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全豪オープン女子ダブルスで優勝を飾った後、鄭潔は5月第1週に[[ポルトガル]]・[[エストリル]]大会の決勝で同じ中国の[[李娜]]を6-7, 7-5(李娜の途中棄権)で破り、[[女子テニス協会|WTA]]ツアーのシングルスで2勝目を挙げた。その後、[[2006年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]でも中国テニス界は大きな躍進を見せる。鄭潔は女子シングルス3回戦で[[キム・クライシュテルス]]に敗れたが、[[晏紫]]とのダブルスで2度目の4大大会決勝に勝ち進み、[[ビルヒニア・ルアノ・パスクアル]]&[[パオラ・スアレス]]組を6-3, 3-6, 6-2 で破り、中国のテニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。
全豪オープン女子ダブルスで優勝を飾った後、鄭潔は5月第1週に[[ポルトガル]]・[[エストリル]]大会の決勝で同じ中国の[[李娜]]を6-7, 7-5(李娜の途中棄権)で破り、[[女子テニス協会|WTA]]ツアーのシングルスで2勝目を挙げた。その後、[[2006年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]でも中国テニス界は大きな躍進を見せる。鄭潔は女子シングルス3回戦で[[キム・クライシュテルス]]に敗れたが、[[晏紫]]とのダブルスで2度目の4大大会決勝に勝ち進み、[[ビルヒニア・ルアノ・パスクアル]]&[[パオラ・スアレス]]組を6-3, 3-6, 6-2 で破り、中国のテニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。


ウィンブルドン選手権の後、7月15日-16日にかけて女子テニス国別対抗戦・[[フェドカップ]]の「ワールドグループ・プレーオフ」が中国の首都[[北京市|北京]]で開かれ、中国は[[ドイツ]]を「4勝1敗」で下して[[2007年]]度のワールドグループ出場権を獲得した。鄭潔はシングルス1試合と[[晏紫]]とのダブルス戦に勝利を収め、中国にとって初めてのワールドグループ進出に大きく貢献した。しかし、[[2007年全豪オープン]]で鄭潔と晏紫は女子ダブルス準決勝で[[台湾]]ペアの[[チャン詠然|詹詠然]]&[[荘佳容]]組に3-6, 4-6 で敗れ、大会2連覇を逃した。
ウィンブルドン選手権の後、7月15日-16日にかけて女子テニス国別対抗戦・[[フェドカップ]]の「ワールドグループ・プレーオフ」が中国の首都[[北京市|北京]]で開かれ、中国は[[ドイツ]]を「4勝1敗」で下して[[2007年]]度のワールドグループ出場権を獲得した。鄭潔はシングルス1試合と[[晏紫]]とのダブルス戦に勝利を収め、中国にとって初めてのワールドグループ進出に大きく貢献した。しかし、[[2007年全豪オープン]]で鄭潔と晏紫は女子ダブルス準決勝で[[台湾]]ペアの[[詹詠然]]&[[荘佳容]]組に3-6, 4-6 で敗れ、大会2連覇を逃した。


[[2008年ウィンブルドン選手権|2008年ウィンブルドン]]において、鄭潔は中国女子選手として史上初のベスト4に進出し、2年前の[[李娜]]のベスト8を上回る成績を出した。3回戦で第1シードの[[アナ・イバノビッチ]]に6-1, 6-4で破る勝利で波に乗り、4回戦で[[アグネシュ・サバイ]]、準々決勝で[[ニコル・バイディソバ]]に勝ち、シングルスでも同国の最高記録を更新した。準決勝では第6シードの[[セリーナ・ウィリアムズ]]に2-6, 6-7で惜敗した。[[アジア]]人女性のウィンブルドン準決勝進出も、[[1996年ウィンブルドン選手権|1996年]]の[[伊達公子]]以来12年ぶりの快挙だった。地元開催の[[2008年北京オリンピックのテニス競技|北京五輪]]で、鄭潔と晏紫は女子ダブルスの銅メダルを獲得した。準決勝で[[スペイン]]代表の[[ビルヒニア・ルアノ・パスクアル]]&[[アナベル・メディナ・ガリゲス]]組に4-6, 6-7で敗れた2人は、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」で[[ウクライナ]]の姉妹ペア、[[アリョーナ・ボンダレンコ]]&[[カテリナ・ボンダレンコ]]組に6-2, 6-2のストレート勝ちを収めた。
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| 6–7(5), 2–6
| 6–7(5), 2–6

