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牛田成樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
牛田 成樹
2010年4月3日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 徳島県小松島市
生年月日 (1981-12-06) 1981年12月6日(42歳)
身長
体重
188 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2003年 ドラフト4巡目
初出場 2004年7月28日
最終出場 2012年6月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

牛田 成樹(うしだ しげき、1981年12月6日 - )は、徳島県小松島市出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。

愛称は「牛くん[1]

経歴

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プロ入り前

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高校時代は徳島商業高校の野球部に所属し、1999年第81回全国高等学校野球選手権大会に出場。

明治大学に進学し、大学の同期には呉本成徳岡本篤志佐藤賢がいる。東京六大学リーグ戦41試合に登板、6勝5敗、防御率2.61を記録[2]

2003年ドラフト4巡目で横浜ベイスターズに入団。

プロ入り後

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2004年7月28日の東京ヤクルトスワローズ戦で初登板した。

2006年、本来は中継ぎ・抑えの投手ながら、5月9日のイースタン・リーグインボイス戦で先発。8回2アウトまでノーヒットノーランを続けたが水田圭介にヒットを打たれた。結局9回をこの1安打のみにおさえて完封勝利。一軍の試合でも7月11日に札幌ドームでの対読売ジャイアンツ戦、8回2失点でプロ初勝利を挙げている。

2007年シーズン序盤は、中継ぎ投手として一軍で出場するも、5月7日に急性大腸炎のため横浜市内の病院に入院。翌日登録を抹消された。入院で体力が落ちたこともあり、その後は1度の一軍登板のみでシーズンを終えた。

2008年は右足首骨折で出遅れたが、8月に戦列復帰し中継ぎで23試合に登板した。

2009年、一軍では中継ぎとして4試合の出場にとどまった。教育リーグに参加したが新型インフルエンザに感染し隔離された。

2010年、春季キャンプは二軍スタートとなったが、一軍キャンプの紅白戦に呼ばれ、奪三振ショーを魅せつけた。独自の筋肉トレーニングも実を結んで、オープン戦で好投し開幕一軍を果たすと、抑えの山口俊へと繋ぐセットアッパーとして活躍。このシーズンに活躍した牛田成樹(Shigeki Ushida)・江尻慎太郎Shintarou Ejiri)・山口俊(Shun Yamaguchi)・真田裕貴(Hiroki Sanada)の4選手は、投手コーチの野村弘樹から「クアトロS」と呼ばれた(かつてのクアトロKになぞらえたものである)。3年ぶりの白星を挙げた3月31日の巨人戦ではお立ち台で「やじられないように投げた」などと語り、ファンを笑わせた。6月17日には、右肩骨挫傷により一軍登録を抹消されるものの、9月に復帰後もセットアッパーとして安定した投球を続け、自己最高の成績を残した。

2011年は腰痛で開幕を出遅れるものの、5月に戦線に復帰するとセットアッパーとして活躍。しかし夏場に入ると打ち込まれるケースが目立ち、一時二軍落ちを経験。結局自己最多の45試合に登板するものの、防御率は前年より悪化した。

2012年はインフルエンザで開幕に出遅れ、6月に一軍に復帰。しかし6月27日のヤクルト戦で2イニングを4失点と炎上し登録を抹消。そのままシーズンを終え、僅か5試合の登板に終わった。

2013年は1度も一軍に昇格出来ないまま、10月3日に球団より戦力外通告を受けた[3]。11月20日、自身のFacebook上で現役引退することを表明した。

引退後

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2015年2月27日四国アイランドリーグplus徳島インディゴソックスの投手コーチに就任することが発表された[4]。2シーズン務め、この間にチームの投手からは吉田嵩福永春吾木下雄介がNPBドラフト会議で指名を受けた(吉田と木下は育成選手枠)。

2016年シーズン終了後の12月26日、退任が発表された[5]

