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'''中国大陸'''(ちゅうごくたいりく、{{lang-en-short|Mainland China}})は、[[アジア大陸]]([[ユーラシア#ユーラシア大陸|ユーラシア大陸]]東部)のうち、[[現代国家]]としての[[中国]]の[[領域 (国家)|領域]]に含まれると考えられる[[陸地]]を指す用語。大陸部に[[海南島]]を加えた範囲をその基本的な領域とし、[[中華人民共和国]]と[[中華民国]]では[[政治]]及び[[法律]]の分野で用いられている。だが、詳細な範囲は用語の使用者・利用状況により異なっている。 |
'''中国大陸'''(ちゅうごくたいりく、{{lang-en-short|Mainland China}})は、[[アジア大陸]]([[ユーラシア#ユーラシア大陸|ユーラシア大陸]]東部)のうち、[[現代国家]]としての[[中国]]の[[領域 (国家)|領域]]に含まれると考えられる[[陸地]]を指す用語。大陸部に[[海南島]]を加えた範囲をその基本的な領域とし、[[中華人民共和国]]と[[中華民国]]では[[政治]]及び[[法律]]の分野で用いられている。だが、詳細な範囲は用語の使用者・利用状況により異なっている。 |
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①[[1949年]][[12月7日]]<ref>[[第二次国共内戦]]の敗北に伴い[[国民政府]]が台湾へ移転した日。</ref>以前に台湾地区以外で中華民国政府が公的に領有権を主張していた地域、及び②[[蒙古地方]]<ref>[[外蒙古]]は、中華民国が建国以来一貫して[[領有権]]を主張していたが、[[帝政ロシア]]・[[ソビエト連邦]]の度重なる政治介入を受け、[[モンゴル人民共和国]](モンゴル)の独立([[1924年]])と[[トゥヴァ]]のソ連編入([[1944年]])という状態に至った。その後、中華民国・[[国民政府]]は、[[中ソ友好同盟条約]]([[1945年]])の締結によってトゥヴァの領有権を放棄し、かつ[[:s:zh:中華民國蘇維埃社會主義共和國聯邦友好同盟條約/換文|同条約の交換公文]]に基づいて行われた[[外モンゴル独立公民投票|住民投票]]の結果を受け、[[1946年]][[1月5日]]にモンゴルの独立を承認した。しかし[[第二次国共内戦]]の敗北によって中華民国政府が台湾への移転を余儀なくされると、政府はソ連による条約の不履行を理由として[[1953年]][[2月24日]]に条約を破棄し、モンゴルの独立承認ないしトゥヴァの領有権放棄を取り消した。</ref>が中華民国にとっての「中国大陸」となる。<ref>[https://web.archive.org/web/20120329140535/http://www.gio.gov.tw/info/94roc/context/Ch01/010202.htm 『中華民國九十四年年鑑』 第一篇 總論 第二章 土地 第二節 大陸地區]([[行政院新聞局]]編)</ref>(詳細は[[中華民国#地理]]及び[[中華民国#行政区分]]、または{{仮リンク|境域|label=中華民国の境域|zh|中華民國疆域}}を参照のこと)。この見解は、[[1980年代]]まで中華民国の実務に反映されており、同時期の[[司法]]が下した判断文から確認することができる。例えば[[1954年]]に{{仮リンク|最高行政法院 (中華民国)|label=最高行政法院|zh|最高行政法院 (中華民國)}}が下した「判字第11号」([https://law.moj.gov.tw/LawClass/ExContent.aspx?ty=J&JC=E&JNO=11&JYEAR=43&JNUM=001&JCASE=%E8%A3%81++++++++++++++ 43年判字第11號])では、「(中国)大陸」について「[[民国暦|民国]]三十八年の政府遷台([[国民政府]]の台湾移転)から今日まで淪陷し(敵の占領下にあり)、窒礙の状態(国民政府による大陸奪還を妨げる状態)にある地」(中国語原文:「{{lang|zh-tw|溯自民國三十八年政府遷臺後,大陸淪陷迄今,窒礙之狀態,仍繼續存在。