「鄭潔」の版間の差分
m Bot作業依頼: 詹姓の各人物記事の改名に伴うリンク修正依頼 (詹詠然) - log |
|||
59行目: | 59行目: | ||
全豪オープン女子ダブルスで優勝を飾った後、鄭潔は5月第1週に[[ポルトガル]]・[[エストリル]]大会の決勝で同じ中国の[[李娜]]を6-7, 7-5(李娜の途中棄権)で破り、[[女子テニス協会|WTA]]ツアーのシングルスで2勝目を挙げた。その後、[[2006年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]でも中国テニス界は大きな躍進を見せる。鄭潔は女子シングルス3回戦で[[キム・クライシュテルス]]に敗れたが、[[晏紫]]とのダブルスで2度目の4大大会決勝に勝ち進み、[[ビルヒニア・ルアノ・パスクアル]]&[[パオラ・スアレス]]組を6-3, 3-6, 6-2 で破り、中国のテニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。 |
全豪オープン女子ダブルスで優勝を飾った後、鄭潔は5月第1週に[[ポルトガル]]・[[エストリル]]大会の決勝で同じ中国の[[李娜]]を6-7, 7-5(李娜の途中棄権)で破り、[[女子テニス協会|WTA]]ツアーのシングルスで2勝目を挙げた。その後、[[2006年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]でも中国テニス界は大きな躍進を見せる。鄭潔は女子シングルス3回戦で[[キム・クライシュテルス]]に敗れたが、[[晏紫]]とのダブルスで2度目の4大大会決勝に勝ち進み、[[ビルヒニア・ルアノ・パスクアル]]&[[パオラ・スアレス]]組を6-3, 3-6, 6-2 で破り、中国のテニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。 |
||
ウィンブルドン選手権の後、7月15日-16日にかけて女子テニス国別対抗戦・[[フェドカップ]]の「ワールドグループ・プレーオフ」が中国の首都[[北京市|北京]]で開かれ、中国は[[ドイツ]]を「4勝1敗」で下して[[2007年]]度のワールドグループ出場権を獲得した。鄭潔はシングルス1試合と[[晏紫]]とのダブルス戦に勝利を収め、中国にとって初めてのワールドグループ進出に大きく貢献した。しかし、[[2007年全豪オープン]]で鄭潔と晏紫は女子ダブルス準決勝で[[台湾]]ペアの[[ |
ウィンブルドン選手権の後、7月15日-16日にかけて女子テニス国別対抗戦・[[フェドカップ]]の「ワールドグループ・プレーオフ」が中国の首都[[北京市|北京]]で開かれ、中国は[[ドイツ]]を「4勝1敗」で下して[[2007年]]度のワールドグループ出場権を獲得した。鄭潔はシングルス1試合と[[晏紫]]とのダブルス戦に勝利を収め、中国にとって初めてのワールドグループ進出に大きく貢献した。しかし、[[2007年全豪オープン]]で鄭潔と晏紫は女子ダブルス準決勝で[[台湾]]ペアの[[詹詠然]]&[[荘佳容]]組に3-6, 4-6 で敗れ、大会2連覇を逃した。 |
||
[[2008年ウィンブルドン選手権|2008年ウィンブルドン]]において、鄭潔は中国女子選手として史上初のベスト4に進出し、2年前の[[李娜]]のベスト8を上回る成績を出した。3回戦で第1シードの[[アナ・イバノビッチ]]に6-1, 6-4で破る勝利で波に乗り、4回戦で[[アグネシュ・サバイ]]、準々決勝で[[ニコル・バイディソバ]]に勝ち、シングルスでも同国の最高記録を更新した。準決勝では第6シードの[[セリーナ・ウィリアムズ]]に2-6, 6-7で惜敗した。[[アジア]]人女性のウィンブルドン準決勝進出も、[[1996年ウィンブルドン選手権|1996年]]の[[伊達公子]]以来12年ぶりの快挙だった。地元開催の[[2008年北京オリンピックのテニス競技|北京五輪]]で、鄭潔と晏紫は女子ダブルスの銅メダルを獲得した。準決勝で[[スペイン]]代表の[[ビルヒニア・ルアノ・パスクアル]]&[[アナベル・メディナ・ガリゲス]]組に4-6, 6-7で敗れた2人は、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」で[[ウクライナ]]の姉妹ペア、[[アリョーナ・ボンダレンコ]]&[[カテリナ・ボンダレンコ]]組に6-2, 6-2のストレート勝ちを収めた。 |
