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高校卒業後に[[白鷗大学]]へ進学。1年次の春から[[関甲新学生野球連盟|関甲新学生]]リーグ戦に出場する<ref name="sponichi20111027">{{Cite news|date=2011-10-27 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/27/kiji/K20111027001904390.html |title=岡島豪郎 目をみはる強肩 なかなかいない“打てる捕手”|newspaper=[[スポーツニッポン|Sponichi Annex]]|publisher=|accessdate=2011-10-31}}</ref>と、2年次には[[外野手]]としてベストナインに選出された。3年次から正捕手となり、春には最多[[打点]]、秋には首位打者のタイトルを獲得。4年次からは主将を務めた。リーグ通算108[[安打]]、8[[本塁打]]<ref name="hochi20111119"/>。大学時代の野球部の同期には[[塚田正義]]、3学年後輩には[[ルシアノ・フェルナンド]]がいる。
高校卒業後に[[白鷗大学]]へ進学。1年次の春から[[関甲新学生野球連盟|関甲新学生]]リーグ戦に出場する<ref name="sponichi20111027">{{Cite news|date=2011-10-27 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/27/kiji/K20111027001904390.html |title=岡島豪郎 目をみはる強肩 なかなかいない“打てる捕手”|newspaper=[[スポーツニッポン|Sponichi Annex]]|publisher=|accessdate=2011-10-31}}</ref>と、2年次には[[外野手]]としてベストナインに選出された。3年次から正捕手となり、春には最多[[打点]]、秋には首位打者のタイトルを獲得。4年次からは主将を務めた。リーグ通算108[[安打]]、8[[本塁打]]<ref name="hochi20111119"/>。大学時代の野球部の同期には[[塚田正義]]、3学年後輩には[[ルシアノ・フェルナンド]]がいる。


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=== 楽天時代 ===
=== 楽天時代 ===

2020年7月24日 (金) 09:28時点における版

岡島 豪郎
東北楽天ゴールデンイーグルス #27
ZOZOマリンスタジアムにて(2017年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県邑楽郡千代田町
生年月日 (1989-09-07) 1989年9月7日(35歳)
身長
体重
176 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手外野手
プロ入り 2011年 ドラフト4位
初出場 2012年6月20日
年俸 2,700万円(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岡島 豪郎(おかじま たけろう、1989年9月7日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する群馬県邑楽郡千代田町出身のプロ野球選手捕手外野手)。右投左打。愛称は、「ジェシカ」「タケロー」「オカジ」。

経歴

プロ入り前

中学校時代は硬式の太田ボーイズに所属。関東学園大学附属高等学校時代は下級生から正捕手を務める。2年生の夏は群馬県予選でベスト8に進出するも、3年生の夏は群馬県予選3回戦で敗退。在学中には、春夏とも阪神甲子園球場での全国大会に出場できなかった。

高校卒業後に白鷗大学へ進学。1年次の春から関甲新学生リーグ戦に出場する[2]と、2年次には外野手としてベストナインに選出された。3年次から正捕手となり、春には最多打点、秋には首位打者のタイトルを獲得。4年次からは主将を務めた。リーグ通算108安打、8本塁打[3]。大学時代の野球部の同期には塚田正義、3学年後輩にはルシアノ・フェルナンドがいる。

2011年のNPBドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目で指名された。楽天スカウトの指名リストに入っていなかった[注 1]が、阪神タイガース内野手だった藤倉多祐(白鷗大学硬式野球部監督)からの情報を基に、当時の楽天監督・星野仙一の意向で急遽指名[5]。後に、契約金4,000万円、年俸800万円(金額は推定)という条件で入団した[3]。入団当初の背番号27

