の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]大会で3度目のシングルス準優勝を記録した後、ドマホフスカはシングルスの自己最高ランキング「37位」をマークした。2006年10月に「[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]」で初来日した時は、2回戦で[[台湾]]の[[詹詠然]]に敗れた。


彼女はこれまで4大大会シングルスでの好成績が少なく、[[2005年ウィンブルドン選手権|2005年ウィンブルドン]]から[[2007年全豪オープン]]まで5大会連続の1回戦敗退に終わり、[[2007年全仏オープン]]と[[2007年全米オープン (テニス)|全米オープン]]は予選会で敗退した。極度の不振に苦しんだ[[2007年]]シーズンの後、[[2008年全豪オープン]]を迎える。ドマホフスカは予選3回戦で[[日本]]の[[森田あゆみ]]を破り、1年ぶりの4大大会本選復帰を決めると、本戦でも初めての4回戦に勝ち進んだ。初進出の4回戦では、第8シードの[[ビーナス・ウィリアムズ]]に 4-6, 4-6 で敗れた。この大会では、第29シードに選ばれた[[アグニエシュカ・ラドワンスカ]]がベスト8に進み、ポーランドの女子選手が2人4回戦に勝ち残る快挙を見せた。同年の[[2008年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]では、2回戦でドマホフスカとラドワンスカの“ポーランド対決”が実現し、ドマホフスカは第14シードのラドワンスカに 1-6, 3-6 で敗れた。
彼女はこれまで4大大会シングルスでの好成績が少なく、[[2005年ウィンブルドン選手権|2005年ウィンブルドン]]から[[2007年全豪オープン]]まで5大会連続の1回戦敗退に終わり、[[2007年全仏オープン]]と[[2007年全米オープン (テニス)|全米オープン]]は予選会で敗退した。極度の不振に苦しんだ[[2007年]]シーズンの後、[[2008年全豪オープン]]を迎える。ドマホフスカは予選3回戦で[[日本]]の[[森田あゆみ]]を破り、1年ぶりの4大大会本選復帰を決めると、本戦でも初めての4回戦に勝ち進んだ。初進出の4回戦では、第8シードの[[ビーナス・ウィリアムズ]]に 4-6, 4-6 で敗れた。この大会では、第29シードに選ばれた[[アグニエシュカ・ラドワンスカ]]がベスト8に進み、ポーランドの女子選手が2人4回戦に勝ち残る快挙を見せた。同年の[[2008年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]では、2回戦でドマホフスカとラドワンスカの“ポーランド対決”が実現し、ドマホフスカは第14シードのラドワンスカに 1-6, 3-6 で敗れた。

2020年8月11日 (火) 04:07時点における版

マルタ・ドマホフスカ
Marta Domachowska
マルタ・ドマホフスカ
基本情報
国籍 ポーランドの旗 ポーランド
出身地 同・ワルシャワ
生年月日 (1986-01-16) 1986年1月16日(38歳)
身長 176cm
体重 60kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2001年
引退年 2015年
ツアー通算 1勝
シングルス 0勝
ダブルス 1勝
生涯通算成績 440勝379敗
シングルス 323勝249敗
ダブルス 117勝130敗
生涯獲得賞金 $1,063,113
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(2008)
全仏 2回戦(2005・08)
全英 2回戦(2008)
全米 1回戦(2005・06・08・09)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2006・07・09)
全仏 2回戦(2005・08)
全英 2回戦(2005・08)
全米 2回戦(2006)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 37位(2006年4月3日)
ダブルス 62位(2006年1月30日)

マルタ・ドマホフスカMarta Domachowska, 1986年1月16日 - )は、ポーランドワルシャワ出身の女子プロテニス選手。2006年1月にオーストラリアキャンベラ大会のダブルスで優勝し、当地の女性として初めてWTAツアーのダブルス・タイトルを獲得した選手である。シングルスの優勝はないが、3度の準優勝がある。シングルス自己最高ランキングは37位(2006年4月)。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

来歴

ドマホフスカは父親の勧めにより、8歳の時からポーランドの首都・ワルシャワのテニスクラブに通い始めた。彼女は2001年からプロテニス選手になったが、しばらくジュニアの大会に出場し、2003年全豪オープンのジュニア女子シングルスで準決勝に進んだことがある。2004年全仏オープン4大大会予選会に初出場。同年10月、ドマホフスカは韓国ソウル大会で初めてのシングルス決勝戦に進出したが、第1シードのマリア・シャラポワに 1-6, 1-6 で完敗した。この活躍により、彼女は初めて世界ランキング100位以内に入った。