[[2008年ウィンブルドン選手権|2008年ウィンブルドン]]において、鄭潔は中国女子選手として史上初のベスト4に進出し、2年前の[[李娜]]のベスト8を上回る成績を出した。3回戦で第1シードの[[アナ・イバノビッチ]]に6-1, 6-4で破る勝利で波に乗り、4回戦で[[アグネシュ・サバイ]]、準々決勝で[[ニコル・バイディソバ]]に勝ち、シングルスでも同国の最高記録を更新した。準決勝では第6シードの[[セリーナ・ウィリアムズ]]に2-6, 6-7で惜敗した。[[アジア]]人女性のウィンブルドン準決勝進出も、[[1996年ウィンブルドン選手権|1996年]]の[[伊達公子]]以来12年ぶりの快挙だった。地元開催の[[2008年北京オリンピックのテニス競技|北京五輪]]で、鄭潔と晏紫は女子ダブルスの銅メダルを獲得した。準決勝で[[スペイン]]代表の[[ビルヒニア・ルアノ・パスクアル]]&[[アナベル・メディナ・ガリゲス]]組に4-6, 6-7で敗れた2人は、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」で[[ウクライナ]]の姉妹ペア、[[アリョーナ・ボンダレンコ]]&[[カテリナ・ボンダレンコ]]組に6-2, 6-2のストレート勝ちを収めた。 |
||
382行目: | 382行目: | ||
| {{Flagicon|MYS}} [[WTAマレーシア・オープン|クアラルンプール]] |
| {{Flagicon|MYS}} [[WTAマレーシア・オープン|クアラルンプール]] |
||
| ハード |
| ハード |
||
| {{Flagicon|TPE}} [[ |
| {{Flagicon|TPE}} [[詹詠然]] |
||
| {{Flagicon|AUS}} [[アナスタシア・ロディオノワ]]<br/> {{Flagicon|RUS}} [[アリーナ・ロディオノワ]] |
| {{Flagicon|AUS}} [[アナスタシア・ロディオノワ]]<br/> {{Flagicon|RUS}} [[アリーナ・ロディオノワ]] |
||
| 6–7(4), 6–2, [10–7] |
| 6–7(4), 6–2, [10–7] |
||
391行目: | 391行目: | ||
| {{Flagicon|USA}} [[バンク・オブ・ウエスト・クラシック|スタンフォード]] |
| {{Flagicon|USA}} [[バンク・オブ・ウエスト・クラシック|スタンフォード]] |
||
| ハード |
| ハード |
||
| {{Flagicon|TPE}} [[ |
| {{Flagicon|TPE}} [[詹詠然]] |
||
| {{Flagicon|USA}} [[リンゼイ・ダベンポート]]<br/>{{Flagicon|USA}} [[リーゼル・フーバー]] |
| {{Flagicon|USA}} [[リンゼイ・ダベンポート]]<br/>{{Flagicon|USA}} [[リーゼル・フーバー]] |
||
| 5–7, 7–6(8), [8–10] |
| 5–7, 7–6(8), [8–10] |
||
454行目: | 454行目: | ||
| {{Flagicon|AUS}} [[2015年全豪オープン|全豪オープン]] |
| {{Flagicon|AUS}} [[2015年全豪オープン|全豪オープン]] |
||
| ハード |
| ハード |
||
| {{Flagicon|TPE}} [[ |
| {{Flagicon|TPE}} [[詹詠然]] |
||
| {{Flagicon|CZE}} [[ルーシー・サファロバ]]<br/> {{Flagicon|USA}} [[ベサニー・マテック=サンズ]] |
| {{Flagicon|CZE}} [[ルーシー・サファロバ]]<br/> {{Flagicon|USA}} [[ベサニー・マテック=サンズ]] |
||
| 4–6, 6–7(5) |
| 4–6, 6–7(5) |
||
463行目: | 463行目: | ||
| {{flagicon|GBR}} [[エイゴン国際|イーストボーン]] |
| {{flagicon|GBR}} [[エイゴン国際|イーストボーン]] |
||
| 芝 |
| 芝 |
||
| {{Flagicon|TPE}} [[ |
| {{Flagicon|TPE}} [[詹詠然]] |
||
| {{flagicon|FRA}} [[キャロリン・ガルシア]]<br/>{{flagicon|SLO}} [[カタリナ・スレボトニク]] |