2020年からは古巣・横浜DeNAベイスターズの二軍投手コーチに就任し、2021年まで務めた。

2022年からは球団職員として野球教室やスクールなどの指導に従事している[6]

選手としての特徴

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投球の途中で一度三塁側に顔を向ける独特のフォームから平均球速約140km/h[7]、最速149km/hのストレートと大小2種類のフォークボールを投げ込む。また、時折スローカーブも織り交ぜて投球を組み立てる。2010年春キャンプでは監督の尾花高夫からシュートを直伝された[8]

人物

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大学時代は深夜自主トレを頻繁に行っていたため、警察官から職務質問を5回受けたことがある。

趣味、特技はどちらとも阿波踊り、2007年4月29日のヒーローインタビュー(お立ち台)でも阿波踊りを披露している。

半袖のアンダーシャツを好み、春先やシーズン終盤の寒い時期でも半袖で登板する。本人の言では「腕を思いきりふるために長袖はまとわり付いて邪魔になるから」とのことである[9]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2004 横浜
DeNA
2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 1.1 2 0 3 0 1 2 0 0 1 1 6.75 3.75
2005 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 6 1.1 2 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.50
2006 28 7 0 0 0 3 3 0 0 .500 326 84.2 62 16 16 0 1 86 3 0 28 28 2.98 0.92
2007 9 0 0 0 0 2 0 0 1 1.000 44 10.1 11 1 3 0 0 10 0 0 3 3 2.61 1.35
2008 23 0 0 0 0 0 2 0 3 .000 102 24.0 18 6 13 0 0 28 1 0 16 14 5.25 1.29
2009 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 32 6.0 9 1 2 0 2 10 1 0 8 7 10.50 1.83
2010 41 0 0 0 0 2 1 0 23 .667 213 52.0 28 4 28 1 1 69 3 0 9 7 1.21 1.08
2011 45 0 0 0 0 2 1 0 19 .667 188 46.1 37 7 16 1 0 61 1 0 21 19 3.69 1.14
2012 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 34 7.0 10 1 5 0 0 10 0 0 5 5 6.43 2.14
通算:9年 159 7 0 0 0 9 7 0 46 .563 955 233.0 179 36 86 2 5 277 9 0 91 84 3.24 1.14
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

記録

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初記録
投手記録
打撃記録

背番号

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  • 35(2004年 - 2013年)
  • 75(2015年 - 2016年)
  • 86(2020年 - 2021年)

脚注

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  1. ^ 【セカンドチャレンジ(6)】DeNA・牛田元投手、学生野球の指導者目指す”. スポーツニッポン (2013年12月15日). 2014年12月15日閲覧。
  2. ^ 『プロ野球カラー名鑑2007』ベースボール・マガジン社、2007年、263頁。ISBN 978-4-583-61449-6 
  3. ^ 2014年度選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ (2013年10月3日). 2013年10月7日閲覧。
  4. ^ 徳島IS新投手コーチ決定のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年2月27日)
  5. ^ 徳島IS 牛田成樹投手コーチ退団のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2016年12月26日)
  6. ^ 横浜DeNAベイスターズベースボールスクール”. 横浜DeNAベイスターズベースボールスクール. 2023年9月17日閲覧。
  7. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、178頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8 
  8. ^ プロ野球県人選手 沖縄キャンプリポート2”. 四国放送おはようとくしま』公式サイト (2008年2月29日). 2014年12月15日閲覧。
  9. ^ #35牛田成樹(本人のインタビュー)”. ケチャップ オフィシャルブログ (2009年4月16日). 2014年12月15日閲覧。
  10. ^ 神奈川新聞、2004年7月29日。
  11. ^ 神奈川新聞、2004年10月5日。
  12. ^ 神奈川新聞、2006年7月3日。
  13. ^ 神奈川新聞、2006年7月12日。
  14. ^ 神奈川新聞、2007年5月1日。

関連項目

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外部リンク

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