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「ディナラ・サフィナ」の版間の差分

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[[2006年]]の[[2006年全豪オープン|全豪オープン]]では2回戦敗退に終わったが、女子ツアー大会での上位進出が大幅に増えた。5月に[[イタリア]]・[[ローマ]]で行われた「[[BNLイタリア国際|イタリア国際選手権]]」決勝では、当年度からの現役復帰を果たした[[マルチナ・ヒンギス]]に 2-6, 5-7 で敗れた。続く[[2006年全仏オープン|全仏オープン]]では4回戦で第4シードの[[マリア・シャラポワ]]を 7-5, 2-6, 7-5 で破り、初めて4大大会に8強進出を決めたが、準々決勝で[[スベトラーナ・クズネツォワ]](同じくロシアの選手)に 6-7, 0-6 で敗れた。[[2006年全米オープン (テニス)|全米オープン]]ではシングルス準々決勝で[[アメリ・モレスモ]]に 2-6, 3-6 で敗れた後、初めて4大大会ダブルス決勝に勝ち進む。サフィナは[[カタリナ・スレボトニク]]([[スロベニア]])とペアを組み、[[ナタリー・ドシー]]([[フランス]])&[[ベラ・ズボナレワ]]([[ロシア]])組に 6-7, 5-7 で敗れて準優勝になった。


[[2007年]]、サフィナは[[2007年全米オープン (テニス)|全米オープン]]の女子ダブルスで(前年度は決勝でネット越しに戦っていた)ドシーとペアを組み、決勝で[[台湾]]ペアの[[チャン詠然|詹詠然]]&[[荘佳容]]組を 6-4, 6-2 で破って優勝した。こうして、ディナラも初めての4大大会タイトルを獲得した。
[[2007年]]、サフィナは[[2007年全米オープン (テニス)|全米オープン]]の女子ダブルスで(前年度は決勝でネット越しに戦っていた)ドシーとペアを組み、決勝で[[台湾]]ペアの[[詹詠然]]&[[荘佳容]]組を 6-4, 6-2 で破って優勝した。こうして、ディナラも初めての4大大会タイトルを獲得した。


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[[2008年]]5月の「[[WTAドイツ・オープン|カタール・テレコム・ドイツ・オープン]]」で、サフィナは3回戦で[[ジュスティーヌ・エナン]]を 5-7, 6-3, 6-1 で破って勝ち進み、決勝で同じロシアの[[エレーナ・デメンチェワ]]を破って優勝した。[[2008年全仏オープン|全仏オープン]]4回戦で、サフィナは第1シードの[[マリア・シャラポワ]]を 6-7, 7-6, 6-2 で破ると、準々決勝でデメンチェワ、準決勝でクズネツォワに勝ち、初めての4大大会シングルス決勝進出を決めた。決勝戦では第2シードの[[アナ・イバノビッチ]]([[セルビア]])に 4-6, 3-6 で敗れた。8月の[[2008年北京オリンピックのテニス競技|北京五輪]]では第6シードから決勝に進み、デメンチェワに 6-3, 5-7, 3-6 の逆転で敗れて銀メダリストになった。このオリンピック女子シングルスでは、デメンチェワが金メダル、サフィナが銀メダル、[[ベラ・ズボナレワ]]が銅メダルを獲得したため、3つのメダルをすべてロシア勢が独占した。[[2008年全米オープン (テニス)|全米オープン]]では、初進出の準決勝で[[セリーナ・ウィリアムズ]]に敗れた。全米オープン終了後、[[日本]]の[[東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント]]で初優勝を挙げた。
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| 7-6, 6-7, [2-10]
| 7-6, 6-7, [2-10]

2020年8月11日 (火) 04:04時点における版

ディナラ・サフィナ
Dinara Safina
ディナラ・サフィナ
基本情報
フルネーム Dinara Mubinovna
(Mikhailovna) Safina
国籍 ロシアの旗 ロシア
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
生年月日 (1986-04-27) 1986年4月27日(38歳)
身長 182cm
体重 70kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2000年
引退年 2014年
ツアー通算 21勝
シングルス 12勝
ダブルス 9勝
生涯通算成績 541勝264敗
シングルス 360勝173敗
ダブルス 181勝91敗
生涯獲得賞金 $10,585,640
4大大会最高成績・シングルス
全豪 準優勝(2009)
全仏 準優勝(2008・09)
全英 ベスト4(2009)
全米 ベスト4(2008)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(2004・05)
全仏 3回戦(2006-08)
全英 3回戦(2005・08)
全米 優勝(2007)
優勝回数 1(米1)
国別対抗戦最高成績
BJK杯 優勝(2005)
ホップマン杯 準優勝(2009)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(2009年4月20日)
ダブルス 8位(2008年5月12日)
獲得メダル
女子 テニス
オリンピック
2008 北京 シングルス