| {{flagicon|FRA}} [[キャロリン・ガルシア]]<br/>{{flagicon|SLO}} [[カタリナ・スレボトニク]] |
||
| 6–7(5), 2–6 |
| 6–7(5), 2–6 |
2020年8月11日 (火) 04:04時点における版
| ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
鄭潔 | ||||||||||
基本情報 | ||||||||||
国籍 | 中華人民共和国 | |||||||||
出身地 | 四川省成都市 | |||||||||
生年月日 | 1983年7月5日(41歳) | |||||||||
身長 | 164cm | |||||||||
体重 | 57kg | |||||||||
利き手 | 右 | |||||||||
バックハンド | 両手打ち | |||||||||
ツアー経歴 | ||||||||||
デビュー年 | 2000年 | |||||||||
引退年 | 2015年(最終出場年) | |||||||||
ツアー通算 | 19勝 | |||||||||
シングルス | 4勝 | |||||||||
ダブルス | 15勝 | |||||||||
生涯通算成績 | 821勝470敗 | |||||||||
シングルス | 384勝266敗 | |||||||||
ダブルス | 437勝213敗 | |||||||||
生涯獲得賞金 | $6,157,773 | |||||||||
4大大会最高成績・シングルス | ||||||||||
全豪 | ベスト4(2010) | |||||||||
全仏 | 4回戦(2004) | |||||||||
全英 | ベスト4(2008) | |||||||||
全米 | 3回戦(2008・09・12・13) | |||||||||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||||||||
全豪 | 優勝(2006) | |||||||||
全仏 | ベスト4(2006) | |||||||||
全英 | 優勝(2006) | |||||||||
全米 | ベスト4(2010・13) | |||||||||
優勝回数 | 2(豪1・英1) | |||||||||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||||||||
全豪 | ベスト4(2014) | |||||||||
全仏 | ベスト4(2008・15) | |||||||||
全英 | ベスト4(2006) | |||||||||
全米 | 1回戦(2012) | |||||||||
キャリア自己最高ランキング | ||||||||||
シングルス | 15位(2009年5月18日) | |||||||||
ダブルス | 3位(2006年7月10日) | |||||||||
獲得メダル | ||||||||||
| ||||||||||
2017年10月18日現在 |
鄭 潔(ジェン・ジー、日本語読み:ていけつ、ピン音表記:Zheng Jie, 1983年7月5日 - )は、中華人民共和国・四川省成都市出身の女子プロテニス選手。同僚の晏紫とペアを組んで、2006年の全豪オープンとウィンブルドン女子ダブルスで優勝を飾り、中国のテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。シングルスでも2008年ウィンブルドンと2010年全豪オープンの準決勝進出者となった。WTAツアーでは、ダブルスで4大大会2勝を含む15勝を挙げ、シングルスでも4勝がある。自己最高ランキングはシングルス15位、ダブルス3位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長164cm、体重57kg。
来歴
2000年にプロ入り。鄭潔が中国国外のトーナメントに初参加したのは、2001年7月前半のアメリカ・カリフォルニア州「ロス・ガトス」の大会であった。2002年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップの中国代表選手となり、国外のテニス大会に活動の場を広げる。同年5月に福岡のトーナメントで初来日し、本戦の準々決勝まで進出した。2003年は「ジャパン・オープン」でベスト4進出があるが、この時は準々決勝で同僚の晏紫との“中国対決”を制した後、準決勝で当時16歳のマリア・シャラポワに敗れている。シャラポワにとってはこれがWTAツアー初優勝の大会だった。2004年の全仏オープン女子シングルスで、鄭潔は中国出身の女子テニス選手として史上初のベスト16入りを達成した。その4回戦では、パオラ・スアレスに4-6, 5-7 で敗れている。