2005年5月、フランスストラスブール大会(全仏オープンの最後の前哨戦)で2度目のシングルス準優勝。2006年1月、ドマホフスカはオーストラリアキャンベラ大会でロベルタ・ビンチイタリア)とコンビを組み、女子ツアー大会でダブルス初優勝を飾った。これはポーランドの女子選手がWTAツアーで獲得した最初のダブルス・タイトルである。同年2月後半のアメリカメンフィス大会で3度目のシングルス準優勝を記録した後、ドマホフスカはシングルスの自己最高ランキング「37位」をマークした。2006年10月に「ジャパン・オープン」で初来日した時は、2回戦で台湾詹詠然に敗れた。

彼女はこれまで4大大会シングルスでの好成績が少なく、2005年ウィンブルドンから2007年全豪オープンまで5大会連続の1回戦敗退に終わり、2007年全仏オープン全米オープンは予選会で敗退した。極度の不振に苦しんだ2007年シーズンの後、2008年全豪オープンを迎える。ドマホフスカは予選3回戦で日本森田あゆみを破り、1年ぶりの4大大会本選復帰を決めると、本戦でも初めての4回戦に勝ち進んだ。初進出の4回戦では、第8シードのビーナス・ウィリアムズに 4-6, 4-6 で敗れた。この大会では、第29シードに選ばれたアグニエシュカ・ラドワンスカがベスト8に進み、ポーランドの女子選手が2人4回戦に勝ち残る快挙を見せた。同年のウィンブルドンでは、2回戦でドマホフスカとラドワンスカの“ポーランド対決”が実現し、ドマホフスカは第14シードのラドワンスカに 1-6, 3-6 で敗れた。

2009年は4大大会全てで初戦敗退を喫した。2010年は予選で敗退し4大大会には出場できなかった。ランキングを大きく下げてしまい女子ツアー下部大会でプレーしていたが、2015年2月のグルノーブルでの大会が最後になり、29歳で現役を引退した。

2013年から同じポーランドのテニス選手のイェジ・ヤノヴィッツと交際しており、2019年第1子の長男を出産している[1]

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 3回 (0勝3敗)

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (0–0)
ティア II (0–0)
ティア III (0–2)
ティア IV & V (0–1)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2004年9月27日 大韓民国の旗 ソウル ハード ロシアの旗 マリア・シャラポワ 1–6, 1–6
準優勝 2. 2005年5月21日 フランスの旗 ストラスブール クレー スペインの旗 アナベル・メディナ・ガリゲス 4–6, 3–6
準優勝 3. 2006年2月25日 アメリカ合衆国の旗 メンフィス ハード スウェーデンの旗 ソフィア・アルビドソン 2–6, 6–2, 3–6

ダブルス: 5回 (1勝4敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2005年2月6日 タイ王国の旗 パタヤ ハード クロアチアの旗 シルビア・タラヤ フランスの旗 マリオン・バルトリ
ドイツの旗 アンナ=レナ・グローネフェルト
3–6, 2–6
準優勝 2. 2005年5月21日 フランスの旗 ストラスブール クレー ドイツの旗 マルレーネ・ワインガルトナー スペインの旗 ロサ・マリア・アンドレス・ロドリゲス
ルーマニアの旗 アンドレア・エリット=ヴァンク
3–6, 1–6
優勝 1. 2006年1月13日 オーストラリアの旗 キャンベラ ハード イタリアの旗 ロベルタ・ビンチ イギリスの旗 クレイアー・カーラン
ラトビアの旗 リガ・デクメイエレ
7–6(5), 6–3
準優勝 3. 2006年7月23日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード インドの旗 サニア・ミルザ アルゼンチンの旗 ヒセラ・ドゥルコ
イタリアの旗 マリア・エレナ・カメリン
4–6, 6–3, 2–6
準優勝 4. 2008年9月14日 インドネシアの旗 バリ ハード ロシアの旗 ナディア・ペトロワ チャイニーズタイペイの旗 謝淑薇
中華人民共和国の旗 彭帥
7–6(4), 6–7(3), [7–10]

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 通算成績
全豪オープン A 2R 1R 1R 4R 1R LQ A LQ 4-5
全仏オープン A 2R 1R LQ 2R 1R LQ A LQ 2-4
ウィンブルドン LQ 1R 1R A 2R 1R A A LQ 1-4
全米オープン LQ 1R 1R LQ 1R 1R LQ LQ LQ 0-4

脚注

外部リンク