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「ノート:柔道」の版間の差分

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m Bot作業依頼: プロジェクト:スポーツ/評価 スポーツ記事における記事評価制度廃止に伴う評価テンプレート除去依頼 (Template:ウィキプロジェクト スポーツ) - log
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2020年7月19日 (日) 15:05時点における版


>絞め技で相手が死亡した場合は、「有効」となる。

これ、本当ですか?Phew

どうやら2006年5月15日 (月) 07:50(JST)の編集以降からそうなっているようですね。まったく気付かなかった……。たしか、絞め技でなくとも相手が負傷その他で、戦えなくなった場合、棄権扱いで、勝ちになるはずです。「絞め技で相手が死亡した場合」もこれに含まれるはずなので、死亡した時点で勝ちかと思いますが。それ以前に、落ちてから死ぬはずなので、落ちた時点で、これまた一本かと。ともかく、ルールブックは昔読んだきりなので、「棄権扱い云々」も間違いかもしれませんが、「死んだら有効」は見たことないような。たぶんそんなルールは、十中八九ないと思いますが、編集した凪雲緋絽獅さんに聞いてみないことには、こちらもうろ覚えなので、何ともいえませんね。Bow 2006年8月22日 (火) 02:46 (UTC)[返信]

ルールを加筆しました。全て3つ目に分類されるようです。Bow 2006年11月11日 (土) 06:14 (UTC)[返信]


「ブラジルでの異種格闘技戦」は「歴史」の節からはずして独立の節としたほうがよいではないですかね?Phew 2006年11月6日 (月) 12:09 (UTC)[返信]

独立させます。Phew 2006年11月11日 (土) 08:09 (UTC)[返信]

概要について

>2人の選手が組み合って、相手を投げて背中から落とす、相手の足をはらい倒す、 >あるいは一定時間以上抑え込むことができれば勝ち。

2人の選手が組み合って、 1.相手を勢いよく背中から落とす。 2.一定時間以上抑え込むこむ。 3.首への絞め、肘関節への攻撃で、一定の効果を出す。 以上の3つの内、いずれかに成功する事ができれば勝ち。 とするのはいかがか?

ブラジリアン柔術ルール?

>ブラジリアン柔術ルールで行われ引き分けに終わる。

これは「柔術デスマッチルール」ではないですかね?ノーポイントの。Phew 2007年1月14日 (日) 01:46 (UTC)[返信]

「日本伝講道館柔道」の名称について

2007年2月3日 (土) 14:37の編集で、「以前の正式名称は日本伝講道館柔道だった。」となりましたが、本当でしょうか。それ以前には、「正式名称は『日本伝講道館柔道』という」に要出典が張ってありましたが、その点にも、出典があるのでしょうか。どうも、講道館が、柔道のことを「日本傳講道館柔道」と呼んでいる様なので(正式名称かは分かりませんが)、ご確認よろしくお願いいたします。Bow 2007年2月3日 (土) 15:39 (UTC)[返信]

どちらにしろ、出典があるまで、現在のも含めこの部分は削除しますね。--Phew 2007年2月3日 (土) 17:09 (UTC)[返信]

反則

反則に関する項目がないようですが。あった方がいいのでは?--Ks 2007年12月20日 (木) 14:34 (UTC)[返信]


当身技について

2011年7月9日 (土) 22:54‎ の編集で柔道の母体となった天神真楊流や起倒流の当身についての記載が削除され、柔道の当身技のほぼ全てが空手から採用されたかのような記述は、誤りであると言わざるを得ません。
出典はタイトルからして空手側のものであってやや偏りがあると考えるべき点があり、これをウィキペディアの柔道の項目にそのまま載せるべきものか再考が必要でしょう。嘉納治五郎の空手研究は事実としても、それ以前からすでに柔道には当身技が存在しました。 また、精力善用国民体育の形だけが柔道の当身技を表すかのような記述も元々柔道にあった古式の形(起倒流)や極の形(天神真楊流、他)にある当身技を無視してしまっています。
一旦、削除部分を復活させたいと思います。
さらに提案として、精力善用国民体育の形と空手の関係については精力善用国民体育の形の項目の中で記述すべきと考えますがいかがでしょうか。 --Bugei 2011年10月9日 (日) 14:59 (UTC)[返信]