2004年のアテネ五輪でテニスの中国代表選手に選ばれた時、女子ダブルスには鄭潔&晏紫の組と、李婷と孫甜甜組の2組を送り出した。このアテネ五輪では李婷&孫甜甜組が女子ダブルスの金メダルを獲得し、中国に初めてのテニス金メダルをもたらした。それから1年半後、2006年の全豪オープン女子ダブルスでは、鄭潔&晏紫の組が第12シードから勝ち上がった。2人のダブルスは、リターンの時に「2人とも後ろに並ぶ」スタイルで、世界の標準的なダブルスとは大きく異なる。これが対戦相手を戸惑わせ、2人は準決勝で浅越しのぶとカタリナ・スレボトニク組に6-2, 7-6で勝ち、決勝では第1シードのリサ・レイモンド&サマンサ・ストーサー組を2-6, 7-6, 6-3の逆転で破り、中国に史上初のテニス4大大会タイトルをもたらした。これで、中国女子テニスからは2組のダブルス・ペアが世界の頂点に立ったことになる。
全豪オープン女子ダブルスで優勝を飾った後、鄭潔は5月第1週にポルトガル・エストリル大会の決勝で同じ中国の李娜を6-7, 7-5(李娜の途中棄権)で破り、WTAツアーのシングルスで2勝目を挙げた。その後、ウィンブルドンでも中国テニス界は大きな躍進を見せる。鄭潔は女子シングルス3回戦でキム・クライシュテルスに敗れたが、晏紫とのダブルスで2度目の4大大会決勝に勝ち進み、ビルヒニア・ルアノ・パスクアル&パオラ・スアレス組を6-3, 3-6, 6-2 で破り、中国のテニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。
ウィンブルドン選手権の後、7月15日-16日にかけて女子テニス国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ・プレーオフ」が中国の首都北京で開かれ、中国はドイツを「4勝1敗」で下して2007年度のワールドグループ出場権を獲得した。鄭潔はシングルス1試合と晏紫とのダブルス戦に勝利を収め、中国にとって初めてのワールドグループ進出に大きく貢献した。しかし、2007年全豪オープンで鄭潔と晏紫は女子ダブルス準決勝で台湾ペアの詹詠然&荘佳容組に3-6, 4-6 で敗れ、大会2連覇を逃した。
2008年ウィンブルドンにおいて、鄭潔は中国女子選手として史上初のベスト4に進出し、2年前の李娜のベスト8を上回る成績を出した。3回戦で第1シードのアナ・イバノビッチに6-1, 6-4で破る勝利で波に乗り、4回戦でアグネシュ・サバイ、準々決勝でニコル・バイディソバに勝ち、シングルスでも同国の最高記録を更新した。準決勝では第6シードのセリーナ・ウィリアムズに2-6, 6-7で惜敗した。アジア人女性のウィンブルドン準決勝進出も、1996年の伊達公子以来12年ぶりの快挙だった。地元開催の北京五輪で、鄭潔と晏紫は女子ダブルスの銅メダルを獲得した。準決勝でスペイン代表のビルヒニア・ルアノ・パスクアル&アナベル・メディナ・ガリゲス組に4-6, 6-7で敗れた2人は、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」でウクライナの姉妹ペア、アリョーナ・ボンダレンコ&カテリナ・ボンダレンコ組に6-2, 6-2のストレート勝ちを収めた。
2009年の全豪オープンで、鄭潔は第22シードとしてシングルス4回戦に初進出を決めたが、スベトラーナ・クズネツォワとの試合を1-4 で途中棄権してしまう。翌2010年の全豪オープンでは、鄭潔と李娜の2人が女子シングルスのベスト4に入った。鄭潔も2008年ウィンブルドン以来2度目の4大大会シングルス準決勝でジュスティーヌ・エナンから1ゲームしか奪えず1-6, 0-6のスコアで完敗した。
2012年の開幕戦ASBクラシックの決勝でフラビア・ペンネッタの途中棄権により5年5カ月ぶりのシングルスツアー4勝目を挙げた。7月のロンドン五輪で3度目のオリンピックに出場しシングルスは1回戦でナディア・ペトロワに4-6, 6-7(7) で敗退したが、彭帥と組んだダブルスではベスト8に進出している。
