コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「東くめ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 外部リンクの修正 http:// -> https:// (hdl.handle.net) (Botによる編集)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
24行目: 24行目:
[[1877年]][[6月30日]]、[[和歌山県]][[東牟婁郡]]新宮町(現:[[新宮市]])に元[[紀伊新宮藩|新宮藩]][[家老]]・由比甚五郎の長女として生まれる。[[新宮市立丹鶴小学校|第一尋常小学校]]、[[大阪女学院|大阪ウィルミナ女学院]]を経て、[[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]([[東京芸術大学|東京藝術大学]]音楽学部の前身)本科専修部で[[ピアノ]]と[[唱歌]]を学び[[1896年]]に卒業{{Sfn|コトバンク. 東 くめ}}{{Sfn|仲松|2017|p=43}}。音楽学校時代に仲の良かった同級生に[[ヴァイオリニスト]]の[[安藤幸]]がいる。
[[1877年]][[6月30日]]、[[和歌山県]][[東牟婁郡]]新宮町(現:[[新宮市]])に元[[紀伊新宮藩|新宮藩]][[家老]]・由比甚五郎の長女として生まれる。[[新宮市立丹鶴小学校|第一尋常小学校]]、[[大阪女学院|大阪ウィルミナ女学院]]を経て、[[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]([[東京芸術大学|東京藝術大学]]音楽学部の前身)本科専修部で[[ピアノ]]と[[唱歌]]を学び[[1896年]]に卒業{{Sfn|コトバンク. 東 くめ}}{{Sfn|仲松|2017|p=43}}。音楽学校時代に仲の良かった同級生に[[ヴァイオリニスト]]の[[安藤幸]]がいる。


同年、東京音楽学校研究科に進学してピアノと[[和声|和声学]]を学ぶかたわら、[[東京都立白高等学校・附属中学校|東京府立高等女学校]]の音楽教諭になり{{Sfn|仲松|2017|p=43}}、8年間務める。[[1899年]]に[[お茶の水女子大学|東京女子高等師範学校]][[教授]]で同郷の[[東基吉]]と結婚し、教育学者だった夫の提案により、「'''子供の言葉による、子供が喜ぶ童謡'''」の作詞を始め、2年後輩の[[瀧廉太郎]]と組んで、「[[お正月 (歌曲)|お正月]]」、「[[鳩ぽっぽ]]」、「[[雪やこんこん (童謡)|雪やこんこん]]」などの作品を残した。[[1901年]]に[[共益商社書店]]から出版された「幼稚園唱歌」には東くめ作詞、瀧廉太郎作曲の12曲が所収されている{{Sfn|仲松|2017|pp=41, 45-54}}。[[1903年]]に生まれた子の[[東貞一]](1903〜80)は後に[[ピアニスト]]になった{{Sfn|塩津|2010|pp=5, 8, 11-12}}<ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%20%E8%B2%9E%E4%B8%80-1673568 |title=東 貞一 |work=新撰 芸能人物事典 明治 - 平成 |website=[[コトバンク]] |accessdate=2020-03-20 }}</ref>。
同年、東京音楽学校研究科に進学してピアノと[[和声|和声学]]を学ぶかたわら、[[東京都立白高等学校・附属中学校|東京府立高等女学校]]の音楽教諭になり{{Sfn|仲松|2017|p=43}}、8年間務める。[[1899年]]に[[お茶の水女子大学|東京女子高等師範学校]][[教授]]で同郷の[[東基吉]]と結婚し、教育学者だった夫の提案により、「'''子供の言葉による、子供が喜ぶ童謡'''」の作詞を始め、2年後輩の[[瀧廉太郎]]と組んで、「[[お正月 (歌曲)|お正月]]」、「[[鳩ぽっぽ]]」、「[[雪やこんこん (童謡)|雪やこんこん]]」などの作品を残した。[[1901年]]に[[共益商社書店]]から出版された「幼稚園唱歌」には東くめ作詞、瀧廉太郎作曲の12曲が所収されている{{Sfn|仲松|2017|pp=41, 45-54}}。[[1903年]]に生まれた子の[[東貞一]](1903〜80)は後に[[ピアニスト]]になった{{Sfn|塩津|2010|pp=5, 8, 11-12}}<ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%20%E8%B2%9E%E4%B8%80-1673568 |title=東 貞一 |work=新撰 芸能人物事典 明治 - 平成 |website=[[コトバンク]] |accessdate=2020-03-20 }}</ref>。