精力善用国民体育の形が天神真楊流や起倒流から来ているという記述には出典がありませんでしたが、それを証明できる研究文献などはございますでしょうか。--山元 2011年11月21日 (月) 00:54 (UTC)[返信]

柔道の当身技が天神真楊流や起倒流から来ている、です。特に急所は天神真楊流のもので、古式の形の中の当身は起倒流そのものです。以上のことは様々な講道館柔道関係者の著書に書かれていることです。また、精力善用国民体育の形と空手との関係はあくまでも空手界側からの主張に過ぎません。百科事典としての柔道の項目に他分野からの主張を取り入れて記述するのは不適当であり、そのような論戦は他の著書等で論じるべき内容と考えます。--Bugei 2012年1月12日 (木) 14:35 (UTC)[返信]

その出典について、示していただけますでしょうか。もし天神真楊流や起倒流から充分な当て身技が伝承されていたのならば、嘉納翁が唐手を研究する必要がありません。むしろ、柔道の当て身技が唐手の影響を受けていることを隠蔽するために、意図的に古流柔術との関係を強調しているように感じられます。信頼できる出典が示されるまで、一端編集を差し戻します。--山元 2012年1月13日 (金) 05:51 (UTC)[返信]

「嘉納翁が唐手を研究する必要がありません。むしろ、柔道の当て身技が唐手の影響を受けていることを隠蔽するために、意図的に古流柔術との関係を強調しているように感じられます。」は、個人的見解にすぎません。ここはあなたのブログではありません。「隠蔽」って何でしょう?ボランティアに依存したwikiとはいえ、世界中の柔道ファンが読む可能性のある百科事典に個人的な陰謀論を書いていいものでしょうか?「急所は天神真楊流のもの」「古式の形の中の当身は起倒流そのもの」を否定する理由がわかりませんが、講道館に問い合わせてみては?また、出典希望ならそのように編集すべきですが、ノートに書かれたということで「急所は天神真楊流のもの」については後日示しましょう。古式の形の当身については自明なので改めて書く必要はないでしょう。
ついでにいうと、極の形は武徳会において数派の柔術師範が合議して制定したもので、この形の当身も各派柔術由来で空手は無関係です。
さらに、山元氏は、このノートに独自研究に基づく編集を行ったことを自ら記述しているため、この編集を削除すべきと提案します。--Bugei 2012年1月13日 (金) 09:01 (UTC)[返信]

Wikipediaにおける「独自研究」とは信頼できる資料に基づいていない記述、また出典を明記していない記述を言います。私は『嘉納治五郎大系』全巻に一応目を通しておりますが、嘉納翁自身が柔道の当て身技が天神真楊流や起倒流に由来するという言及を見つけることができませんでしたので、出典をお願いしているのですが。「攻防式国民体育」や「精力善用国民体育」の名称で、嘉納翁は昭和二年以降当て身技についてしばしば言及されていますが、上記柔術流派が由来とする見解は一つもありません。精力善用国民体育の相対動作の一部は明らかに柔術由来ですが、しかし嘉納翁はどれがどの柔術流派から来ているか等の由来についてはまったく言及しておりません。私の不勉強でそれらの記述が嘉納翁のどこかの著作に言及があるのなら教えていただきたいと思いますので、まず出典を明らかにしてもらえますでしょうか。--山元 2012年1月13日 (金) 10:48 (UTC)[返信]