ディナラ・ミハイロヴナ・サフィナ(Dinara Mikhailovna Safina, ロシア語: Дина́ра Муби́новна Са́фина または Дина́ра Миха́йловна Са́фина, 1986年4月27日 - )は、ロシアモスクワ出身の女子プロテニス選手。4大大会で2勝を挙げた男子の元世界ランキング1位、マラト・サフィンの妹である。2009年4月20日から世界ランキング1位になり、“兄妹世界1位”を実現させた。

4大大会では2007年全米オープン女子ダブルスでナタリー・ドシーフランス)とペアを組んで優勝したが、シングルスで3度の準優勝がある。2008年北京五輪の女子シングルス銀メダル獲得もある。WTAツアーでシングルス12勝、ダブルスで2007年全米オープンを含む9勝を挙げた。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長182cm、体重70kgで、兄とよく似た長身の体格を持つ。

来歴

ジュニア時代、2001年ウィンブルドン女子ジュニア部門で準優勝がある。兄のマラトは、前年の2000年全米オープン男子シングルス優勝者となり、ディナラがジュニア準優勝した2001年ウィンブルドン大会ではベスト8に入った。2002年から女子プロテニスツアーに参戦を開始し、同年7月にポーランド・ソポトの大会で早々とツアー初優勝を果たす。同年の全米オープン4大大会にデビューし、2回戦で第1シードのセリーナ・ウィリアムズに挑戦した。2005年は2月の「パリ・インドア選手権」と5月のチェコプラハの大会で年間2勝を挙げた。

2006年全豪オープンでは2回戦敗退に終わったが、女子ツアー大会での上位進出が大幅に増えた。5月にイタリアローマで行われた「イタリア国際選手権」決勝では、当年度からの現役復帰を果たしたマルチナ・ヒンギスに 2-6, 5-7 で敗れた。続く全仏オープンでは4回戦で第4シードのマリア・シャラポワを 7-5, 2-6, 7-5 で破り、初めて4大大会に8強進出を決めたが、準々決勝でスベトラーナ・クズネツォワ(同じくロシアの選手)に 6-7, 0-6 で敗れた。全米オープンではシングルス準々決勝でアメリ・モレスモに 2-6, 3-6 で敗れた後、初めて4大大会ダブルス決勝に勝ち進む。サフィナはカタリナ・スレボトニクスロベニア)とペアを組み、ナタリー・ドシーフランス)&ベラ・ズボナレワロシア)組に 6-7, 5-7 で敗れて準優勝になった。

2007年、サフィナは全米オープンの女子ダブルスで(前年度は決勝でネット越しに戦っていた)ドシーとペアを組み、決勝で台湾ペアの詹詠然&荘佳容組を 6-4, 6-2 で破って優勝した。こうして、ディナラも初めての4大大会タイトルを獲得した。

2008年5月の「カタール・テレコム・ドイツ・オープン」で、サフィナは3回戦でジュスティーヌ・エナンを 5-7, 6-3, 6-1 で破って勝ち進み、決勝で同じロシアのエレーナ・デメンチェワを破って優勝した。全仏オープン4回戦で、サフィナは第1シードのマリア・シャラポワを 6-7, 7-6, 6-2 で破ると、準々決勝でデメンチェワ、準決勝でクズネツォワに勝ち、初めての4大大会シングルス決勝進出を決めた。決勝戦では第2シードのアナ・イバノビッチセルビア)に 4-6, 3-6 で敗れた。8月の北京五輪では第6シードから決勝に進み、デメンチェワに 6-3, 5-7, 3-6 の逆転で敗れて銀メダリストになった。このオリンピック女子シングルスでは、デメンチェワが金メダル、サフィナが銀メダル、ベラ・ズボナレワが銅メダルを獲得したため、3つのメダルをすべてロシア勢が独占した。全米オープンでは、初進出の準決勝でセリーナ・ウィリアムズに敗れた。全米オープン終了後、日本東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントで初優勝を挙げた。

