コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「張璇」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 王銘琬、郝海東のリンク修正依頼 (王銘琬) - log
14行目: 14行目:


==経歴==
==経歴==
8歳で囲碁を学び、12歳で国家囲棋集中訓練隊に入る。1982年四段認定。1986年に[[国手戦]]で7位、海峡杯女子の部優勝。1987、88年、[[新体育杯戦]]リーグ入り。1989年、五牛杯戦優勝。1990年、全国囲棋個人戦女子の部優勝。1996年[[新人王戦 (中国囲碁)|新人王戦]]ベスト8。1997年[[中国囲棋天元戦|天元戦]]挑戦者決定戦に進出し[[常昊]]に敗退、八段。1998年、宝海杯世界女子選手権戦決勝で[[大韓民国|韓国]]の黄焰二段を2-1で破り優勝。1999年、[[NEC杯囲棋賽]]ベスト8、常昊と結婚。2001年、第1期女子名人戦優勝。2003年、[[トヨタ&デンソー杯囲碁世界王座戦]]に推薦で出場、1回戦で[[王銘エン|王銘琬]]に敗れる。2003年から建橋杯女子囲棋公開戦4連覇。
8歳で囲碁を学び、12歳で国家囲棋集中訓練隊に入る。1982年四段認定。1986年に[[国手戦]]で7位、海峡杯女子の部優勝。1987、88年、[[新体育杯戦]]リーグ入り。1989年、五牛杯戦優勝。1990年、全国囲棋個人戦女子の部優勝。1996年[[新人王戦 (中国囲碁)|新人王戦]]ベスト8。1997年[[中国囲棋天元戦|天元戦]]挑戦者決定戦に進出し[[常昊]]に敗退、八段。1998年、宝海杯世界女子選手権戦決勝で[[大韓民国|韓国]]の黄焰二段を2-1で破り優勝。1999年、[[NEC杯囲棋賽]]ベスト8、常昊と結婚。2001年、第1期女子名人戦優勝。2003年、[[トヨタ&デンソー杯囲碁世界王座戦]]に推薦で出場、1回戦で[[王銘琬]]に敗れる。2003年から建橋杯女子囲棋公開戦4連覇。


甲級リーグには2003年、2006年に出場、女子甲級リーグでは2013年に厦門観音山チームで出場、2014年からは同チームコーチ。[[中国囲棋棋手排名|中国棋士ランキング]]では、1997年7月に9位を占めた。
甲級リーグには2003年、2006年に出場、女子甲級リーグでは2013年に厦門観音山チームで出場、2014年からは同チームコーチ。[[中国囲棋棋手排名|中国棋士ランキング]]では、1997年7月に9位を占めた。

2020年8月8日 (土) 07:40時点における版

張璇(ちょう せん、张璇、チャン・シュアン、1968年6月22日 - )は中華人民共和国囲碁棋士福建省福州市出身、中国囲棋協会所属、八段。建橋杯女子囲棋公開戦4連覇含む優勝5回、宝海杯世界女子選手権戦優勝など。夫は常昊九段。

経歴

8歳で囲碁を学び、12歳で国家囲棋集中訓練隊に入る。1982年四段認定。1986年に国手戦で7位、海峡杯女子の部優勝。1987、88年、新体育杯戦リーグ入り。1989年、五牛杯戦優勝。1990年、全国囲棋個人戦女子の部優勝。1996年新人王戦ベスト8。1997年天元戦挑戦者決定戦に進出し常昊に敗退、八段。1998年、宝海杯世界女子選手権戦決勝で韓国の黄焰二段を2-1で破り優勝。1999年、NEC杯囲棋賽ベスト8、常昊と結婚。2001年、第1期女子名人戦優勝。2003年、トヨタ&デンソー杯囲碁世界王座戦に推薦で出場、1回戦で王銘琬に敗れる。2003年から建橋杯女子囲棋公開戦4連覇。

甲級リーグには2003年、2006年に出場、女子甲級リーグでは2013年に厦門観音山チームで出場、2014年からは同チームコーチ。中国棋士ランキングでは、1997年7月に9位を占めた。

タイトル歴

その他の棋歴

国際棋戦

国内棋戦

代表局

1998年第5期宝海杯は、芮廼偉が不出場のため張が有力視された。黄焰との決勝三番勝負は1勝1敗の後の第3局、序盤左上隅の大ナダレ定石からの戦いが全局に波及し、その後右下の振り替わりで白番黄の優勢となる。ここで黒番張の103手目、図△の手が、通常はaへ打つところ、勝利への執念を示した手で、ここから徐々に差を縮めて終盤で逆転、世界戦初優勝を果たした。

黒 張璇 白 黄焰

参考文献

  • 小松英樹「並べて強くなる21世紀への入魂譜」(「棋道」誌1999年1月号)

外部リンク