楽天時代

2012年8月1日、こまちスタジアムにて

2012年、新人選手からただ1人、春季キャンプを一軍でスタート[6]。公式戦の開幕を二軍で迎えたが、正捕手・嶋基宏の故障による戦線離脱などを背景に、6月20日に一軍初出場を果たす。同期入団の釜田佳直とルーキーバッテリーを組むなど一軍に定着、7月4日の千葉ロッテマリーンズ戦では成瀬善久からプロ初本塁打を放ち、8月26日の北海道日本ハムファイターズ戦(Kスタ宮城)では自身プロ入り初となるサヨナラヒット(内野安打)を放った[7]。9月5日の日本ハム戦(東京ドーム)には同じく新人の島内宏明とのアベック本塁打を放つ。新人2人によるアベック本塁打は1989年中日ドラゴンズ大豊泰昭山口幸司以来23年ぶり。9月8日の埼玉西武ライオンズ戦ではシーズン2本目となるサヨナラ打を涌井秀章から放つ。新人のサヨナラ安打2本は2002年の喜多隆志(ロッテ)以来10年ぶり、新人の代打でのサヨナラ安打は1992年の町田公二郎広島)以来20年ぶり[4]フレッシュオールスターには「4番・捕手」として出場。その後もシーズン終了まで嶋に次ぐ第二捕手として一軍に帯同、新人ながら43試合に出場し、打撃では前述の2本のサヨナラ安打や打率.258と捕手としては高い打力を見せた。

2013年、右肘痛の影響で、5月に入ってから一軍へ昇格した。一軍公式戦では当初、4試合に捕手として先発出場。正捕手の嶋の打撃が好調で捕手としての出場機会が限られたことから、セ・パ交流戦の期間中に自ら志願して、大学2年次まで経験していた外野守備の練習を再開した[8]。5月24日の読売ジャイアンツ戦でプロ入り後初めて外野(ライト)の守備に就くと[9]、6月30日のオリックス・バファローズ戦ではスタメンとしては初めて外野手(レフト)で起用される。7月29日のチームの決起集会で監督の星野に「(守備位置は)どこでもいいので使ってください!」と直訴した[10]。同月31日の西武戦(こまちスタジアム)からは、聖澤諒に変わって「1番・右翼手」としてレギュラーに定着[8]。一軍公式戦では規定打席には届かなかったものの、79試合に出場。打率.323、出塁率.405、OPS.790の好成績を残し、球団初のリーグ優勝の原動力となった。巨人との日本シリーズでも全試合に1番打者として出場、打率.259ながら第5戦では内海哲也から先制打、第7戦では杉内俊哉から追加点となる適時打と勝負強さを発揮して勝利に貢献[10]、チーム初の日本一にも大きく貢献した。オフの11月には、台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された[11]

2014年、1月22日、登録ポジションが捕手から外野手へ変更されることが球団から発表された[12]。6月22日の阪神タイガース戦(甲子園)では、2回表の第1打席で一軍公式戦初の犠飛を記録[13]。「1番・右翼手」としてスタメンで出場した7月1日のオリックス戦(京セラドーム大阪)では、チームが8回表までにベンチ登録の捕手を全員起用したため、8回裏から試合終了まで急遽捕手に回った。岡島が一軍公式戦で捕手の守備に就いたのは、前年7月27日のロッテ戦(Kスタ宮城)以来およそ1年振り[14]。チームは最下位と低迷する中、1年間レギュラーとして出場、チームトップの154安打(パ・リーグ5位)を放つ奮闘を見せた。

2015年、新加入したゼラス・ウィーラーの影響もあり、開幕スタメンを逃すが、開幕3試合目の3月29日にスタメン入りすると、2安打1打点の活躍を見せた。その後も4月8日の福岡ソフトバンクホークス戦では飯田優也からサヨナラ犠牲フライを打ったりしたが、開幕から26試合で打率.165と不振に陥り、5月3日に二軍に降格した。[15]二軍調整中に背中を痛め、約2ヶ月間実戦に復帰できなかったが、9月20日に一軍復帰すると、9月29日のソフトバンク戦では寺原隼人から2014年8月20日以来の3ラン本塁打を放った。

