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'''程 希賢'''(てい きけん)は、[[中華民国]]の軍人。[[北京政府]]、[[国民軍 (中華民国)|国民軍]]、[[国民政府]]([[国民革命軍]])に属した。[[馮玉祥]]配下の「'''十三太保'''」<ref>程希賢に加え、[[孫良誠]]、[[韓復ク|韓復榘]]、[[石友三]]、[[張維璽]]、[[過之綱]]、[[劉汝明]]、[[聞承烈]]、[[佟麟閣]]、[[孫連仲]]、[[韓多峰]]、[[葛金章]]、[[趙席聘]]の13人を指す。</ref>の1人としても知られる。[[字]]は'''偉儒'''。 |
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== 事跡 == |
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2020年8月4日 (火) 03:17時点における版
程希賢 | |
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プロフィール | |
出生: | 1892年(清光緒18年) |
死去: | 不詳 |
出身地: | 清直隷省河間府景州 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 程希賢 |
簡体字: | 程希贤 |
拼音: | Chéng Xīxián |
ラテン字: | Ch'eng Hsi-hsien |
和名表記: | てい きけん |
発音転記: | チョン シーシエン |
程 希賢(てい きけん)は、中華民国の軍人。北京政府、国民軍、国民政府(国民革命軍)に属した。馮玉祥配下の「十三太保」[1]の1人としても知られる。字は偉儒。
事跡
早くから馮玉祥の兵営に入隊し、軍歴を重ねていく。1927年(民国16年)5月、馮が国民革命軍第2集団軍を率いて潼関から出撃した際に、程希賢は鹿鍾麟率いる第18軍で第66師師長に任ぜられた。北伐終了後の翌年秋、軍縮に伴い第26師師長に任ぜられたが、まもなく馮により罷免されている。
1929年(民国18年)3月、第29師師長に任ぜられたが、同年、山東省政府高等顧問に転じる。1931年(民国20年)、北平軍事整理委員会委員に任ぜられた。1936年(民国25年)、天津市保安総隊長兼冀察政務委員会委員(兼外交委員)となる。翌年、日中戦争(抗日戦争)が勃発すると、石友三率いる第181師で副市長に任ぜられた。
後に汪兆銘政権(南京国民政府)に降り、開封綏靖委員会機要組組長、軍事参議院中将参議の他、1945年(民国34年)2月より江蘇省第8区行政督察専員兼江蘇第1区清郷督察専員と歴任した。
汪兆銘政権崩壊後の消息は不明である。
注
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。