講道館の昇段試験等において「嘉納治五郎は,学んだ柔術諸流につき,原理に照らし,実際に試み,大いに研究と工夫を加えた。そして主として起倒流の投技,天神真楊流の当身技,固技をもとにして集大成した。」が正しい文になります。これが講道館の公式見解です。しかし、あなたの独自研究結果をwikiに掲載し続けた場合、wikiを読んだ人は「主として空手の当身技をもとにして集大成した」という誤った文が正しいと間違って覚えてしまい、正しい答えに辿り着けなくなります。よって、独自研究成果を百科事典に掲載し続けることは誤りですので、訂正すべきです。
また、嘉納師範による空手研究に関する記述自体は残した編集にしてあったにも拘らず、古い記述に戻したことも理解できません。独自研究の成果はブログや著書で発表してください。--Bugei 2012年1月13日 (金) 15:27 (UTC)[返信]

「当身技は、「精力善用国民体育の形」としてまとめられているが、これは嘉納治五郎の唐手(現・空手)研究からきているとされる<REF>儀間真謹・藤原稜三『対談近代空手道の歴史を語る』ベースボール・マガジン社、1986年、110、111参照。</REF>」の形で出典は示されているとはいえ、そもそも出典が一部の空手家の研究に基づく私論・私的主張に過ぎず、信頼性に足る根拠・資料ではない点を指摘します。--Bugei 2012年1月13日 (金) 16:12 (UTC)[返信]

「講道館の昇段試験文」は独自研究に書かれている「信頼できる資料」に該当しませんので、御主張を証明できる嘉納治五郎著作集からの引用など、信頼できる一次文献からの出典並びに明記をお願いします。あと、私が出典を明記している文章に対して、出典を示せていないのに一方的に「独自研究」を貼るのはおやめください。Wikipediaでの編集は出典を示せない文章は削除されても仕方がありませんので。--山元 2012年1月13日 (金) 20:54 (UTC)[返信]
出典元の『対談近代空手道の歴史を語る』の対談者の一人、儀間真謹氏は大正11年に講道館で唐手演武した当事者であり、その儀間氏が
儀間 それは実に熱心なものでした。嘉納治五郎先生が考案された『精力善用国民体育の形』をごらんになれば分かる通り、この形の中には、沖縄唐手術の技法が随所に用いられているのです」(110頁)
と語っているわけですから、当該文献を「私論・私的主張」と言うことはできません。この著作は空手史研究においてはしばしば参考文献に挙げられる「信頼できる二次文献」です。それを信頼に足る資料ではないと貶めることはできません。--山元 2012年1月13日 (金) 21:05 (UTC)[返信]