2016年、開幕スタメン入りし、15試合で打率.317と好調だったが、4月14日に腰の違和感で二軍に降格[16]。1番右翼手のスタメン出場が多かったが、交流戦前後にオコエ瑠偉が1番で出場する際は5番で先発出場した[17]。5月24日時点でリーグトップ打率.346を記録するなど好調を維持したものの[18]、6月から極度の打撃不振に陥った影響で、8月には途中入団のカルロス・ペゲーロなどにスタメンを譲る機会が多くなった。9月からは、スタメン起用の機会が再び増加。10日・11日の対日本ハム戦(楽天Koboスタジアム宮城)では、一軍公式戦で自身初の2試合連続本塁打を記録した。シーズン全体では、一軍公式戦127試合へ出場するとともに、2年振りに規定打席へ到達。打率を.252にまで落としながらも、6本塁打を含む106安打を放った。シーズン終了後には、背番号を4に変更[19]するとともに、元タレント岡村真由と結婚した[20]

2017年、一軍公式戦の開幕スタメンに名を連ねられず、正右翼手の座をペゲーロに明け渡したものの、正左翼手として5月終了時点で打率.316を記録。前年に続いて、春先は打撃が好調だったが、6月頃から不調に陥った。セ・パ交流戦の期間中からは、聖澤との併用を経て、ペゲーロに代わる守備要員としての起用が相次いだ。7月23日の対オリックス戦(楽天Koboスタジアム宮城)では、右翼手としてスタメンに起用されたペゲーロが1回裏の走塁中に左太もも裏の筋損傷を起こしたため、2回表から急遽右翼手として出場。しかし、8回表の守備で飛球を追ってファウルゾーンへ滑り込んだ際にフェンスへ激突した。この激突で左肩を痛めたため、田中和基との交代を余儀なくされた。さらに、交代後の診察で関節亜脱臼による関節唇損傷と診断された[21]ため、1ヶ月以上にわたって戦線を離脱[22]。シーズン通算では、一軍公式戦111試合の出場で、打率.260、3本塁打、32打点という成績にとどまった。なお、シーズン終了後には、銀次の後任として選手会長に就任。秋季キャンプでは、一軍で捕手を2人しか登録できない場合に備えて、捕手としての守備練習にも参加した[23]

2018年、前年に負った左肩の故障が癒えぬまま、公式戦の開幕を一軍で迎えたものの、開幕から打率が2割前後と低迷。5月17日の対ソフトバンク戦(楽天生命パーク)でチームをシーズン初のサヨナラ勝利に導く適時打を放った[24]一方で、同月20日の対日本ハム戦(札幌ドーム)では、8回裏から一軍公式戦で4年振りに捕手の守備へ就いた[25]。シーズン全体では一軍公式戦108試合に出場したものの、本塁打数は(2試合連続[26]を含む)3本で、打率も.190という低成績となった。さらに田中が正中堅手に定着したことなどから、スタメンでの出場機会も55試合に減少。捕手としては3試合に出場。シーズン終了後の秋季キャンプでは、翌2019年からポジション登録を捕手へ戻すことを視野に、捕手としての守備練習を本格的に再開した[27]

2019年、捕手へ本格的に復帰することに伴って、登録ポジションを外野手から捕手、背番号を4から27に戻した。しかし、選手会長ながら、春季キャンプを二軍でスタート。キャンプ期間中の2月12日に左肩の手術(左反復性肩関節脱臼に対する鏡視下バンカート法修復術)[28]、レギュラーシーズン開幕直後の4月5日に右肘のクリーニング手術を相次いで受けた。左肩の手術を受けた時点で競技復帰まで6ヶ月を要することが見込まれていた[29]が、実際には7月下旬に、捕手としてイースタン・リーグ公式戦で実戦復帰。同リーグ公式戦では26試合の出場で打率.273を記録したほか、12試合でマスクをかぶったものの、プロ入り後初めて一軍公式戦へ出場せずにシーズンを終えた。

選手としての特徴・人物

打撃・走塁

広角に打ち分ける強打を備え[2]50メートル6.1秒[3]、一塁到達4.02秒[30]と足も速く、2012年には捕手としては非常に高い内野安打率を記録した[31]