2020年8月11日 (火) 04:04時点における版

鄭潔
Jie Zheng
鄭潔
基本情報
国籍 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
出身地 四川省成都市
生年月日 (1983-07-05) 1983年7月5日(41歳)
身長 164cm
体重 57kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2000年
引退年 2015年(最終出場年)
ツアー通算 19勝
シングルス 4勝
ダブルス 15勝
生涯通算成績 821勝470敗
シングルス 384勝266敗
ダブルス 437勝213敗
生涯獲得賞金 $6,157,773
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(2010)
全仏 4回戦(2004)
全英 ベスト4(2008)
全米 3回戦(2008・09・12・13)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(2006)
全仏 ベスト4(2006)
全英 優勝(2006)
全米 ベスト4(2010・13)
優勝回数 2(豪1・英1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 ベスト4(2014)
全仏 ベスト4(2008・15)
全英 ベスト4(2006)
全米 1回戦(2012)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 15位(2009年5月18日)
ダブルス 3位(2006年7月10日)
獲得メダル
女子 テニス
オリンピック
2008 北京 ダブルス
2017年10月18日現在

鄭 潔(ジェン・ジー、日本語読み:ていけつ、ピン音表記:Zheng Jie, 1983年7月5日 - )は、中華人民共和国四川省成都市出身の女子プロテニス選手。同僚の晏紫とペアを組んで、2006年全豪オープンウィンブルドン女子ダブルスで優勝を飾り、中国のテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。シングルスでも2008年ウィンブルドンと2010年全豪オープンの準決勝進出者となった。WTAツアーでは、ダブルスで4大大会2勝を含む15勝を挙げ、シングルスでも4勝がある。自己最高ランキングはシングルス15位、ダブルス3位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長164cm、体重57kg。

来歴

2000年にプロ入り。鄭潔が中国国外のトーナメントに初参加したのは、2001年7月前半のアメリカカリフォルニア州「ロス・ガトス」の大会であった。2002年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップの中国代表選手となり、国外のテニス大会に活動の場を広げる。同年5月に福岡のトーナメントで初来日し、本戦の準々決勝まで進出した。2003年は「ジャパン・オープン」でベスト4進出があるが、この時は準々決勝で同僚の晏紫との“中国対決”を制した後、準決勝で当時16歳のマリア・シャラポワに敗れている。シャラポワにとってはこれがWTAツアー初優勝の大会だった。2004年全仏オープン女子シングルスで、鄭潔は中国出身の女子テニス選手として史上初のベスト16入りを達成した。その4回戦では、パオラ・スアレスに4-6, 5-7 で敗れている。

2004年アテネ五輪でテニスの中国代表選手に選ばれた時、女子ダブルスには鄭潔&晏紫の組と、李婷孫甜甜組の2組を送り出した。このアテネ五輪では李婷&孫甜甜組が女子ダブルスの金メダルを獲得し、中国に初めてのテニス金メダルをもたらした。それから1年半後、2006年全豪オープン女子ダブルスでは、鄭潔&晏紫の組が第12シードから勝ち上がった。2人のダブルスは、リターンの時に「2人とも後ろに並ぶ」スタイルで、世界の標準的なダブルスとは大きく異なる。これが対戦相手を戸惑わせ、2人は準決勝で浅越しのぶカタリナ・スレボトニク組に6-2, 7-6で勝ち、決勝では第1シードのリサ・レイモンド&サマンサ・ストーサー組を2-6, 7-6, 6-3の逆転で破り、中国に史上初のテニス4大大会タイトルをもたらした。これで、中国女子テニスからは2組のダブルス・ペアが世界の頂点に立ったことになる。