音楽教諭を退職後、夫が[[大阪教育大学|大阪府池田師範学校]]長に就任したため、[[大阪府]][[池田市]]へ転居。[[1918年]]に設立された関西の婦人団体「ピアノ同好会」の幹事となる{{Sfn|塩津|2010|pp=2, 5}}。[[1959年]]の[[東京芸術大学|東京藝術大学]]創立80周年記念式典で音楽教育功労者表彰を受け、[[1962年]]には新宮市名誉市民となり、池田市文化功労賞を受章。[[1964年]][[6月6日]]に[[阪急百貨店]]特別食堂で東くめ米寿・東貞一還暦祝賀パーティーを開催<ref>{{Cite web |url=https://www.daion.ac.jp/about/anniversary/1956-1965/ |title=1956年 - 1968年 |website=大阪音楽大学について |publisher=[[大阪音楽大学]] |accessdate=2020-03-20}}</ref>。高齢になってもかくしゃくとしており、90歳まで現役の[[ピアノ]]教師として働いた。
音楽教諭を退職後、夫が[[大阪教育大学|大阪府池田師範学校]]長に就任したため、[[大阪府]][[池田市]]へ転居。[[1918年]]に設立された関西の婦人団体「ピアノ同好会」の幹事となる{{Sfn|塩津|2010|pp=2, 5}}。[[1959年]]の[[東京芸術大学|東京藝術大学]]創立80周年記念式典で音楽教育功労者表彰を受け、[[1962年]]には新宮市名誉市民となり、池田市文化功労賞を受章。[[1964年]][[6月6日]]に[[阪急百貨店]]特別食堂で東くめ米寿・東貞一還暦祝賀パーティーを開催<ref>{{Cite web |url=https://www.daion.ac.jp/about/anniversary/1956-1965/ |title=1956年 - 1968年 |website=大阪音楽大学について |publisher=[[大阪音楽大学]] |accessdate=2020-03-20}}</ref>。高齢になってもかくしゃくとしており、90歳まで現役の[[ピアノ]]教師として働いた。

2020年7月24日 (金) 06:47時点における版

東 くめ
出生名 由比 くめ
別名 東 粂子(ひがし くめこ)[1]
生誕 1877年6月30日[2]
出身地 日本の旗 日本 和歌山県東牟婁郡新宮町
(現:新宮市[2]
死没 (1969-03-05) 1969年3月5日(91歳没)[2]
日本の旗 日本 大阪府池田市
学歴 東京音楽学校本科、研究科[2][3]
ジャンル 童謡
職業 作詞家
共同作業者 瀧廉太郎作曲家

東 くめ(ひがし くめ、旧姓:由比(ゆい)、1877年6月30日 - 1969年3月5日)は、和歌山県東牟婁郡新宮町(現:新宮市)出身の童謡作詞家日本で初めて口語による童謡を作詞した1899年東京女子高等師範学校教授東基吉と結婚し、東くめとなる。

経歴

1877年6月30日和歌山県東牟婁郡新宮町(現:新宮市)に元新宮藩家老・由比甚五郎の長女として生まれる。第一尋常小学校大阪ウィルミナ女学院を経て、東京音楽学校東京藝術大学音楽学部の前身)本科専修部でピアノ唱歌を学び1896年に卒業[2][3]。音楽学校時代に仲の良かった同級生にヴァイオリニスト安藤幸がいる。

