「無著道忠」の版間の差分
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最初[[出石]]の[[如来寺]]で小僧となり、1660年、8歳で上洛し出家して、妙心寺龍華院の[[竺印祖門]]([[1610年]] - [[1677年]])の門弟となり、嗣法となる。 |
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その後は[[紀伊国]]吹上寺の[[逸堂]]・[[越前国]]大安寺の[[黙印]]のもとに参禅、一旦帰京して龍華院に住し、1677年、25歳で、師の跡を継ぎ、龍華院の第2世に就任する。この頃すでに、禅籍などの講筵に加わり、[[大愚宗築]]門下の黙印について修禅にはげんでいた。また、各地の先学に教えを乞い、禅籍以外の仏典、漢籍、暦書、中国・日本の小説の類や古籍などの種々の分野にわたる諸本を渉猟した。そして、古版本や古写本の抄写や校勘を行なった。自ら禅籍の講説を行なうことも多く、注釈書や辞書の類を多く著し、その中で『金鞭指街』18において[[鈴木正三]]の仁王禅を、『正法眼蔵僣評』(正徳3年(1713年)による[[道元]]の『[[正法眼蔵]]』中の大慧への言及を、『黄檗外記』([[享保]]5年(1720年))による[[黄檗宗]]([[ |
その後は[[紀伊国]]吹上寺の[[逸堂]]・[[越前国]]大安寺の[[黙印]]のもとに参禅、一旦帰京して龍華院に住し、1677年、25歳で、師の跡を継ぎ、龍華院の第2世に就任する。この頃すでに、禅籍などの講筵に加わり、[[大愚宗築]]門下の黙印について修禅にはげんでいた。また、各地の先学に教えを乞い、禅籍以外の仏典、漢籍、暦書、中国・日本の小説の類や古籍などの種々の分野にわたる諸本を渉猟した。そして、古版本や古写本の抄写や校勘を行なった。自ら禅籍の講説を行なうことも多く、注釈書や辞書の類を多く著し、その中で『金鞭指街』18において[[鈴木正三]]の仁王禅を、『正法眼蔵僣評』(正徳3年(1713年)による[[道元]]の『[[正法眼蔵]]』中の大慧への言及を、『黄檗外記』([[享保]]5年(1720年))による[[黄檗宗]]([[隠元隆琦]])をそれぞれ批判した。その緻密な方法による業績群は当時にあっては異彩を放っており、近現代になってからも、その学問的評価は揺らぐことがない。 |
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[[1707年]]、55歳で妙心寺の住持となる。[[1714年]]、62歳の時に、妙心寺に再住。[[1722年]]、69歳で、妙心寺に三住する。[[1723年]]、70歳で龍華院に隠居。 |
[[1707年]]、55歳で妙心寺の住持となる。[[1714年]]、62歳の時に、妙心寺に再住。[[1722年]]、69歳で、妙心寺に三住する。[[1723年]]、70歳で龍華院に隠居。 |
2020年8月2日 (日) 22:05時点における版
無著道忠(むじゃく どうちゅう、承応2年7月25日(1653年9月16日) - 延享元年12月23日(1745年1月25日))は、江戸時代の禅宗中の臨済宗妙心寺派の学僧である。諱は道忠.号は葆雨堂・照冰堂。
生涯
最初出石の如来寺で小僧となり、1660年、8歳で上洛し出家して、妙心寺龍華院の竺印祖門(1610年 - 1677年)の門弟となり、嗣法となる。
その後は紀伊国吹上寺の逸堂・越前国大安寺の黙印のもとに参禅、一旦帰京して龍華院に住し、1677年、25歳で、師の跡を継ぎ、龍華院の第2世に就任する。この頃すでに、禅籍などの講筵に加わり、大愚宗築門下の黙印について修禅にはげんでいた。また、各地の先学に教えを乞い、禅籍以外の仏典、漢籍、暦書、中国・日本の小説の類や古籍などの種々の分野にわたる諸本を渉猟した。そして、古版本や古写本の抄写や校勘を行なった。自ら禅籍の講説を行なうことも多く、注釈書や辞書の類を多く著し、その中で『金鞭指街』18において鈴木正三の仁王禅を、『正法眼蔵僣評』(正徳3年(1713年)による道元の『正法眼蔵』中の大慧への言及を、『黄檗外記』(享保5年(1720年))による黄檗宗(隠元隆琦)をそれぞれ批判した。その緻密な方法による業績群は当時にあっては異彩を放っており、近現代になってからも、その学問的評価は揺らぐことがない。
1707年、55歳で妙心寺の住持となる。1714年、62歳の時に、妙心寺に再住。1722年、69歳で、妙心寺に三住する。1723年、70歳で龍華院に隠居。
延享元年12月23日(1745年1月25日)、92歳で没する。
主な著作
全374種911巻と称される程、数多くの著作を残した。
以上、辞典類
- 『虚堂録犂耕』(1727年)
- 『臨済慧照禅師語録疏瀹』(1726年)
以上、註釈書
以上、校訂書
その他