}}」)と記し、同年に[[中華民国司法院|司法院]]が下した憲法解釈([http://cons.judicial.gov.tw/jcc/zh-tw/jep03/show?expno=31 釋字第31號])では、「[[南京国民政府の行政区分|大陸各省市]]及び[[蒙古地方|蒙古]]・[[西蔵地方|西藏]]」を「中共に[[占領]]された地域」と規定していた。また、[[1982年]]に[[最高法院 (中華民国)|最高法院]]が下した判決でも、「我が国の大陸領土は[[共匪]]によって一時的に盗まれている」({{lang|zh-tw|我國大陸領土雖因一時為共匪所竊據}})が「それは依然として固有の領土である」({{lang|zh-tw|但其仍屬固有之疆域}})と記されていた。 |
①[[1949年]][[12月7日]]<ref>[[第二次国共内戦]]の敗北に伴い[[国民政府]]が台湾へ移転した日。</ref>以前に台湾地区以外で中華民国政府が公的に領有権を主張していた地域、及び②[[蒙古地方]]<ref>[[外蒙古]]は、中華民国が建国以来一貫して[[領有権]]を主張していたが、[[帝政ロシア]]・[[ソビエト連邦]]の度重なる政治介入を受け、[[モンゴル人民共和国]](モンゴル)の独立([[1924年]])と[[トゥヴァ]]のソ連編入([[1944年]])という状態に至った。その後、中華民国・[[国民政府]]は、[[中ソ友好同盟条約]]([[1945年]])の締結によってトゥヴァの領有権を放棄し、かつ[[:s:zh:中華民國蘇維埃社會主義共和國聯邦友好同盟條約/換文|同条約の交換公文]]に基づいて行われた[[外モンゴル独立公民投票|住民投票]]の結果を受け、[[1946年]][[1月5日]]にモンゴルの独立を承認した。しかし[[第二次国共内戦]]の敗北によって中華民国政府が台湾への移転を余儀なくされると、政府はソ連による条約の不履行を理由として[[1953年]][[2月24日]]に条約を破棄し、モンゴルの独立承認ないしトゥヴァの領有権放棄を取り消した。</ref>が中華民国にとっての「中国大陸」となる。<ref>[https://web.archive.org/web/20120329140535/http://www.gio.gov.tw/info/94roc/context/Ch01/010202.htm 『中華民國九十四年年鑑』 第一篇 總論 第二章 土地 第二節 大陸地區]([[行政院新聞局]]編)</ref>(詳細は[[中華民国#地理]]及び[[中華民国#行政区分]]、または{{仮リンク|境域|label=中華民国の境域|zh|中華民國疆域}}を参照のこと)。この見解は、[[1980年代]]まで中華民国の実務に反映されており、同時期の[[司法]]が下した判断文から確認することができる。例えば[[1954年]]に{{仮リンク|最高行政法院 (中華民国)|label=最高行政法院|zh|最高行政法院 (中華民國)}}が下した「判字第11号」([https://law.moj.gov.tw/LawClass/ExContent.aspx?ty=J&JC=E&JNO=11&JYEAR=43&JNUM=001&JCASE=%E8%A3%81++++++++++++++ 43年判字第11號])では、「(中国)大陸」について「[[民国暦|民国]]三十八年の政府遷台([[国民政府]]の台湾移転)から今日まで淪陷し(敵の占領下にあり)、窒礙の状態(国民政府による大陸奪還を妨げる状態)にある地」(中国語原文:「{{lang|zh-tw|溯自民國三十八年政府遷臺後,大陸淪陷迄今,窒礙之狀態,仍繼續存在。