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1994年、[[世界アマチュア囲碁選手権戦]]で準優勝。同年、台湾の中国囲棋会プロ棋士として九品(初段)、同年八品(二段)となり、1995年に台湾の名人位獲得。その後中国の棋戦に参加するなどし、1997年には[[全国囲棋個人戦]]で6位入賞。また1997年には台湾の全4タイトル制覇。1998年に勝率9割の成績により、三品から一品(九段)に飛び付き昇品。1999年に中国の[[新人王戦 (中国囲碁)|新人王戦]]でベスト4進出。1999年から2年間兵役に就く。2001年の[[世界囲碁選手権富士通杯|富士通杯]]では、[[李世ドル|李世乭]]、[[睦鎮碩]]、[[河野臨]]を破り4位となる。2007年にLG杯世界棋王戦の決勝で[[胡耀宇]]を2-1で破り、台湾棋士としては初の世界選手権優勝を果たした。
1994年、[[世界アマチュア囲碁選手権戦]]で準優勝。同年、台湾の中国囲棋会プロ棋士として九品(初段)、同年八品(二段)となり、1995年に台湾の名人位獲得。その後中国の棋戦に参加するなどし、1997年には[[全国囲棋個人戦]]で6位入賞。また1997年には台湾の全4タイトル制覇。1998年に勝率9割の成績により、三品から一品(九段)に飛び付き昇品。1999年に中国の[[新人王戦 (中国囲碁)|新人王戦]]でベスト4進出。1999年から2年間兵役に就く。2001年の[[世界囲碁選手権富士通杯|富士通杯]]では、[[李世ドル|李世乭]]、[[睦鎮碩]]、[[河野臨]]を破り4位となる。2007年にLG杯世界棋王戦の決勝で[[胡耀宇]]を2-1で破り、台湾棋士としては初の世界選手権優勝を果たした。


2007年、[[王銘エン|王銘琬]]九段、[[鄭銘瑝]]九段、[[鄭銘琦]]七段の妹の鄭淑卿と結婚<ref>http://news.ltn.com.tw/news/life/paper/167452 自由時報 2007-11-12</ref>。2008年3月、台湾棋院の棋士処遇制度に同意しなかったため、5年間の棋戦出場停止処分を受けるが、2009年9月に改訂した同意書にサインし復帰。2015年に棋王戦に優勝。
2007年、[[王銘琬]]九段、[[鄭銘瑝]]九段、[[鄭銘琦]]七段の妹の鄭淑卿と結婚<ref>http://news.ltn.com.tw/news/life/paper/167452 自由時報 2007-11-12</ref>。2008年3月、台湾棋院の棋士処遇制度に同意しなかったため、5年間の棋戦出場停止処分を受けるが、2009年9月に改訂した同意書にサインし復帰。2015年に棋王戦に優勝。


中国囲棋リーグでは、2001年から乙級リーグで[[香港]]チームに所属、2003-04年は[[中国囲棋甲級リーグ戦|甲級]]で[[貴州省|貴州]]衛視、2005年は甲級で香港に所属。2010年からは台湾棋院チームで出場し、2015年全国団体選手権は[[林海峰#海峰棋院|海峰棋院]]チーム監督。2014年に国手戦リーグ[[陳詩淵]]戦で四劫無勝負を行っている。
中国囲棋リーグでは、2001年から乙級リーグで[[香港]]チームに所属、2003-04年は[[中国囲棋甲級リーグ戦|甲級]]で[[貴州省|貴州]]衛視、2005年は甲級で香港に所属。2010年からは台湾棋院チームで出場し、2015年全国団体選手権は[[林海峰#海峰棋院|海峰棋院]]チーム監督。2014年に国手戦リーグ[[陳詩淵]]戦で四劫無勝負を行っている。

2020年8月8日 (土) 07:38時点における最新版

周 俊勲(しゅう しゅんくん、1980年2月23日-)は、台湾囲碁棋士中国囲棋会台湾棋院所属、九段。戴嘉伸七段、林聖賢七段に師事。台湾で最初の九段(一品)であり第一人者。LG杯世界棋王戦優勝、他名人戦16連覇など国内タイトル多数。周平強五段は実弟。

経歴

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碁好きの父の影響で7歳で碁を覚え、応昌期教育基金会の「菁英組」に通う。また戴嘉伸のところへ9ヶ月、林聖賢のところに6ヶ月と、短期の内弟子生活を送る。1990年に世界青少年囲碁選手権大会少年組準優勝。1991年10歳の時に中国との少年囲碁交流大会に参加し、その後3か月四川省成都で修行し、宋雪林などの指導を受ける。1993年に中国囲棋協会初段。

1994年、世界アマチュア囲碁選手権戦で準優勝。同年、台湾の中国囲棋会プロ棋士として九品(初段)、同年八品(二段)となり、1995年に台湾の名人位獲得。その後中国の棋戦に参加するなどし、1997年には全国囲棋個人戦で6位入賞。また1997年には台湾の全4タイトル制覇。1998年に勝率9割の成績により、三品から一品(九段)に飛び付き昇品。1999年に中国の新人王戦でベスト4進出。1999年から2年間兵役に就く。2001年の富士通杯では、李世乭睦鎮碩河野臨を破り4位となる。2007年にLG杯世界棋王戦の決勝で胡耀宇を2-1で破り、台湾棋士としては初の世界選手権優勝を果たした。

2007年、王銘琬九段、鄭銘瑝九段、鄭銘琦七段の妹の鄭淑卿と結婚[1]。2008年3月、台湾棋院の棋士処遇制度に同意しなかったため、5年間の棋戦出場停止処分を受けるが、2009年9月に改訂した同意書にサインし復帰。2015年に棋王戦に優勝。

中国囲棋リーグでは、2001年から乙級リーグで香港チームに所属、2003-04年は甲級貴州衛視、2005年は甲級で香港に所属。2010年からは台湾棋院チームで出場し、2015年全国団体選手権は海峰棋院チーム監督。2014年に国手戦リーグ陳詩淵戦で四劫無勝負を行っている。

タイトル歴

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国際棋戦

国内棋戦

他の棋歴

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参考文献

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  1. ^ http://news.ltn.com.tw/news/life/paper/167452 自由時報 2007-11-12
  • 大島正雄「世界一を目指す超新星群像(15) 周俊勲」(「棋道」1999年3月号)

外部リンク

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