「冨谷至」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
32行目: | 32行目: | ||
===訳注=== |
===訳注=== |
||
*[[班固]]『[[漢書]][[五行]]志』 [[吉川忠夫]]共訳注、[[東洋文庫 (平凡社)|平凡社東洋文庫]]、1986年、ワイド版2007年 |
*[[班固]]『[[漢書]][[五行]]志』 [[吉川忠夫]]共訳注、[[東洋文庫 (平凡社)|平凡社東洋文庫]]、1986年、ワイド版2007年 |
||
*[[狩谷 |
*[[狩谷棭斎|狩谷掖齋]]『本朝度量権衡攷』 [[平凡社]]東洋文庫(全2巻)、1991年 - 1992年、ワイド版2008年 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2020年8月2日 (日) 21:55時点における版
冨谷 至(とみや いたる、1952年1月1日[1] - )は、古代中国史学者。京都大学人文科学研究所名誉教授。専門は中国法制史、簡牘学。
大阪府出身、1975年に京都大学文学部東洋史を卒業、1977年同大学院博士課程中退。京大人文研助手、大阪大学教養部助教授、京大人文研助教授を経て現職となる。1997年「秦漢刑罰制度考証」で文学博士を受けた。ケンブリッジ大学訪問研究員、ドイツ・ミュンスター大学客員教授、西北大学客員教授(中国)を歴任。2017年京大を定年退任、名誉教授。
著書
- 『ゴビに生きた男たち 李陵と蘇武』白帝社〈中国歴史人物選 第2巻〉、1994年
- 『古代中国の刑罰 髑髏が語るもの』中央公論新社〈中公新書〉、1995年
- 『秦漢刑罰制度の研究』同朋舎〈東洋史研究叢刊〉、1998年
- 『韓非子 不信と打算の現実主義』中公新書、2003年
- 『木簡・竹簡の語る中国古代 書記の文化史』岩波書店〈世界歴史選書〉、2003年、増補版2014年
- 『教科書では読めない中国史 中国がよくわかる50の話』小学館、2006年。図版書での解説
- 『文書行政の漢帝国 木簡・竹簡の時代』名古屋大学出版会、2010年
- 『中国義士伝 節義に殉ず』中公新書、2011年
- 『四字熟語の中国史』岩波新書、2012年
- 『中華帝国のジレンマ 礼的思想と法的秩序』筑摩書房〈筑摩選書〉、2016年
- 『漢唐法制史研究』創文社、2016年
- 『漢倭奴国王から日本国天皇へ 国号「日本」と称号「天皇」の誕生』臨川書店、2018年。京大人文研東方学叢書
共編著
- 『流沙出土の文字資料 楼蘭・尼雅出土文書を中心に』京都大学学術出版会、2001年
- 『中国人物列伝』木田知生共編、恒星出版、2002年
- 『邊境出土木簡の研究』朋友書店、2003年(京都大學人文科學研究所研究報告)
- 『中国の歴史 上(古代・中世)』愛宕元共編、昭和堂、2005年
- 『江陵張家山二四七號墓出土漢律令の研究 譯注篇/論考篇』朋友書店、2006年(京都大學人文科學研究所研究報告)
- 『東アジアの死刑』京都大学学術出版会、2008年
- 『漢字の中国文化』昭和堂、2009年
- 『木簡と中国古代』目黒杏子・土口史記共著、研文出版(京大人文研漢籍セミナー)2015年
- 『漢簡語彙考証』岩波書店、2015年3月。下記の編著
- 『漢簡語彙 中国古代木簡辞典』京大人文科学研究所簡牘研究班編。同上
訳注
脚注
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.331