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*1995年 東京電機大学研究員、[[生体磁気]]に関する研究を行う。
*1995年 東京電機大学研究員、[[生体磁気]]に関する研究を行う。
*1999年 博士論文「可搬型肺磁界測定装置の開発とその応用」にて博士(工学)の学位取得
*1999年 博士論文「可搬型肺磁界測定装置の開発とその応用」にて博士(工学)の学位取得
*2000年 [[東京医科歯科大学]]で肺磁界測定装置の研究に従事、[[駒沢女子大学]]非常勤講師、[[白大学]]非常勤講師、コンゴ民主共和国日本通商代理機関常任理事などを歴任
*2000年 [[東京医科歯科大学]]で肺磁界測定装置の研究に従事、[[駒沢女子大学]]非常勤講師、[[白大学]]非常勤講師、コンゴ民主共和国日本通商代理機関常任理事などを歴任
*2002年 コンゴ民主共和国国立キンシャサ大学客員教授
*2002年 コンゴ民主共和国国立キンシャサ大学客員教授
*2003年 [[加計学園グループ|加計学園]]参与
*2003年 [[加計学園グループ|加計学園]]参与

2020年7月24日 (金) 07:47時点における版

ジョン・ムウェテ・ムルアカ(Dr. John Muwete Muluaka1961年6月21日 - )は、ザイール(現・コンゴ民主共和国)出身、日本で活躍するタレント電気工学研究者、国際政治評論家。科学技術庁放射線医学総合研究所研究員等を経て、千葉科学大学危機管理学部特担教授[1]総務省参与。鈴木宗男の元私設秘書であった。日本にて博士(工学)東京電機大学)の学位を取得。2005年に日本国籍を取得し、帰化しており、現在の本名はムウェテ武流阿加。コンゴ時代の旧本名を現在の通称芸名など)としている。

概要

209cmの高身長でビッグ・ジョンという愛称があった。来日後、東京電機大学で電気工学を学ぶかたわらタレントとして『やまだかつてないテレビ』などに出演していた。

その後、衆議院議員鈴木宗男の私設秘書をしながら日本工業大学非常勤講師も務めていた。自身の息子もムネオと命名している。2002年鈴木宗男事件が持ち上がった際にはその風貌が大変目立ったため、メディアでも紹介されて話題となった。しかし、同年6月21日に鈴木が逮捕され、その後落選したために私設秘書を解雇され、講師も辞めた(事実上の講師更迭)。しばらくは職が見つからず一時は自給自足を行っていた時期もあった。しかしその後、一日駅長に選ばれるなどタレント活動を行っている。現在は外国人タレントプロダクション事業共同組合の専務理事も務めている。

2006年1月25日に事務所との金銭トラブルからボビー・オロゴンが暴れたとされる事件では、ムルアカも現場に居合わせて、事務所の人間と共にボビーを取り押さえたと報道される。1月27日にボビーと共に和解会見を開き、ボビーの大暴れや年齢詐称疑惑について、「アフリカではよくあること」とフォローを入れた。K-1でムルアカとボビーが戦う可能性もあると谷川貞治プロデューサーが語り、一部雑誌や新聞で報道されていたが、実現しなかった。

オセロ松嶋尚美と親交が深い。また、「鈴木(宗男)先生とは(秘書を辞めた後も)親交がある」と本人は語っており、鈴木が出馬する選挙等の際には松山千春らと共に駆けつけ応援演説を行っている。

経歴

  • 1961年 ザイール共和国(現コンゴ民主共和国)レオポルドヴィル(現キンシャサ)生まれ
  • 1981年 国立イナザ・イスタ大学電気通信工学科を卒業
  • 1981年 ザイール国営放送局に入社。ジャーナリスト。
  • 1985年 来日
  • 1987年 東京電機大学工学部第二部電子工学科に入学
  • 1989年2月 昭和天皇大喪の礼期間中、ザイール共和国大統領(当時)モブツ・セセ・セコのスペシャルアシスタントおよび専属通訳を務める。
  • 1992年6月 ザイール共和国大統領府スペシャルアシスタント就任。
  • 同年7月 ザイール国営放送局日本代表就任
  • 1993年 東京電機大学卒業、同大学応用電子工学科研究生
  • 1995年4月 在日コンゴ民主共和国大使館通商代表機関代表就任
  • 1995年 東京電機大学研究員、生体磁気に関する研究を行う。
  • 1999年 博士論文「可搬型肺磁界測定装置の開発とその応用」にて博士(工学)の学位取得
  • 2000年 東京医科歯科大学で肺磁界測定装置の研究に従事、駒沢女子大学非常勤講師、白鷗大学非常勤講師、コンゴ民主共和国日本通商代理機関常任理事などを歴任
  • 2002年 コンゴ民主共和国国立キンシャサ大学客員教授
  • 2003年 加計学園参与
  • 2005年 日本国籍を取得し、帰化。
  • 2007年 神奈川工科大学特任教授
  • 2009年 千葉科学大学 教授

出演

著作物

音楽作品

脚注

  1. ^ 千葉科学大学 教員検索”. 千葉科学大学. 2020年5月7日閲覧。

関連項目

外部リンク