鄭潔は2015年ウィンブルドン選手権を最後に公式戦出場が途絶えている。2016年4月に第1子を出産した[1]。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 7回 (4勝3敗)
大会グレード | |
---|---|
2008年以前 | 2009年以後 |
グランドスラム (0–0) | |
WTAファイナルズ (0–0) | |
ティア I (0–0) | プレミア・マンダトリー (0-0) |
プレミア5 (0-0) | |
ティア II (0–0) | プレミア (0–1) |
ティア III (0–0) | インターナショナル (1–1) |
ティア IV & V (3-1) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 1. | 2005年1月14日 | ホバート | ハード | ヒセラ・ドゥルコ | 6–2, 6–0 |
準優勝 | 1. | 2005年5月8日 | フェズ | クレー | ヌリア・リャゴステラ・ビベス | 4–6, 2–6 |
優勝 | 2. | 2006年5月7日 | エストリル | クレー | 李娜 | 6–7(5), 7–5, 途中棄権 |
優勝 | 3. | 2006年8月13日 | ストックホルム | ハード | アナスタシア・ミスキナ | 6–4, 6–1 |
準優勝 | 2. | 2010年5月22日 | ワルシャワ | クレー | アレクサンドラ・ドゥルゲル | 3–6, 4–6 |
優勝 | 4. | 2012年1月8日 | オークランド | ハード | フラビア・ペンネッタ | 2–6, 6–3, 2–0 途中棄権 |
準優勝 | 3. | 2014年6月21日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | ココ・バンダウェイ | 2–6, 4–6 |
ダブルス: 30回 (15勝15敗)
大会グレード | |
---|---|
2008年以前 | 2009年以後 |
グランドスラム (2–1) | |
WTAファイナルズ (0–0) | |
ティア I (2–1) | プレミア・マンダトリー (0-0) |
プレミア5 (1-1) | |
ティア II (2–2) | プレミア (2–4) |
ティア III (2–3) | インターナショナル (1–1) |
ティア IV & V (3–2) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|
準優勝 | 1. | 2003年6月14日 | ウィーン | クレー | 晏紫 | 李婷 孫甜甜 |
3-6, 4-6 |
優勝 | 1. | 2005年1月14日 | ホバート | ハード | 晏紫 | アナベル・メディナ・ガリゲス ディナラ・サフィナ |
6–4, 7–5 |
優勝 | 2. | 2005年2月12日 | ハイデラバード | ハード | 晏紫 | 李婷 孫甜甜 |
6–4, 6–1 |
準優勝 | 2. | 2005年9月18日 | バリ | ハード | 晏紫 | メガン・ショーネシー アンナ=レナ・グローネフェルト |
3-6, 3-6 |
準優勝 | 3. | 2005年9月25日 | 北京 | ハード | 晏紫 | マリア・ベント=カブチ ヌリア・リャゴステラ・ビベス |
2-6, 4-6 |
優勝 | 3. | 2006年1月28日 | 全豪オープン | ハード | 晏紫 | リサ・レイモンド サマンサ・ストーサー |
2–6, 7–6(7), 6–3 |
準優勝 | 4. | 2006年2月12日 | パタヤ | ハード | 晏紫 | 李婷 孫甜甜 |
6-3, 1-6, 6-7(5) |
優勝 | 4. | 2006年5月14日 | ベルリン | クレー | 晏紫 | エレーナ・デメンチェワ フラビア・ペンネッタ |
6–2, 6–3 |
優勝 | 5. | 2006年5月21日 | ラバト | クレー | 晏紫 | アシュリー・ハークルロード ベサニー・マテック |
6–1, 6–3 |
優勝 | 6. | 2006年6月24日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | 晏紫 | アナ・イバノビッチ マリア・キリレンコ |
3–6, 6–2, 6–2 |
優勝 | 7. | 2006年7月8日 | ウィンブルドン | 芝 | 晏紫 | ビルヒニア・ルアノ・パスクアル パオラ・スアレス |