}}」)と記し、同年に[[中華民国司法院|司法院]]が下した憲法解釈([http://cons.judicial.gov.tw/jcc/zh-tw/jep03/show?expno=31 釋字第31號])では、「[[南京国民政府の行政区分|大陸各省市]]及び[[蒙古地方|蒙古]]・[[西蔵地方|西藏]]」を「中共に[[占領]]された地域」と規定していた。また、[[1982年]]に[[最高法院 (中華民国)|最高法院]]が下した判決でも、「我が国の大陸領土は[[共匪]]によって一時的に盗まれている」({{lang|zh-tw|我國大陸領土雖因一時為共匪所竊據}})が「それは依然として固有の領土である」({{lang|zh-tw|但其仍屬固有之疆域}})と記されていた。 |
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⚫ | その一方で、法令上は「[[中華人民共和国]]の[[実効支配]]下にある地域」が「中国大陸」として規定されている。これは、1980年代後半にいたりそれまで「中共」・「共匪」と表現していた[[中華人民共和国]]と実務的な接触が生じるようになる中で発生した定義であり、[[行政院]]が中華人民共和国との業務全般を担う部署として[[1988年]]に設置した機関は「行政院大陸工作会報」と命名され、[[1991年]]に行政院[[大陸委員会]]へと改編された。法令上の用例としては、[[1989年]]に大陸工作会報が公布した「台湾地区と大陸地区の民衆の間接通話(通報)開放を実施する方法」([https://law.moj.gov.tw/LawClass/LawAll.aspx?pcode=Q0050001 開放臺灣地區與大陸地區民眾間接通話(報)實施辦法])において「大陸地区」が事実上「中華人民共和国の[[実効支配]]地域」を意味する語として用いられ、[[1991年]]に[[中華民国憲法]]の[[中華民国憲法増修条文|増修条文]]が公布されると「大陸地区」が[[憲法]]上の用語となった。この時点では「大陸地区」の範囲がまだ明文化されていなかったが、[[1992年]]に制定された「両岸人民関係条例」([[w:zh:臺灣地區與大陸地區人民關係條例|{{lang|zh-tw|臺灣地區與大陸地區人民關係條例}}]])において、第2条第2項で「大陸地区」を「[[台湾地区]]以外の中華民国の領土」とし、かつ[https://law.moj.gov.tw/LawClass/LawAll.aspx?PCode=Q0010002施行細則]第三条で「本条第二条第二項の執行区域は、中国共産党の支配下にある地区を指す。(原文:{{lang|zh-tw|本條例第二條第二款之施行區域,指中共控制之地區。}})」と規定したことで、「大陸地区」の範囲が法律上確定した。 |
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そのため、中華民国政府の[[大陸委員会]]は、中華人民共和国の直接統治区域だけでなく、香港・澳門についての事務も管轄している。 |
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特別行政区を除く中華人民共和国の実効支配地域に関しては、「中国大陸」のほかにもいくつかの呼称が用いられる。香港・澳門では「'''内地'''」( |
特別行政区を除く中華人民共和国の実効支配地域に関しては、「中国大陸」のほかにもいくつかの呼称が用いられる。香港・澳門では「'''内地'''」(ただし英語は「the Mainland」)も使われることがある。例えば、香港、澳門住民が大陸地区を訪問する際に使用する身分証は「港澳居民来往内地通行証」である。 |
