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** 中国国家チームを正式に引退する<ref>『卓球王国』2014年5月号、p25</ref> |
** 中国国家チームを正式に引退する<ref>『卓球王国』2014年5月号、p25</ref> |
2020年8月2日 (日) 20:56時点における版
馬 琳 |
獲得メダル |
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馬 琳(ば りん、拼音:Mǎ Lín、仮名転写:マ リン、英語: Ma Lin、1980年2月19日 - )は、中国・遼寧省瀋陽市出身の元卓球選手。2004年アテネオリンピック男子ダブルス・2008年北京オリンピック男子シングルス・男子団体金メダリスト。
6歳の時卓球を始め、1990年に遼寧省のチームに、1994年には中国代表チームに入った。引退後の2017年4月から男子中国代表のコーチを務めている。
プレースタイル
ペンホルダー選手。バックハンド技術はショート、プッシュに加えて裏面打法も使い、年を重ねるごとに多彩になっていっている。卓球王国の裏面打法特集では第二世代の代表とされている[1][2]。フットワークを重視したフォア主戦とカウンターを重視した両ハンド主戦の2つの戦術を使い分ける。また、サービス、台上技術のレベルが非常に高く、特にサービスはインパクトが異常に速く、かつ多彩で強烈な回転を誇るため、「マジカルサービス」と呼ばれることもあるほど。
精神面が弱く流れが悪くなると試合態度が悪くなる。この点において、サムソノフやボルと比較されることがあり、この点が実力はありながらも、世界選手権やオリンピックといったビッグタイトルを獲得できない要因との指摘もあった。(この間、無冠の帝王と呼ばれていた)[誰によって?]
2008年北京オリンピックにて悲願のビッグタイトルを手に入れた。この他、ダブルスの名手とも知られており、世界選手権やオリンピックにおいて優勝4回、準優勝3回、3位2回を誇る。 なお、オリンピック男子において大満貫(シングルス、ダブルス、団体すべての優勝)を成し遂げた唯一の選手である。(本人もこのことに言及している)
その他
1997年から2013年までの全ての世界選手権に出場し、中国代表の世界選手権への最多連続出場記録(15回)を持っている。(2018年現在で2位は馬龍の13回)
2007年の世界選手権決勝後に行われた記者会見において父が自殺したことを知り涙を流した。(卓球レポート2007年8月号)
主な戦績
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 第46回世界選手権大阪大会 男子シングルス3位、男子団体優勝
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 2012年
- 2013年
- 2014年
- 中国国家チームを正式に引退する[3]