全豪オープン女子ダブルスで優勝を飾った後、鄭潔は5月第1週にポルトガルエストリル大会の決勝で同じ中国の李娜を6-7, 7-5(李娜の途中棄権)で破り、WTAツアーのシングルスで2勝目を挙げた。その後、ウィンブルドンでも中国テニス界は大きな躍進を見せる。鄭潔は女子シングルス3回戦でキム・クライシュテルスに敗れたが、晏紫とのダブルスで2度目の4大大会決勝に勝ち進み、ビルヒニア・ルアノ・パスクアル&パオラ・スアレス組を6-3, 3-6, 6-2 で破り、中国のテニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。

ウィンブルドン選手権の後、7月15日-16日にかけて女子テニス国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ・プレーオフ」が中国の首都北京で開かれ、中国はドイツを「4勝1敗」で下して2007年度のワールドグループ出場権を獲得した。鄭潔はシングルス1試合と晏紫とのダブルス戦に勝利を収め、中国にとって初めてのワールドグループ進出に大きく貢献した。しかし、2007年全豪オープンで鄭潔と晏紫は女子ダブルス準決勝で台湾ペアの詹詠然&荘佳容組に3-6, 4-6 で敗れ、大会2連覇を逃した。

2008年ウィンブルドンにおいて、鄭潔は中国女子選手として史上初のベスト4に進出し、2年前の李娜のベスト8を上回る成績を出した。3回戦で第1シードのアナ・イバノビッチに6-1, 6-4で破る勝利で波に乗り、4回戦でアグネシュ・サバイ、準々決勝でニコル・バイディソバに勝ち、シングルスでも同国の最高記録を更新した。準決勝では第6シードのセリーナ・ウィリアムズに2-6, 6-7で惜敗した。アジア人女性のウィンブルドン準決勝進出も、1996年伊達公子以来12年ぶりの快挙だった。地元開催の北京五輪で、鄭潔と晏紫は女子ダブルスの銅メダルを獲得した。準決勝でスペイン代表のビルヒニア・ルアノ・パスクアル&アナベル・メディナ・ガリゲス組に4-6, 6-7で敗れた2人は、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」でウクライナの姉妹ペア、アリョーナ・ボンダレンコ&カテリナ・ボンダレンコ組に6-2, 6-2のストレート勝ちを収めた。

2009年全豪オープンで、鄭潔は第22シードとしてシングルス4回戦に初進出を決めたが、スベトラーナ・クズネツォワとの試合を1-4 で途中棄権してしまう。翌2010年全豪オープンでは、鄭潔と李娜の2人が女子シングルスのベスト4に入った。鄭潔も2008年ウィンブルドン以来2度目の4大大会シングルス準決勝でジュスティーヌ・エナンから1ゲームしか奪えず1-6, 0-6のスコアで完敗した。

2012年の開幕戦ASBクラシックの決勝でフラビア・ペンネッタの途中棄権により5年5カ月ぶりのシングルスツアー4勝目を挙げた。7月のロンドン五輪で3度目のオリンピックに出場しシングルスは1回戦でナディア・ペトロワに4-6, 6-7(7) で敗退したが、彭帥と組んだダブルスではベスト8に進出している。

鄭潔は2015年ウィンブルドン選手権を最後に公式戦出場が途絶えている。2016年4月に第1子を出産した[1]