守備

遠投110メートルの俊足強肩[2][3]捕手外野手としても出場している。

楽天入団時は捕手であり、強肩かつ捕球してから送球までの動作も早く、大学日本代表候補合宿では二塁送球1.9秒台を記録している[32]。楽天入団後は、嶋基宏が正捕手を務めているチーム事情もあり、2年目の2013年から外野手に転向した。前述の2014年のオリックス・バファローズ戦など、試合終盤に捕手を使いきった試合では捕手守備につくこともあった。前述のとおり、2019年からは再び捕手登録となった。

人物

ニトリで購入したシロクマを模した抱き枕を使っており、その抱き枕の名前「ジェシカ」がそのまま岡島の愛称となった[33]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2012 楽天 43 125 120 12 31 3 0 2 40 11 3 1 0 0 4 0 1 15 1 .258 .288 .333 .621
2013 79 264 226 40 73 9 1 1 87 13 3 3 7 0 27 1 4 31 6 .323 .405 .385 .790
2014 142 618 545 77 154 27 3 7 208 53 9 10 9 3 57 2 4 71 7 .283 .353 .382 .735
2015 41 155 137 13 23 5 2 1 35 13 7 2 4 2 12 0 0 15 0 .168 .232 .255 .487
2016 127 485 420 44 106 13 4 6 145 35 7 9 6 3 46 2 10 49 4 .252 .338 .345 .683
2017 111 400 342 51 89 13 5 3 121 32 3 2 10 5 41 0 2 65 6 .260 .338 .354 .692
2018 108 241 216 16 41 10 1 3 62 15 1 1 3 0 22 1 0 54 4 .190 .265 .287 .552
通算:7年 651 2288 2006 253 517 80 16 23 698 172 33 28 39 13 209 6 21 300 28 .258 .332 .348 .680
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績



捕手 外野


































2012 楽天 36 197 17 1 0 .995 3 21 15 6 .286 -
2013 12 34 4 0 0 1.000 0 9 8 1 .111 56 93 3 2 1 .980
2014 1 2 0 0 0 1.000 0 0 0 0 ---- 142 243 8 3 1 .988
2015 - 40 65 2 0 1 1.000
2016 - 123 185 3 3 2 .984
2017 - 105 185 3 0 0 1.000
2018 3 2 1 0 0 1.000 0 0 0 0 ---- 102 118 2 2 1 .984
通算 52 235 22 1 0 .996 3 30 23 7 .233 568 889 21 10 3 .989
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

初記録
その他記録

背番号

  • 27 (2012年 - 2016年、2019年 - )
  • 4 (2017年 - 2018年)

