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「日本国見在書目録」の版間の差分

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『[[続群書類従]]』巻884に収録されているが、多少の誤脱がある<ref>山田(1934) pp.91-92</ref>。『[[古逸叢書]]』にも収めるが、誤記が非常に多いという<ref>山田(1934) p.92-93</ref>。
『[[続群書類従]]』巻884に収録されているが、多少の誤脱がある<ref>山田(1934) pp.91-92</ref>。『[[古逸叢書]]』にも収めるが、誤記が非常に多いという<ref>山田(1934) p.92-93</ref>。

2020年8月2日 (日) 21:56時点における版

日本国見在書目録』(にほんこくげんざいしょもくろく)は、寛平3年(891年)ごろに藤原佐世によって作られた漢籍の分類目録。日本最古の漢籍目録であり、載せられた漢籍の多くは現存しない。

漢籍目録としては『隋書経籍志と『旧唐書』経籍志の中間の年代にあたり、また中国の目録に見えない書籍も含まれるため、中国史上も重視される。

内容

『日本国見在書目録』は宇多天皇の命によって、寛平年間に藤原佐世が編纂した。おそらく貞観17年(875年)に冷然院の火災によって多くの書物を失ったことを契機とする[1][2]

載せられている書籍は1579部、16790巻に達する。

分類は『隋書』経籍志に倣った四部分類で、40類に分けられている。分類だけでなく注釈も『隋書』にしたがった所がある[3]

テキスト

室生寺本(現・宮内庁書陵部蔵)が最古の写本であり、この本を文政年間に狩谷棭斎[4]が入手してから世に知られるようになった。室生寺本はその後に森立之の手にわたった。

続群書類従』巻884に収録されているが、多少の誤脱がある[5]。『古逸叢書』にも収めるが、誤記が非常に多いという[6]

室生寺本の影印本が古典保存会(1925)、名著刊行会(1976、再版1996)で版されている。

脚注

  1. ^ 安井息軒書現在書目後」『息軒遺稿』 巻之三https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/894100/44 
  2. ^ 山田(1934) p.89
  3. ^ 狩野直喜日本國見在書目録に就いて」『支那學文藪』みすず書房、1973年(原著1927年)http://www.aozora.gr.jp/cards/001127/files/43836_35422.html 
  4. ^ オンデマンド版で、『狩谷棭斎全集(第7) 日本見在書目証注稿』、神田喜一郎校訂、覆刻日本古典全集(13)現代思潮新社(2006年)がある。
  5. ^ 山田(1934) pp.91-92
  6. ^ 山田(1934) p.92-93

参考文献

関連項目

外部リンク