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台湾では[[台湾海峡]]を挟み向かい合うことから「'''対岸'''」、[[中国共産党]]政権の統治下であることから本来は同党の略称である「'''[[中共]]'''」が同義語として使われ、[[台湾独立運動|台湾独立派]]には、あえて台湾がそれに含まれないことを強調する政治的意図から「'''中国'''」と呼ぶ向きがある。 |
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「[[内地]]」は台湾人には歴史的な背景もあり植民地[[宗主国]]を思わせる上、中華人民共和国や特別行政区の体制側がよく使うために媚びが感じられ、受け入れられないことがある。「対岸」は台湾でのみ使える相対的で場面を選ぶ用語である。「中共」は、中華人民共和国を認めない含みがあるため、当の中国当局がこの用法を拒否している。「中国」は、香港・澳門を含むと考えられるので多くの場合「中国大陸」と範囲が異なるほか、中国語圏で台湾を含まないことを念頭に使用する(たとえば「中国」と「台湾」を同格に並べる)場合は、中華民国体制・[[一つの中国]]論を否定する政治的な意味が強い。このため消去法で、比較的中立である「中国大陸」が選ばれる面がある。 |
「[[内地]]」は台湾人には歴史的な背景もあり植民地[[宗主国]]を思わせる上、中華人民共和国や特別行政区の体制側がよく使うために媚びが感じられ、受け入れられないことがある。「対岸」は台湾でのみ使える相対的で場面を選ぶ用語である。「中共」は、中華人民共和国を認めない含みがあるため、当の中国当局がこの用法を拒否している。「中国」は、香港・澳門を含むと考えられるので多くの場合「中国大陸」と範囲が異なるほか、中国語圏で台湾を含まないことを念頭に使用する(たとえば「中国」と「台湾」を同格に並べる)場合は、中華民国体制・[[一つの中国]]論を否定する政治的な意味が強い。このため消去法で、比較的中立である「中国大陸」が選ばれる面がある。 |
2020年7月24日 (金) 04:25時点における版
中国大陸(ちゅうごくたいりく、英: Mainland China)は、アジア大陸(ユーラシア大陸東部)のうち、現代国家としての中国の領域に含まれると考えられる陸地を指す用語。大陸部に海南島を加えた範囲をその基本的な領域とし、中華人民共和国と中華民国では政治及び法律の分野で用いられている。だが、詳細な範囲は用語の使用者・利用状況により異なっている。
範囲
中国
中華人民共和国(中国)では、祖国大陸(そこくたいりく)[1]とも表記され、中国政府が領有権を主張している領域の内で特定の地域を除外した範囲を指す(領有権を主張する範囲については、中華人民共和国#地理及び中華人民共和国#領土問題を参照のこと)。ただし除外される範囲は、中国政府の用例を見ると香港返還の前後で若干の差異が見られるので注意が必要である。
まず建国初期の中国政府による用例では、中国政府の実効支配が及ばない台澎金馬(台湾)と民間の定住者がいない南海諸島以外で中国政府が領有権を主張する領域を「中国大陸」としていた。具体的用例としては、1958年9月に全国人民代表大会常務委員会を通過した「中華人民共和国政府の領海に関する声明」において、領海を12海里とする「規定が及ぶ範囲」を「中華人民共和国の一切の領土」とし、「中国大陸及びその沿岸島嶼」と「台湾及びその周囲各島、澎湖列島、東沙群島、西沙群島、中沙群島、南沙群島」とで別記している。
その後、香港返還直前の頃から、外国の植民地となっていた香港及び澳門(マカオ)と中国政府の実効支配が及ばない台湾以外で中国政府が領有権を主張する領域を「中国大陸」とするようになった。具体的用例としては、香港返還直前の1997年2月に全国人大常委会が策定した従前から香港にある法(香港原有法律)の処理に関する決定で、「中華人民共和国を構成する一部分(中华人民共和国的一个组成部分)」を「大陸」、「台湾」、「香港及び澳門」と規定している。この用法は、マカオ返還直前の1999年10月に策定された従前から澳門にある法(澳門原有法律)の処理に関する決定でも踏襲されたほか、香港では釈義及び通則条例(釋義及通則條例)第2A(3)条、澳門では回帰法(回歸法)附件四において法的に明文化されている。