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 7回 (4勝3敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2005年1月14日 オーストラリアの旗 ホバート ハード アルゼンチンの旗 ヒセラ・ドゥルコ 6–2, 6–0
準優勝 1. 2005年5月8日 モロッコの旗 フェズ クレー スペインの旗 ヌリア・リャゴステラ・ビベス 4–6, 2–6
優勝 2. 2006年5月7日 ポルトガルの旗 エストリル クレー 中華人民共和国の旗 李娜 6–7(5), 7–5, 途中棄権
優勝 3. 2006年8月13日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード ロシアの旗 アナスタシア・ミスキナ 6–4, 6–1
準優勝 2. 2010年5月22日 ポーランドの旗 ワルシャワ クレー ルーマニアの旗 アレクサンドラ・ドゥルゲル 3–6, 4–6
優勝 4. 2012年1月8日 ニュージーランドの旗 オークランド ハード イタリアの旗 フラビア・ペンネッタ 2–6, 6–3, 2–0 途中棄権
準優勝 3. 2014年6月21日 オランダの旗 スヘルトーヘンボス アメリカ合衆国の旗 ココ・バンダウェイ 2–6, 4–6

ダブルス: 30回 (15勝15敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2003年6月14日 オーストリアの旗 ウィーン クレー 中華人民共和国の旗 晏紫 中華人民共和国の旗 李婷
中華人民共和国の旗 孫甜甜
3-6, 4-6
優勝 1. 2005年1月14日 オーストラリアの旗 ホバート ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 スペインの旗 アナベル・メディナ・ガリゲス
ロシアの旗 ディナラ・サフィナ
6–4, 7–5
優勝 2. 2005年2月12日 インドの旗 ハイデラバード ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 中華人民共和国の旗 李婷
中華人民共和国の旗 孫甜甜
6–4, 6–1
準優勝 2. 2005年9月18日 インドネシアの旗 バリ ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 アメリカ合衆国の旗 メガン・ショーネシー
ドイツの旗 アンナ=レナ・グローネフェルト
3-6, 3-6
準優勝 3. 2005年9月25日 中華人民共和国の旗 北京 ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 ベネズエラの旗 マリア・ベント=カブチ
スペインの旗 ヌリア・リャゴステラ・ビベス
2-6, 4-6
優勝 3. 2006年1月28日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド
オーストラリアの旗 サマンサ・ストーサー
2–6, 7–6(7), 6–3
準優勝 4. 2006年2月12日 タイ王国の旗 パタヤ ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 中華人民共和国の旗 李婷
中華人民共和国の旗 孫甜甜
6-3, 1-6, 6-7(5)
優勝 4. 2006年5月14日 ドイツの旗 ベルリン クレー 中華人民共和国の旗 晏紫 ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ
イタリアの旗 フラビア・ペンネッタ
6–2, 6–3
優勝 5. 2006年5月21日 モロッコの旗 ラバト クレー 中華人民共和国の旗 晏紫 アメリカ合衆国の旗 アシュリー・ハークルロード
アメリカ合衆国の旗 ベサニー・マテック
6–1, 6–3
優勝 6. 2006年6月24日 オランダの旗 スヘルトーヘンボス 中華人民共和国の旗 晏紫 セルビアの旗 アナ・イバノビッチ
ロシアの旗 マリア・キリレンコ
3–6, 6–2, 6–2
優勝 7. 2006年7月8日 イギリスの旗 ウィンブルドン 中華人民共和国の旗 晏紫 スペインの旗 ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
アルゼンチンの旗 パオラ・スアレス
6–3, 3–6, 6–2
準優勝 5. 2006年8月13日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 スロバキアの旗 ヤルミラ・ガイドソバ
チェコの旗 エバ・ブリネロバ
6-0, 4-6, 2-6
優勝 8. 2006年8月26日 アメリカ合衆国の旗 ニューヘイブン ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド
オーストラリアの旗 サマンサ・ストーサー
6–4, 6–2
優勝 9. 2007年4月15日 アメリカ合衆国の旗 チャールストン クレー 中華人民共和国の旗 晏紫 中華人民共和国の旗 彭帥