2009年全豪オープンで、サフィナは2度目の4大大会女子シングルス決勝進出を決めた。決勝戦ではセリーナ・ウィリアムズに 0-6, 3-6 のストレートで完敗し、ここでも準優勝に終わった。4月20日付の女子テニス世界ランキングで、サフィナはS・ウィリアムズを抜き、初めて1位になった。兄のマラト2000年秋に男子世界ランキング1位になったことがあり、“兄妹世界1位”を実現させたことになる。全仏オープンでは2年連続2度目の決勝戦に進出したが、同じロシアのスベトラーナ・クズネツォワに 4-6, 2-6 のストレートで敗れ、サフィナは全仏で2年連続・グランドスラムで2大会連続3度目の準優勝に終わった。ウィンブルドンの準決勝では、過去に5度の優勝を誇るビーナス・ウィリアムズに 1-6, 0-6 で完敗した。

2010年全仏オープンクルム伊達公子に 6-3, 4-6, 5-7 で敗れ1回戦敗退を喫した。2011年全豪オープンでは1回戦でキム・クライシュテルスに 0-6, 0-6 で1ゲームも奪えずに敗れた。4月末のマドリード大会2回戦でユリア・ゲルゲスに敗れた試合が最後の出場となり、3年後の2014年5月に正式に現役引退を発表した。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 24回 (12勝12敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2002年7月27日 ポーランドの旗 ソポト クレー スロバキアの旗 ヘンリエッタ・ナギョワ 6–3, 4–0 途中棄権
優勝 2. 2003年7月13日 イタリアの旗 パレルモ クレー スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク 6–3, 6–4
準優勝 1. 2004年10月31日 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク ハード (室内) オーストラリアの旗 アリシア・モリク 3–6, 4–6
優勝 3. 2005年2月13日 フランスの旗 パリ カーペット (室内) フランスの旗 アメリ・モレスモ 6–4, 2–6, 6–3
優勝 4. 2005年5月15日 チェコの旗 プラハ クレー チェコの旗 ズザーナ・オンドラスコバ 7–6(2), 6–3
準優勝 2. 2006年5月21日 イタリアの旗 ローマ クレー スイスの旗 マルチナ・ヒンギス 2–6, 5–7
準優勝 3. 2006年6月24日 オランダの旗 スヘルトーヘンボス オランダの旗 ミハエラ・クライチェク 3–6, 4–6
優勝 5. 2007年1月6日 オーストラリアの旗 ゴールドコースト ハード スイスの旗 マルチナ・ヒンギス 6–3, 3–6, 7–5
準優勝 4. 2007年4月15日 アメリカ合衆国の旗 チャールストン クレー セルビアの旗 エレナ・ヤンコビッチ 2–6, 2–6
優勝 6. 2008年5月11日 ドイツの旗 ベルリン クレー ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ 3–6, 6–2, 6–2
準優勝 5. 2008年6月7日 フランスの旗 全仏オープン クレー セルビアの旗 アナ・イバノビッチ 4–6, 3–6
準優勝 6. 2008年6月21日 オランダの旗 スヘルトーヘンボス タイ王国の旗 タマリネ・タナスガーン 5–7, 3–6
優勝 7. 2008年7月27日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス ハード イタリアの旗 フラビア・ペンネッタ 6–4, 6–2
優勝 8. 2008年8月3日 カナダの旗 モントリオール ハード スロバキアの旗 ドミニカ・チブルコバ 6–2, 6–1
準優勝 7. 2008年8月17日 中華人民共和国の旗 北京五輪 ハード ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ 6–3, 5–7, 3–6
優勝 9. 2008年9月21日 日本の旗 東京 ハード ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ 6–1, 6–3
準優勝 8. 2009年1月16日 オーストラリアの旗 シドニー ハード ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ 3–6, 6–2, 1–6
準優勝 9. 2009年1月30日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 0–6, 3–6
準優勝 10. 2009年5月3日 ドイツの旗 シュトゥットガルト クレー ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ 4–6, 3–6
優勝 10. 2009年5月9日 イタリアの旗 ローマ クレー ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ 6–3, 6–2
優勝 11. 2009年5月17日 スペインの旗 マドリード クレー デンマークの旗 キャロライン・ウォズニアッキ 6–2, 6–4
準優勝 11. 2009年6月6日 フランスの旗 全仏オープン クレー ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ 4–6, 2–6
優勝 12. 2009年7月26日 スロベニアの旗 ポルトロス ハード イタリアの旗 サラ・エラニ 6–7(5), 6–1, 7–5
準優勝 12. 2009年8月16日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード セルビアの旗 エレナ・ヤンコビッチ 4–6, 2–6

