コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「萩元たけ子」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Normdaten整理
Cewbot (会話 | 投稿記録)
2行目: 2行目:


== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[東京府]]出身<ref name=jinmei/><ref name=gendai>『現代物故者事典 1980~1982』252頁。</ref>。東京府立第一高等女学校(現[[東京都立白高等学校・附属中学校]])で学んだ<ref name=gi/>。
[[東京府]]出身<ref name=jinmei/><ref name=gendai>『現代物故者事典 1980~1982』252頁。</ref>。東京府立第一高等女学校(現[[東京都立白高等学校・附属中学校]])で学んだ<ref name=gi/>。


1953年4月の[[第26回衆議院議員総選挙]]で[[長野県第4区 (中選挙区)|長野県第4区]]から出馬した夫の萩元隼人が投票日の4日前に急死したため、身代りで立候補して最高得票で当選した<ref name=jinmei/><ref name=gendai/><ref name=shintei>『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』480頁。</ref>。[[日本社会党]]に所属して衆議院議員を1期務めた<ref name=gi/><ref name=jinmei/><ref name=gendai/><ref name=shintei/>。
1953年4月の[[第26回衆議院議員総選挙]]で[[長野県第4区 (中選挙区)|長野県第4区]]から出馬した夫の萩元隼人が投票日の4日前に急死したため、身代りで立候補して最高得票で当選した<ref name=jinmei/><ref name=gendai/><ref name=shintei>『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』480頁。</ref>。[[日本社会党]]に所属して衆議院議員を1期務めた<ref name=gi/><ref name=jinmei/><ref name=gendai/><ref name=shintei/>。

2020年7月24日 (金) 06:50時点における版

萩元 たけ子(はぎもと たけこ、1900年明治33年)2月[1] - 1981年昭和56年)4月19日[1][2])は、日本の政治家歌人衆議院議員。筆名・神吉妙子[2][3][4]

経歴

東京府出身[2][3]。東京府立第一高等女学校(現東京都立白鷗高等学校・附属中学校)で学んだ[1]

1953年4月の第26回衆議院議員総選挙長野県第4区から出馬した夫の萩元隼人が投票日の4日前に急死したため、身代りで立候補して最高得票で当選した[2][3][4]日本社会党に所属して衆議院議員を1期務めた[1][2][3][4]

また、太田水穂主宰『潮音』同人となって作歌を行い、東京家庭裁判所調停委員も務めた[1][2][3][4]

著書

  • 神吉妙子『冬の樹 : 歌集』新星書房、1977年。

脚注

  1. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』500頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本女性人名辞典〔普及版〕』821-822頁。
  3. ^ a b c d e 『現代物故者事典 1980~1982』252頁。
  4. ^ a b c d 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』480頁。

参考文献

  • 『現代物故者事典 1980~1982』日外アソシエーツ、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『日本女性人名辞典〔普及版〕』日本図書センター、1998年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。