中華人民共和国の旗 孫甜甜
7–5, 6–0
優勝 10. 2007年5月26日 フランスの旗 ストラスブール クレー 中華人民共和国の旗 晏紫 オーストラリアの旗 アリシア・モリク
中華人民共和国の旗 孫甜甜
6–3, 6–4
準優勝 6. 2008年1月5日 オーストラリアの旗 ゴールドコースト ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 ロシアの旗 ディナラ・サフィナ
ハンガリーの旗 アグネシュ・サバイ
1-6, 2-6
優勝 11. 2008年1月11日 オーストラリアの旗 シドニー ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 ウクライナの旗 タチアナ・ペレビニス
ベラルーシの旗 タチアナ・ポウチェク
6–4, 7–6(5)
準優勝 7. 2008年3月1日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 ジンバブエの旗 カーラ・ブラック
アメリカ合衆国の旗 リーゼル・フーバー
5-7, 2-6
準優勝 8. 2008年3月23日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード 中華人民共和国の旗 晏紫 ロシアの旗 ディナラ・サフィナ
ロシアの旗 エレーナ・ベスニナ
1-6, 6-1, [8-10]
準優勝 9. 2009年5月23日 ポーランドの旗 ワルシャワ クレー 中華人民共和国の旗 晏紫 アメリカ合衆国の旗 ラケル・コップス=ジョーンズ
アメリカ合衆国の旗 ベサニー・マテック=サンズ
1-6, 1-6
優勝 12. 2010年2月28日 マレーシアの旗 クアラルンプール ハード チャイニーズタイペイの旗 詹詠然 オーストラリアの旗 アナスタシア・ロディオノワ
ロシアの旗 アリーナ・ロディオノワ
6–7(4), 6–2, [10–7]
準優勝 10. 2010年8月1日 アメリカ合衆国の旗 スタンフォード ハード チャイニーズタイペイの旗 詹詠然 アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート
アメリカ合衆国の旗 リーゼル・フーバー
5–7, 7–6(8), [8–10]
優勝 13. 2010年8月8日 アメリカ合衆国の旗 サンディエゴ ハード ロシアの旗 マリア・キリレンコ アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド
オーストラリアの旗 レネ・スタブス
6–4, 6–4
準優勝 11. 2011年2月13日 タイ王国の旗 パタヤ ハード 中華人民共和国の旗 孫勝男 イタリアの旗 サラ・エラニ
イタリアの旗 ロベルタ・ビンチ
6–3, 3–6, [5–10]
優勝 14. 2011年5月15日 イタリアの旗 ローマ クレー 中華人民共和国の旗 彭帥 アメリカ合衆国の旗 バニア・キング
カザフスタンの旗 ヤロスラワ・シュウェドワ
6–2, 6–3
準優勝 12. 2012年5月26日 ベルギーの旗 ブリュッセル クレー ポーランドの旗 アリシア・ロソルスカ アメリカ合衆国の旗 ベサニー・マテック=サンズ
インドの旗 サニア・ミルザ
3–6, 2–6
準優勝 13. 2012年8月19日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク チェコの旗 アンドレア・フラバーチコバ
チェコの旗 ルーシー・ハラデツカ
1–6, 3–6
優勝 15. 2013年8月24日 アメリカ合衆国の旗 ニューヘイブン ハード インドの旗 サニア・ミルザ スペインの旗 アナベル・メディナ・ガリゲス
スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク
6–3, 6–4
準優勝 14. 2015年1月30日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード チャイニーズタイペイの旗 詹詠然 チェコの旗 ルーシー・サファロバ
アメリカ合衆国の旗 ベサニー・マテック=サンズ
4–6, 6–7(5)
準優勝 15. 2015年6月27日 イギリスの旗 イーストボーン チャイニーズタイペイの旗 詹詠然 フランスの旗 キャロリン・ガルシア
スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク
6–7(5), 2–6

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 通算成績
全豪オープン A LQ 1R 1R 1R 1R A 4R SF A 4R 3R 3R 1R 15–10
全仏オープン A LQ 4R 1R 2R 1R 3R 2R 2R 2R 2R 3R 1R A 12–11
ウィンブルドン A A 1R A 3R A SF 2R 2R 2R 3R 1R 2R A 13–9
全米オープン LQ LQ 1R 2R 2R A 3R 3R 2R 2R 3R 3R 1R A 11–10

脚注

外部リンク