なお中国政府の実効支配が及んでいるにもかかわらず香港及び澳門を中国大陸に含めないのは、一国二制度により特別行政区とされた両地域が植民統治終了後も中国のその他地域とは異なる政治・法律体系を採っており、中央政府の直接支配が及んでいないからである。実際、同じ国内でありながら、香港・澳門と中国大陸とでは相互に出入国管理にあたる出入境管理を行っている。
台湾
中華民国(台湾)では、大陸地区(たいりくちく)とも表記され、教育部編纂の国語(標準中国語)辞典である『教育部重編國語辭典修訂本』では「台湾地区(台湾・澎湖・金門・馬祖及びその他我が国の統治権が及んでいる場所・地区)以外の中華民国の領土」[2] と説明している。ただし1989年から2005年までの期間、中国大陸の範囲は行政府の公告資料と法令上の定義との間で整合性が取れていなかった。
行政府の公告資料としては、行政院新聞局が編纂した『中華民國年鑑』が最も詳しく中国大陸の範囲について解説している。2005年(民国94年)版を見ると、第一篇第二章で領土の総面積、東西南北における領土の端の緯度経度、各国との国境の状況解説、及び全国の第一級行政区分について詳解しており、『教育部重編國語辭典』の定義と総合すると ①1949年12月7日[3]以前に台湾地区以外で中華民国政府が公的に領有権を主張していた地域、及び②蒙古地方[4]が中華民国にとっての「中国大陸」となる。[5](詳細は中華民国#地理及び中華民国#行政区分、または中華民国の境域を参照のこと)。この見解は、1980年代まで中華民国の実務に反映されており、同時期の司法が下した判断文から確認することができる。例えば1954年に最高行政法院が下した「判字第11号」(43年判字第11號)では、「(中国)大陸」について「民国三十八年の政府遷台(国民政府の台湾移転)から今日まで淪陷し(敵の占領下にあり)、窒礙の状態(国民政府による大陸奪還を妨げる状態)にある地」(中国語原文:「溯自民國三十八年政府遷臺後,大陸淪陷迄今,窒礙之狀態,仍繼續存在。」)と記し、同年に司法院が下した憲法解釈(釋字第31號)では、「大陸各省市及び蒙古・西藏」を「中共に占領された地域」と規定していた。また、1982年に最高法院が下した判決でも、「我が国の大陸領土は共匪によって一時的に盗まれている」(我國大陸領土雖因一時為共匪所竊據)が「それは依然として固有の領土である」(但其仍屬固有之疆域)と記されていた。
その一方で、法令上は「中華人民共和国の実効支配下にある地域」が「中国大陸」として規定されている。これは、1980年代後半にいたりそれまで「中共」・「共匪」と表現していた中華人民共和国と実務的な接触が生じるようになる中で発生した定義であり、行政院が中華人民共和国との業務全般を担う部署として1988年に設置した機関は「行政院大陸工作会報」と命名され、1991年に行政院大陸委員会へと改編された。法令上の用例としては、1989年に大陸工作会報が公布した「台湾地区と大陸地区の民衆の間接通話(通報)開放を実施する方法」(開放臺灣地區與大陸地區民眾間接通話(報)實施辦法)において「大陸地区」が事実上「中華人民共和国の実効支配地域」を意味する語として用いられ、1991年に中華民国憲法の増修条文が公布されると「大陸地区」が憲法上の用語となった。この時点では「大陸地区」の範囲がまだ明文化されていなかったが、1992年に制定された「両岸人民関係条例」(臺灣地區與大陸地區人民關係條例)において、第2条第2項で「大陸地区」を「台湾地区以外の中華民国の領土」とし、かつ[1]第三条で「本条第二条第二項の執行区域は、中国共産党の支配下にある地区を指す。(原文:本條例第二條第二款之施行區域,指中共控制之地區。)」と規定したことで、「大陸地区」の範囲が法律上確定した。
