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ドマホフスカは父親の勧めにより、8歳の時からポーランドの首都・[[ワルシャワ]]のテニスクラブに通い始めた。彼女は[[2001年]]からプロテニス選手になったが、しばらくジュニアの大会に出場し、[[2003年全豪オープン]]のジュニア女子シングルスで準決勝に進んだことがある。[[2004年]]の[[2004年全仏オープン|全仏オープン]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]予選会に初出場。同年10月、ドマホフスカは[[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]大会で初めてのシングルス決勝戦に進出したが、第1シードの[[マリア・シャラポワ]]に 1-6, 1-6 で完敗した。この活躍により、彼女は初めて世界ランキング100位以内に入った。 |
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彼女はこれまで4大大会シングルスでの好成績が少なく、[[2005年ウィンブルドン選手権|2005年ウィンブルドン]]から[[2007年全豪オープン]]まで5大会連続の1回戦敗退に終わり、[[2007年全仏オープン]]と[[2007年全米オープン (テニス)|全米オープン]]は予選会で敗退した。極度の不振に苦しんだ[[2007年]]シーズンの後、[[2008年全豪オープン]]を迎える。ドマホフスカは予選3回戦で[[日本]]の[[森田あゆみ]]を破り、1年ぶりの4大大会本選復帰を決めると、本戦でも初めての4回戦に勝ち進んだ。初進出の4回戦では、第8シードの[[ビーナス・ウィリアムズ]]に 4-6, 4-6 で敗れた。この大会では、第29シードに選ばれた[[アグニエシュカ・ラドワンスカ]]がベスト8に進み、ポーランドの女子選手が2人4回戦に勝ち残る快挙を見せた。同年の[[2008年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]では、2回戦でドマホフスカとラドワンスカの“ポーランド対決”が実現し、ドマホフスカは第14シードのラドワンスカに 1-6, 3-6 で敗れた。 |
彼女はこれまで4大大会シングルスでの好成績が少なく、[[2005年ウィンブルドン選手権|2005年ウィンブルドン]]から[[2007年全豪オープン]]まで5大会連続の1回戦敗退に終わり、[[2007年全仏オープン]]と[[2007年全米オープン (テニス)|全米オープン]]は予選会で敗退した。極度の不振に苦しんだ[[2007年]]シーズンの後、[[2008年全豪オープン]]を迎える。ドマホフスカは予選3回戦で[[日本]]の[[森田あゆみ]]を破り、1年ぶりの4大大会本選復帰を決めると、本戦でも初めての4回戦に勝ち進んだ。初進出の4回戦では、第8シードの[[ビーナス・ウィリアムズ]]に 4-6, 4-6 で敗れた。この大会では、第29シードに選ばれた[[アグニエシュカ・ラドワンスカ]]がベスト8に進み、ポーランドの女子選手が2人4回戦に勝ち残る快挙を見せた。同年の[[2008年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]では、2回戦でドマホフスカとラドワンスカの“ポーランド対決”が実現し、ドマホフスカは第14シードのラドワンスカに 1-6, 3-6 で敗れた。 |
2020年8月11日 (火) 04:07時点における版
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マルタ・ドマホフスカ | ||||
基本情報 | ||||
国籍 | ポーランド | |||
出身地 | 同・ワルシャワ | |||
生年月日 | 1986年1月16日(38歳) | |||
身長 | 176cm | |||
体重 | 60kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 2001年 | |||
引退年 | 2015年 | |||
ツアー通算 | 1勝 | |||
シングルス | 0勝 | |||
ダブルス | 1勝 | |||
生涯通算成績 | 440勝379敗 | |||
シングルス | 323勝249敗 | |||
ダブルス | 117勝130敗 | |||
生涯獲得賞金 | $1,063,113 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 4回戦(2008) | |||
全仏 | 2回戦(2005・08) | |||
全英 | 2回戦(2008) | |||
全米 | 1回戦(2005・06・08・09) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 1回戦(2006・07・09) | |||
全仏 | 2回戦(2005・08) | |||
全英 | 2回戦(2005・08) | |||
全米 | 2回戦(2006) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 37位(2006年4月3日) | |||
ダブルス | 62位(2006年1月30日) | |||
マルタ・ドマホフスカ(Marta Domachowska, 1986年1月16日 - )は、ポーランド・ワルシャワ出身の女子プロテニス選手。2006年1月にオーストラリア・キャンベラ大会のダブルスで優勝し、当地の女性として初めてWTAツアーのダブルス・タイトルを獲得した選手である。シングルスの優勝はないが、3度の準優勝がある。シングルス自己最高ランキングは37位(2006年4月)。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