ダブルス: 16回 (9勝7敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2003年1月12日 オーストラリアの旗 キャンベラ ハード チェコの旗 ダヤ・ベダノワ フランスの旗 エミリー・ロワ
イタリアの旗 タチアナ・ガルビン
3-6, 6-3, 4-6
優勝 1. 2004年9月26日 中華人民共和国の旗 北京 ハード スイスの旗 エマヌエル・ガリアルディ アルゼンチンの旗 ヒセラ・ドゥルコ
ベネズエラの旗 マリア・ベント=カブチ
6–4, 6–4
準優勝 2. 2004年1月17日 オーストラリアの旗 シドニー ハード アメリカ合衆国の旗 メガン・ショーネシー ジンバブエの旗 カーラ・ブラック
オーストラリアの旗 レネ・スタブス
5-7, 6-3, 4-6
準優勝 3. 2005年1月10日 オーストラリアの旗 ホバート ハード スペインの旗 アナベル・メディナ・ガリゲス 中華人民共和国の旗 晏紫
中華人民共和国の旗 鄭潔
4–6, 5–7
準優勝 4. 2005年2月7日 フランスの旗 パリ カーペット (室内) スペインの旗 アナベル・メディナ・ガリゲス チェコの旗 イベタ・ベネソバ
チェコの旗 クベタ・ペシュケ
2–6, 6–2, 2–6
準優勝 5. 2005年2月14日 ベルギーの旗 アントワープ カーペット (室内) スペインの旗 アナベル・メディナ・ガリゲス ジンバブエの旗 カーラ・ブラック
ベルギーの旗 エルス・カレンズ
6–3, 4–6, 4–6
優勝 2. 2005年6月18日 オランダの旗 スヘルトーヘンボス スペインの旗 アナベル・メディナ・ガリゲス チェコの旗 イベタ・ベネソバ
スペインの旗 ヌリア・リャゴステラ・ビベス
6–4, 2–6, 7–6(11)
優勝 3. 2006年1月7日 オーストラリアの旗 ゴールドコースト ハード アメリカ合衆国の旗 メガン・ショーネシー ジンバブエの旗 カーラ・ブラック
オーストラリアの旗 レネ・スタブス
6–2, 6–3
優勝 4. 2006年2月19日 ベルギーの旗 アントワープ カーペット (室内) スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク フランスの旗 ステファニー・フォレッツ
オランダの旗 ミハエラ・クライチェク
6–1, 6–1
準優勝 6. 2006年9月7日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク フランスの旗 ナタリー・ドシー
ロシアの旗 ベラ・ズボナレワ
6–7, 5–7
優勝 5. 2007年1月6日 オーストラリアの旗 ゴールドコースト ハード スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク チェコの旗 イベタ・ベネソバ
ロシアの旗 ガリナ・ボスコボワ
6–3, 6–4
優勝 6. 2007年9月9日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード フランスの旗 ナタリー・ドシー チャイニーズタイペイの旗 詹詠然
チャイニーズタイペイの旗 荘佳容
6–4, 6–2
準優勝 7. 2007年10月7日 ドイツの旗 シュトゥットガルト ハード チャイニーズタイペイの旗 詹詠然 チェコの旗 クベタ・ペシュケ
オーストラリアの旗 レネ・スタブス
7-6, 6-7, [2-10]
優勝 7. 2008年1月5日 オーストラリアの旗 ゴールドコースト ハード ハンガリーの旗 アグネシュ・サバイ 中華人民共和国の旗 晏紫
中華人民共和国の旗 鄭潔
6–1, 6–2
優勝 8. 2008年3月22日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード ロシアの旗 エレーナ・ベスニナ 中華人民共和国の旗 晏紫
中華人民共和国の旗 鄭潔
6–1, 1–6, [10-8]
優勝 9. 2011年3月6日 マレーシアの旗 クアラルンプール ハード カザフスタンの旗 ガリナ・ボスコボワ タイ王国の旗 ノッパワン・ラトチェワカーン
オーストラリアの旗 ジェシカ・ムーア
7–5, 2–6, [10–5]

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 通算成績
全豪オープン A 1R 3R 2R 2R 3R 1R F 4R 1R 15–9
全仏オープン A 1R 2R 1R QF 4R F F 1R A 20–8
ウィンブルドン LQ 1R 1R 3R 3R 2R 3R SF A A 14–8
全米オープン 2R 4R 1R 1R QF 4R SF 3R 1R A 18–9

外部リンク

受賞
先代
セルビアの旗 アナ・イバノビッチ
WTA最も上達した選手賞
2008
次代
ベルギーの旗 ヤニナ・ウィックマイヤー