「光復会 (韓国)」の版間の差分
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'''光復会'''(こうふくかい、광복회、クァンボクフェ)とは[[大日本帝国|日本]]からの[[朝鮮独立運動]]にかかわった運動家、その子孫や遺族からなる団体。左派系であり、朝鮮戦争の英雄、[[ |
'''光復会'''(こうふくかい、광복회、クァンボクフェ)とは[[大日本帝国|日本]]からの[[朝鮮独立運動]]にかかわった運動家、その子孫や遺族からなる団体。左派系であり、朝鮮戦争の英雄、[[白善燁]]予備役陸軍大将を含む[[親日派708人名簿]]を作成・発表や「親日派」の罵倒などしている<ref name=":0">{{Cite web|title=(朝鮮日報日本語版) 【萬物相】護国の英雄、ペク・ソンヨプ将軍を罵倒する韓国左派(朝鮮日報日本語版)|url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190624-00080078-chosun-kr|website=Yahoo!ニュース|accessdate=2019-06-24|language=ja}}</ref>。 |
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== 歴代会長 == |
== 歴代会長 == |
2020年8月8日 (土) 07:35時点における版
設立 | 1965年2月27日 |
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本部 |
韓国 ソウル特別市永登浦区 国会大路70道12 大山ビル6階[1] |
座標 | 北緯37度31分46秒 東経126度55分11秒 / 北緯37.52944度 東経126.91972度座標: 北緯37度31分46秒 東経126度55分11秒 / 北緯37.52944度 東経126.91972度 |
ウェブサイト |
www |
光復会(こうふくかい、광복회、クァンボクフェ)とは日本からの朝鮮独立運動にかかわった運動家、その子孫や遺族からなる団体。左派系であり、朝鮮戦争の英雄、白善燁予備役陸軍大将を含む親日派708人名簿を作成・発表や「親日派」の罵倒などしている[2]。
歴代会長
代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
漢字表記 | ハングル表記 | 着任 | 退任 | ||
1 | 李甲成 | 이갑성 | 1965年2月27日 | 1970年9月20日 | |
2 | 李和翊 | 이화익 | 1970年9月20日 | 1971年2月13日 | |
3 | 趙時元 | 조시원 | 1971年2月13日 | 1973年5月28日 | |
4 | 安椿生 | 안춘생 | 1973年5月28日 | 1976年5月20日 | |
5 | 朴始昌 | 박시창 | 1976年5月20日 | 1977年5月20日 | |
6 | 金弘壹 | 김홍일 | 1977年5月20日 | 1979年6月28日 | |
7 | 金弘壹 | 김홍일 | 1979年6月28日 | 1980年8月8日 | 再任、在任中に死亡 |
8 | 金相吉 | 김상길 | 1980年9月3日 | 1984年9月3日 | |
9 | 劉錫鉉 | 김상길 | 1984年9月3日 | 1987年8月28日 | 在任中に死亡 |
代理 | 宋志英 | 송지영 | 1987年9月3日 | 1988年6月1日 | |
10 | 李康勲 | 이강훈 | 1988年6月1日 | 1988年9月3日 | |
11 | 李康勲 | 이강훈 | 1988年9月3日 | 1992年9月3日 | 再任 |
12 | 金勝坤 | 김승곤 | 1992年9月3日 | 1996年9月4日 | |
13 | 權快福 | 권쾌복 | 1996年9月4日 | 1999年1月27日 | |
14 | 尹慶彬 | 윤경빈 | 1999年1月27日 | 2002年6月1日 | |
15 | 張鐵 | 장철 | 2002年6月1日 | 2003年2月13日 | |
16 | 金祐詮 | 김우전 | 2003年2月13日 | 2005年6月1日 | |
17 | 金國柱 | 김국주 | 2005年6月1日 | 2008年6月1日 | |
18 | 金永逸 | 김영일 | 2008年6月1日 | 2010年6月1日 | |
19 | 朴維徹 | 박유철 | 2011年6月1日 | 2019年5月31日 | |
20 | 金元雄 | 김원웅 | 2019年6月1日 | 現職 |
評価・批判
光復会の会員とその同伴家族は、光復節に各種の優遇措置を受けることができる。光復会長は盧武鉉政権時代に北朝鮮のミサイルは米軍基地を攻撃するためのモノでしかないと弁護し、「生ける伝説」「韓米同盟の象徴」「唯一信頼できる韓国軍将校」「最良の野戦指揮官」とアメリカでも呼ばれて米軍と共に朝鮮戦争で最後の戦線を守り抜いた白善燁将軍を親日派と罵っている。そのため、韓国の右派である朝鮮日報や在郷軍人会会長は日本統治時代に生まれて教育を受けて日本の体制で勤務したことを理由に罵倒する韓国左派に対して、韓国人本人や先祖の圧倒的多数派が日本統治に順応していたのであり批判する資格のある韓国人はいるのかと語っている。朝鮮日報は韓国に銃口を向けた北朝鮮軍人を称賛し、護国の英雄を非難する人々を批判している[2]。
2019年に日本が輸出管理の運用の見直しを始めた際の声明
2019年7月、日本が韓国への輸出管理の運用を見直しを始めたことは、日本側の経済報復であるとして次の声明を発出した[3]。
- 「韓国大法院が日帝強制徴用被害者の強制労働で富を築いた反人道的犯罪を犯した日本企業が損害賠償をするよう判決を下したのは国境を超えた21世紀文明社会で通用する基本的な法理」
- 「過去の時代、親日反民族政権の対日低姿勢外交で間違ってしつけた日本のごり押しに、文在寅政府は後退してはならない」
- 「この機会に日本が韓国を見下す癖を直しておかなくてはならない」
- 「日本全国にクモの巣のように敷かれた鉄道の枕木一つ一つは、朝鮮人強制労働者の死体と言っても過言ではない」
- 「日本政府が韓国裁判所の判決を、日韓関係を著しく損なうものだと言って経済報復に出るということは容認できないごり押し」
脚注
- ^ “오시는 길” (朝鮮語). 光復会. 2018年7月29日閲覧。旧住所表記:ソウル特別市永登浦区汝矣島洞14-27
- ^ a b “(朝鮮日報日本語版) 【萬物相】護国の英雄、ペク・ソンヨプ将軍を罵倒する韓国左派(朝鮮日報日本語版)”. Yahoo!ニュース. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “韓国光復会「日本が韓国を見下す癖を直しておかなくては」”. 中央日報 (2019年7月2日). 2019年7月2日閲覧。