登場曲

脚注

注釈

  1. ^ 「リストアップはしていたが、優先順位は低かった」[4]とも。

出典

  1. ^ 楽天 - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2019年12月12日閲覧。
  2. ^ a b c “岡島豪郎 目をみはる強肩 なかなかいない“打てる捕手””. Sponichi Annex. (2011年10月27日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/27/kiji/K20111027001904390.html 2011年10月31日閲覧。 
  3. ^ a b c d “ドラ4・岡島、エース打ち砕く”. スポーツ報知. (2011年11月19日). http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20111119-OHT1T00112.htm 2011年11月19日閲覧。 
  4. ^ a b “「ゾーンに入った」新人・岡島 涌井討ちサヨナラ打”. Sponichi Annex. (2012年9月9日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/09/kiji/K20120909004075000.html 2012年9月15日閲覧。 
  5. ^ 「AURORA VISION」『週刊ベースボール』2012年10月29日号、ベースボール・マガジン社、48頁、雑誌20445-10/29。 
  6. ^ “新人岡島が1軍キャンプ”. 時事ドットコム (時事通信社). (2012年1月23日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201201/2012012300602 2012年2月8日閲覧。 
  7. ^ “マー君十回完封で7勝目!楽天連夜のサヨナラ”. SANSPO.COM (産経新聞社). (2012年8月26日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20120826/gol12082620100002-n1.html 2012年8月31日閲覧。 
  8. ^ a b “楽天星野監督の秘策「1番岡島」”. nikkansports.com. (2013年8月1日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130801-1166214.html 2013年8月1日閲覧。 
  9. ^ “捕手岡島が初の外野「緊張した」”. nikkansports.com. (2013年5月23日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130523-1131919.html 2013年5月24日閲覧。 
  10. ^ a b 岡島 杉討ちタイムリー 2番手捕手から日本一のリードオフマンに スポニチ 2013年11月4日
  11. ^ 2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト 2015年3月30日閲覧
  12. ^ “【楽天】平石打撃コーチに変更”. nikkansports.com. (2014年1月22日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140122-1247400.html 2014年1月22日閲覧。 
  13. ^ “楽天岡島がプロ入り初犠飛「良かった」”. nikkansports.com. (2014年6月22日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140622-1322126.html 2014年6月22日閲覧。 
  14. ^ “楽天岡島「緊張した」右翼→捕手”. nikkansports.com. (2014年7月1日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140622-1322126.html 2014年7月2日閲覧。 
  15. ^ “楽天・岡島、ロッテ・藤岡が抹消 3日のプロ野球公示”. ベースボールキング. (2015年5月3日). http://baseballking.jp/ns/31764 2015年5月8日閲覧。 
  16. ^ 13日途中交代の楽天・岡島を抹消 椎間関節炎の診断、軽症スポニチアネックス 2016年4月14日掲載
  17. ^ 広島・野村はリーグトップ9勝!不振やケガから巻き返した男たちスポニチアネックス 2016年7月1日掲載
  18. ^ 打ちはじめたら止まらない!楽天・岡島の固め打ちが凄いベースボールキング 2016年5月24日掲載
  19. ^ “背番号の変更に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト. (2016年11月17日). http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/6953.html 2016年11月17日閲覧。 
  20. ^ 楽天・岡島、元タレントの岡村真由さんと結婚「明るい家庭を築きたい」サンケイスポーツ 2016年11月28日
  21. ^ 楽天・ペゲーロ、左太もも裏筋肉の損傷 復帰まで3週間サンケイスポーツ 2017年7月23日掲載
  22. ^ 楽天岡島復帰飾れず6連敗「ちょっと重い」梨田監督日刊スポーツ 2017年8月30日掲載
  23. ^ 楽天岡島が新選手会長就任&「第3の捕手」にも挑戦日刊スポーツ 2017年11月22日掲載
  24. ^ 楽天岡島サヨナラ打「これまでチームに迷惑かけた」日刊スポーツ 2018年5月17日掲載
  25. ^ 楽天岡島4年ぶり捕手「直感で配球」ワンバンも処理日刊スポーツ 2018年5月20日掲載
  26. ^ 【楽天】岡島が2試合連続の2号ソロ「根性、気合で打ちました」スポーツ報知 2018年4月17日掲載
  27. ^ 楽天岡島が来季捕手登録、再起へ選手会長が原点回帰日刊スポーツ 2018年11月8日掲載
  28. ^ 楽天・岡島が左肩手術 今季から捕手再転向も…復帰まで6カ月スポーツニッポン 2019年2月13日掲載
  29. ^ 楽天・岡島、右肘も手術サンケイスポーツ 2019年4月6日掲載
  30. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2014』廣済堂出版、2014年、38頁頁。ISBN 978-4-331-51810-6 
  31. ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2013年、161頁。ISBN 978-4-905411-11-6 
  32. ^ 「厳選100選手カタログ」『週刊ベースボール』2011年10月31日号、ベースボール・マガジン社、34頁、雑誌20445-10/31。 
  33. ^ “楽天ドラ4・岡島、1軍キャンプに“恋人”ジェシカ同伴”. Sponichi Annex. (2012年1月24日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/01/24/kiji/K20120124002493910.html 2012年9月15日閲覧。 

関連項目

外部リンク