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*市長在任中は[[西友]]を核にした「[[ザ・モール周南]]」の誘致に成功し、下松に大型店ラッシュの呼び水を作った。現在も商業面積に占める大型店の割合(大型店占有率)は全国トップである。 |
*市長在任中は[[西友]]を核にした「[[ザ・モール周南]]」の誘致に成功し、下松に大型店ラッシュの呼び水を作った。現在も商業面積に占める大型店の割合(大型店占有率)は全国トップである。 |
2020年7月25日 (土) 04:15時点における版
河村 憐次 かわむら れんじ | |
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生年月日 | 1917年6月14日 |
出生地 | 山口県下松市 |
没年月日 | 2014年2月15日(96歳没) |
死没地 | 山口県周南市 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
前職 | 山口県議会議員 |
現職 | 社会福祉法人松星苑名誉理事長 |
所属政党 |
(無所属→) (自由民主党→) 無所属 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1984年4月25日 - 2000年4月24日 |
河村 憐次(かわむら れんじ、1917年6月14日 - 2014年2月15日[1])は、元山口県下松市長、元山口県議会議員、元下松市議会議員。山口県下松市出身。慶應義塾大学法学部卒業。
経歴
- 東洋鋼鈑下松工場で安全厚生課長、下松営業所長などを務めた。
- 社会福祉法人松星苑(しょうせいえん)理事長として知的障害者のための施設を経営してきた。現在は名誉理事長。
- 下松市長時代は山口県市長会会長、全国市長会副会長を務めた。
- 2014年2月15日午後10時38分、肺炎のため、山口県周南市の病院で死去。96歳没。歿日付で従四位。
選挙
- 1954年4月 下松市議会議員に無所属で当選。36歳(市議1期目)
- 1967年4月 山口県議会議員に無所属で当選。49歳(県議1期目)
- 1971年4月 山口県議会議員に自民党公認で当選。53歳(県議2期目)
- 1975年4月 山口県議会議員に自民党公認で当選。57歳(県議3期目)
- 1979年4月 山口県議会議員に自民党公認で当選。61歳(県議4期目)
- 1983年4月 山口県議会議員に自民党公認で当選。65歳(県議5期目)
- 1984年4月 下松市長に当選。66歳(市長1期目)=岩崎重男(無新・前助役)を破る
- 1988年4月 下松市長に当選。70歳(市長2期目)=岡本三平(共新・元市議)を破る
- 1992年4月 下松市長に当選。74歳(市長3期目)=弘中佑児(無新・元市議会議長)を破る
- 1996年4月 下松市長に当選。78歳(市長4期目)=無投票
- 2000年4月 下松市長に落選。82歳 =井川成正(無新・元市議会議長)に敗れる
政策
- 県議時代は一貫して岸信介派(のちの吹田愰派)に属した。
- 下松市長には前評判の高かった前助役を大差で破って当選し「変革の初V」と報じられた。さっそく助役には「市政に新しい血を入れる」と県庁幹部を迎えた。
- 市長在任中は西友を核にした「ザ・モール周南」の誘致に成功し、下松に大型店ラッシュの呼び水を作った。現在も商業面積に占める大型店の割合(大型店占有率)は全国トップである。
- 合併による中核都市づくりを標榜し、3市2町合併協議会の設立に貢献したが、2000年の市長選では合併慎重派の井川成正に敗れた。
脚注
- ^ 山口県下松市長の河村 憐次さん死去、有名人の葬儀、2014年2月17日閲覧