そのため、中華民国政府の大陸委員会は、中華人民共和国の直接統治区域だけでなく、香港・澳門についての事務も管轄している。
類語
特別行政区を除く中華人民共和国の実効支配地域に関しては、「中国大陸」のほかにもいくつかの呼称が用いられる。香港・澳門では「内地」(ただし英語は「the Mainland」)も使われることがある。例えば、香港、澳門住民が大陸地区を訪問する際に使用する身分証は「港澳居民来往内地通行証」である。
台湾では台湾海峡を挟み向かい合うことから「対岸」、中国共産党政権の統治下であることから本来は同党の略称である「中共」が同義語として使われ、台湾独立派には、あえて台湾がそれに含まれないことを強調する政治的意図から「中国」と呼ぶ向きがある。
「内地」は台湾人には歴史的な背景もあり植民地宗主国を思わせる上、中華人民共和国や特別行政区の体制側がよく使うために媚びが感じられ、受け入れられないことがある。「対岸」は台湾でのみ使える相対的で場面を選ぶ用語である。「中共」は、中華人民共和国を認めない含みがあるため、当の中国当局がこの用法を拒否している。「中国」は、香港・澳門を含むと考えられるので多くの場合「中国大陸」と範囲が異なるほか、中国語圏で台湾を含まないことを念頭に使用する(たとえば「中国」と「台湾」を同格に並べる)場合は、中華民国体制・一つの中国論を否定する政治的な意味が強い。このため消去法で、比較的中立である「中国大陸」が選ばれる面がある。
ただし、香港では返還後に大陸部から押し寄せた旅行者や移民への反感により、「大陸」の言葉自体がいささか侮蔑的ニュアンスを含むようになってしまった。「大陸仔」(大陸から来た男性)「大陸妹」(大陸から来た女性)などが完全に侮蔑的表現として定着したほか、「大陸」という言葉自体が形容詞として「マナーの悪い」「汚い」などの意味で用いられるようになったため(例として「道端で立ち小便するなんて、彼はなんて大陸なんだろう」など)、香港政府は「大陸」や「中国大陸」という表現を避け「内地」を好んで用いることが多い(大陸人→内地人、内地同胞など)。これはもともと差別用語でなかった「支那」という言葉が現代の日本語で差別的とされ、「中国」がもっぱら用いられるのと同じケースである。
脚注
- ^ “教育部、国务院台办关于做好在祖国大陆高校学习的台湾学生教育和管理工作的通知” (中国語). 中华人民共和国教育部门户网站. 2019年3月13日閲覧。
- ^ 中華民國教育部國語推行委員會編、教育部重編國語辭典修訂本 「中國大陸」及び「大陸地區」の項 による。
- ^ 第二次国共内戦の敗北に伴い国民政府が台湾へ移転した日。
- ^ 外蒙古は、中華民国が建国以来一貫して領有権を主張していたが、帝政ロシア・ソビエト連邦の度重なる政治介入を受け、モンゴル人民共和国(モンゴル)の独立(1924年)とトゥヴァのソ連編入(1944年)という状態に至った。その後、中華民国・国民政府は、中ソ友好同盟条約(1945年)の締結によってトゥヴァの領有権を放棄し、かつ同条約の交換公文に基づいて行われた住民投票の結果を受け、1946年1月5日にモンゴルの独立を承認した。しかし第二次国共内戦の敗北によって中華民国政府が台湾への移転を余儀なくされると、政府はソ連による条約の不履行を理由として1953年2月24日に条約を破棄し、モンゴルの独立承認ないしトゥヴァの領有権放棄を取り消した。
- ^ 『中華民國九十四年年鑑』 第一篇 總論 第二章 土地 第二節 大陸地區(行政院新聞局編)
関連項目
- 中国本土(チャイナ・プロパー):歴史的に漢民族が多数を占める地域を指す中国に関する地域概念。
- 台湾地区:中華民国の実効統治区域を指す語。「中華民国自由地区」、「台澎金馬」ともいう。中華民国政府は「中国大陸(大陸地区)」の対義語として用いている。