同年、東京音楽学校研究科に進学してピアノと和声学を学ぶかたわら、東京府立高等女学校の音楽教諭になり[3]、8年間務める。1899年東京女子高等師範学校教授で同郷の東基吉と結婚し、教育学者だった夫の提案により、「子供の言葉による、子供が喜ぶ童謡」の作詞を始め、2年後輩の瀧廉太郎と組んで、「お正月」、「鳩ぽっぽ」、「雪やこんこん」などの作品を残した。1901年共益商社書店から出版された「幼稚園唱歌」には東くめ作詞、瀧廉太郎作曲の12曲が所収されている[4]1903年に生まれた子の東貞一(1903〜80)は後にピアニストになった[5][6]

音楽教諭を退職後、夫が大阪府池田師範学校長に就任したため、大阪府池田市へ転居。1918年に設立された関西の婦人団体「ピアノ同好会」の幹事となる[7]1959年東京藝術大学創立80周年記念式典で音楽教育功労者表彰を受け、1962年には新宮市名誉市民となり、池田市文化功労賞を受章。1964年6月6日阪急百貨店特別食堂で東くめ米寿・東貞一還暦祝賀パーティーを開催[8]。高齢になってもかくしゃくとしており、90歳まで現役のピアノ教師として働いた。

代表作

  • 『春の海』(瀧廉太郎 作曲)
  • 『四季の瀧』(瀧廉太郎 作曲、1899年[3]
  • 『懐友』(ユストゥス・ヴィルヘルム・リューラドイツ語版 作曲、瀧廉太郎 編曲)
  • 『猟夫』(作曲者不詳、瀧廉太郎 編曲)
  • 『夕立』(作曲者不詳、瀧廉太郎 編曲)
  • 『納涼』(瀧廉太郎 作曲、組歌『四季』第2曲、1900年[3]
  • 幼稚園唱歌(東くめ作詞の12曲はすべて瀧廉太郎作曲[4][9]
    • 『ひばりはうたひ』
    • 『鯉幟』
    • 『海のうへ』
    • 『お池の蛙』
    • 『夕立』
    • 『かちかち山』
    • 鳩ぽっぽ』 - 「ぽっぽっぽ」で始まる『』とは別の曲。
    • 『菊』
    • 『軍ごっこ』
    • 雪やこんこん』 - 「雪やこんこ」で始まる『』とは別の曲。
    • お正月
    • 『さよなら』
  • 歌集『惜春』(京都: 燈園出版、1957年出版[2]

その他

脚注

  1. ^ 塩津 2010, pp. 5, 8.
  2. ^ a b c d e f コトバンク. 東 くめ.
  3. ^ a b c d e 仲松 2017, p. 43.
  4. ^ a b 仲松 2017, pp. 41, 45–54.
  5. ^ 塩津 2010, pp. 5, 8, 11–12.
  6. ^ 東 貞一”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年3月20日閲覧。
  7. ^ 塩津 2010, pp. 2, 5.
  8. ^ 1956年 - 1968年”. 大阪音楽大学について. 大阪音楽大学. 2020年3月20日閲覧。
  9. ^ ほかの瀧廉太郎作曲の5曲のうち、『ほうほけきょ』、『桃太郎』、『水あそび』、『雁』の作詞者は瀧廉太郎、『雀』の作詞者は佐佐木信綱. ほかに鈴木毅一作詞作曲の3曲がある.

参考文献

  • 東 くめ”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年3月20日閲覧。
  • 東くめ”. コトバンク. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2020年3月20日閲覧。
  • 塩津洋子「「ピアノ同好会」の活動」『大阪音楽大学音楽博物館年報』第25巻、大阪音楽大学、2010年5月、1-14頁、ISSN 1349-42012020年3月20日閲覧 
  • 仲松あかり「瀧廉太郎の『幼稚園唱歌』―歌詞と音楽からの考察―」『沖縄キリスト教短期大学紀要』第46号、沖縄キリスト教短期大学、2017年10月16日、41-58頁、ISSN 0385-17452020年3月20日閲覧 

外部リンク