来歴
ドマホフスカは父親の勧めにより、8歳の時からポーランドの首都・ワルシャワのテニスクラブに通い始めた。彼女は2001年からプロテニス選手になったが、しばらくジュニアの大会に出場し、2003年全豪オープンのジュニア女子シングルスで準決勝に進んだことがある。2004年の全仏オープンで4大大会予選会に初出場。同年10月、ドマホフスカは韓国・ソウル大会で初めてのシングルス決勝戦に進出したが、第1シードのマリア・シャラポワに 1-6, 1-6 で完敗した。この活躍により、彼女は初めて世界ランキング100位以内に入った。
2005年5月、フランス・ストラスブール大会(全仏オープンの最後の前哨戦)で2度目のシングルス準優勝。2006年1月、ドマホフスカはオーストラリア・キャンベラ大会でロベルタ・ビンチ(イタリア)とコンビを組み、女子ツアー大会でダブルス初優勝を飾った。これはポーランドの女子選手がWTAツアーで獲得した最初のダブルス・タイトルである。同年2月後半のアメリカ・メンフィス大会で3度目のシングルス準優勝を記録した後、ドマホフスカはシングルスの自己最高ランキング「37位」をマークした。2006年10月に「ジャパン・オープン」で初来日した時は、2回戦で台湾の詹詠然に敗れた。
彼女はこれまで4大大会シングルスでの好成績が少なく、2005年ウィンブルドンから2007年全豪オープンまで5大会連続の1回戦敗退に終わり、2007年全仏オープンと全米オープンは予選会で敗退した。極度の不振に苦しんだ2007年シーズンの後、2008年全豪オープンを迎える。ドマホフスカは予選3回戦で日本の森田あゆみを破り、1年ぶりの4大大会本選復帰を決めると、本戦でも初めての4回戦に勝ち進んだ。初進出の4回戦では、第8シードのビーナス・ウィリアムズに 4-6, 4-6 で敗れた。この大会では、第29シードに選ばれたアグニエシュカ・ラドワンスカがベスト8に進み、ポーランドの女子選手が2人4回戦に勝ち残る快挙を見せた。同年のウィンブルドンでは、2回戦でドマホフスカとラドワンスカの“ポーランド対決”が実現し、ドマホフスカは第14シードのラドワンスカに 1-6, 3-6 で敗れた。
2009年は4大大会全てで初戦敗退を喫した。2010年は予選で敗退し4大大会には出場できなかった。ランキングを大きく下げてしまい女子ツアー下部大会でプレーしていたが、2015年2月のグルノーブルでの大会が最後になり、29歳で現役を引退した。
2013年から同じポーランドのテニス選手のイェジ・ヤノヴィッツと交際しており、2019年第1子の長男を出産している[1]。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 3回 (0勝3敗)
大会グレード |
---|
グランドスラム (0–0) |
ティア I (0–0) |
ティア II (0–0) |
ティア III (0–2) |
ティア IV & V (0–1) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2004年9月27日 | ソウル | ハード | マリア・シャラポワ | 1–6, 1–6 |
準優勝 | 2. | 2005年5月21日 | ストラスブール | クレー | アナベル・メディナ・ガリゲス | 4–6, 3–6 |
準優勝 | 3. | 2006年2月25日 | メンフィス | ハード | ソフィア・アルビドソン | 2–6, 6–2, 3–6 |
ダブルス: 5回 (1勝4敗)
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2005年2月6日 | パタヤ | ハード | シルビア・タラヤ | マリオン・バルトリ アンナ=レナ・グローネフェルト |
3–6, 2–6 |
準優勝 | 2. | 2005年5月21日 | ストラスブール | クレー | マルレーネ・ワインガルトナー | ロサ・マリア・アンドレス・ロドリゲス アンドレア・エリット=ヴァンク |
3–6, 1–6 |
優勝 | 1. | 2006年1月13日 | キャンベラ | ハード | ロベルタ・ビンチ | クレイアー・カーラン リガ・デクメイエレ |
7–6(5), 6–3 |
準優勝 | 3. | 2006年7月23日 | シンシナティ | ハード | サニア・ミルザ | ヒセラ・ドゥルコ マリア・エレナ・カメリン |
4–6, 6–3, 2–6 |
準優勝 | 4. | 2008年9月14日 | バリ | ハード | ナディア・ペトロワ | 謝淑薇 彭帥 |
7–6(4), 6–7(3), [7–10] |
4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | A | 2R | 1R | 1R | 4R | 1R | LQ | A | LQ | 4-5 |
全仏オープン | A | 2R | 1R | LQ | 2R | 1R | LQ | A | LQ | 2-4 |
ウィンブルドン | LQ | 1R | 1R | A | 2R | 1R | A | A | LQ | 1-4 |
全米オープン | LQ | 1R | 1R | LQ | 1R | 1R | LQ | LQ | LQ | 0-4 |
脚注
外部リンク
- マルタ・ドマホフスカ - WTAツアーのプロフィール
- マルタ・ドマホフスカ - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール
- マルタ・ドマホフスカ - 国際テニス連盟