6–3, 3–6, 6–2 |
準優勝 | 5. | 2006年8月13日 | ストックホルム | ハード | 晏紫 | ヤルミラ・ガイドソバ エバ・ブリネロバ |
6-0, 4-6, 2-6 |
優勝 | 8. | 2006年8月26日 | ニューヘイブン | ハード | 晏紫 | リサ・レイモンド サマンサ・ストーサー |
6–4, 6–2 |
優勝 | 9. | 2007年4月15日 | チャールストン | クレー | 晏紫 | 彭帥 孫甜甜 |
7–5, 6–0 |
優勝 | 10. | 2007年5月26日 | ストラスブール | クレー | 晏紫 | アリシア・モリク 孫甜甜 |
6–3, 6–4 |
準優勝 | 6. | 2008年1月5日 | ゴールドコースト | ハード | 晏紫 | ディナラ・サフィナ アグネシュ・サバイ |
1-6, 2-6 |
優勝 | 11. | 2008年1月11日 | シドニー | ハード | 晏紫 | タチアナ・ペレビニス タチアナ・ポウチェク |
6–4, 7–6(5) |
準優勝 | 7. | 2008年3月1日 | ドバイ | ハード | 晏紫 | カーラ・ブラック リーゼル・フーバー |
5-7, 2-6 |
準優勝 | 8. | 2008年3月23日 | インディアンウェルズ | ハード | 晏紫 | ディナラ・サフィナ エレーナ・ベスニナ |
1-6, 6-1, [8-10] |
準優勝 | 9. | 2009年5月23日 | ワルシャワ | クレー | 晏紫 | ラケル・コップス=ジョーンズ ベサニー・マテック=サンズ |
1-6, 1-6 |
優勝 | 12. | 2010年2月28日 | クアラルンプール | ハード | 詹詠然 | アナスタシア・ロディオノワ アリーナ・ロディオノワ |
6–7(4), 6–2, [10–7] |
準優勝 | 10. | 2010年8月1日 | スタンフォード | ハード | 詹詠然 | リンゼイ・ダベンポート リーゼル・フーバー |
5–7, 7–6(8), [8–10] |
優勝 | 13. | 2010年8月8日 | サンディエゴ | ハード | マリア・キリレンコ | リサ・レイモンド レネ・スタブス |
6–4, 6–4 |
準優勝 | 11. | 2011年2月13日 | パタヤ | ハード | 孫勝男 | サラ・エラニ ロベルタ・ビンチ |
6–3, 3–6, [5–10] |
優勝 | 14. | 2011年5月15日 | ローマ | クレー | 彭帥 | バニア・キング ヤロスラワ・シュウェドワ |
6–2, 6–3 |
準優勝 | 12. | 2012年5月26日 | ブリュッセル | クレー | アリシア・ロソルスカ | ベサニー・マテック=サンズ サニア・ミルザ |
3–6, 2–6 |
準優勝 | 13. | 2012年8月19日 | シンシナティ | ハード | カタリナ・スレボトニク | アンドレア・フラバーチコバ ルーシー・ハラデツカ |
1–6, 3–6 |
優勝 | 15. | 2013年8月24日 | ニューヘイブン | ハード | サニア・ミルザ | アナベル・メディナ・ガリゲス カタリナ・スレボトニク |
6–3, 6–4 |
準優勝 | 14. | 2015年1月30日 | 全豪オープン | ハード | 詹詠然 | ルーシー・サファロバ ベサニー・マテック=サンズ |
4–6, 6–7(5) |
準優勝 | 15. | 2015年6月27日 | イーストボーン | 芝 | 詹詠然 | キャロリン・ガルシア カタリナ・スレボトニク |
6–7(5), 2–6 |
4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | A | LQ | 1R | 1R | 1R | 1R | A | 4R | SF | A | 4R | 3R | 3R | 1R | 15–10 |
全仏オープン | A | LQ | 4R | 1R | 2R | 1R | 3R | 2R | 2R | 2R | 2R | 3R | 1R | A | 12–11 |
ウィンブルドン | A | A | 1R | A | 3R | A | SF | 2R | 2R | 2R | 3R | 1R | 2R | A | 13–9 |
全米オープン | LQ | LQ | 1R | 2R | 2R | A | 3R | 3R | 2R | 2R | 3R | 3R | 1R | A | 11–10 |