ノートにおいて議論中にタグを外して更に編集を進めるとは、いったいどういうつもりでしょうか?編集内容の要約における山元のコメントはBugeiに対する中傷と看做します。山元が提示した文献は柔道の資料として信頼性に欠けると指摘しており、独自研究にあたる可能性を議論中です。訂正してください。
さて本題ですが、講道館の昇段審査等の筆記試験の正解文は講道館による公式文書の一部であり、講道館柔道について記述する場合の一次資料に相当しますが、それを否定するのは異常です。当の講道館が「主として起倒流の投技,天神真楊流の当身技,固技をもとにして集大成した」としていることを否定して、再三指摘されていることを無視してまで「講道館の当身技は空手である」と不特定多数が目にするサイト上で主張し続けることは講道館に対する中傷に当たるため注意してください。また、昇段審査の受験等を控えている講道館柔道修行者に対する妨害行為でもあります。
さらに幾つか論点がありますが、
・「当身技は、昭和に入って「精力善用国民体育の形」(単独動作・相対動作)として制定された」の文意は「精力善用国民体育の形の制定前までは柔道に当身技が無かった」という意味ですか?それは歴史的に誤りで、投の形をはじめとして嘉納師範の空手研究と精力善用国民体育の形の制定以前から当身技は存在します。訂正してください。
・『対談近代空手道の歴史を語る』の対談者の一人、儀間真謹が「それは実に熱心なものでした。嘉納治五郎先生が考案された『精力善用国民体育の形』をごらんになれば分かる通り、この形の中には、沖縄唐手術の技法が随所に用いられているのです」(110頁)と語っている内容は、単なる一空手家の感想文に過ぎません。儀間真謹は講道館側からすれば演武を披露して貰っただけで、部外者にしか過ぎません。(講道館について記述する場合、儀間真謹や著書の空手の世界における評価は無意味です。)よって、当該文献は部外者である儀間真謹による私論・私的主張に過ぎず、講道館柔道についての編集においては信頼性の不足した資料です。そして、これを根拠とした「講道館の当身技は空手である」という主張は百科事典の主文には不適当です。山元、儀間真謹及びその所属する空手団体の講道館に対する意図は何なのでしょうか?ついでに儀間真謹の所属空手団体と現在の代表者を教えてください。
・「この形に使用されている当身技、特に単独動作の当身技は、嘉納治五郎の唐手(現・空手)研究の成果によるものとの指摘がある」は『対談近代空手道の歴史を語る』の文中からの抜粋ですか?抜粋ならページと抜粋方法が解かる様にしてください。
・精力善用国民体育の形の独立した項目が柔道形にあるため、詳細はそちらに移動すべきと考えます。
・起源との表題を付けていますが、内容からして、○○流空手儀間真謹による柔道当身技空手起源説、です。訂正してください。
・「主として起倒流の投技,天神真楊流の当身技,固技をもとにして集大成した」旨を記載した講道館の資料は昇段試験文で十分と考えますが(これは講道館にとって公式なものであると同時に、学校や警察という公的機関においても通用しているものです)、他の編集者からも希望があれば追加しようと考えてます。(現在手元に無い資料は再度取り寄せるため時間が掛かっています。)また、他の編集者も資料をお持ちでしたらご協力願います。
・現存する団体に対する中傷を含む文により、これからwikiを読んだ人々が損害を被らないことを祈ります。--Bugei 2012年1月14日 (土) 12:41 (UTC)[返信]

昇段審査の筆記試験の内容は、原則として講道館内部の人間、具体的には出題者や試験監督官、受験者しか知り得ないではありえませんか? Wikipediaでは、出典のための参考文献は検証可能性(WP:V)が求められます。具体的には書物や雑誌という形で出版されており、図書館などで第三者が誰でも閲覧可能なものである必要があります。この原則に照らすと、筆記試験は部外者には知り得ないわけで、検証可能性を満たすのは困難かと思います。講道館から発行している書籍・雑誌からの引用でしたら、出典の明記の条件を満たしていると思いますので、講道館の公式見解があるのでしたら、それらを引用なされればよろしいと思います。
>「精力善用国民体育の形の制定前までは柔道に当身技が無かった」という意味ですか?それは歴史的に誤りで、投の形をはじめとして嘉納師範の空手研究と精力善用国民体育の形の制定以前から当身技は存在します。訂正してください。
もしご存じなら、それを出典を明記して加筆されればよいのではないでしょうか? 図書館に行けば、たいていどこでも『嘉納治五郎大系』は全巻揃っており、閲覧可能です。その頁をコピーして、出典を明記された上で加筆されたらよろしいと思います。何度も申し上げていますが、出典を明記した上で私の編集の誤りを正すと言うことでしたら問題はありません。しかし、出典を明記せずに、出典を明記している私の編集を一方的に削除したり、独自研究のタグを付けるのはおやめください、ということです。わたくしが挙げた参考文献を一度も目を通していないのに、偏りがあるとか独自研究であると主張をされるのは、果たしてフェアでしょうか。私は嘉納翁の著作はすべて閲覧した上で編集しているのですから。
>「この形に使用されている当身技、特に単独動作の当身技は、嘉納治五郎の唐手(現・空手)研究の成果によるものとの指摘がある」は『対談近代空手道の歴史を語る』の文中からの抜粋ですか?抜粋ならページと抜粋方法が解かる様にしてください。
「藤原 それにしても、嘉納治五郎館長は、唐手術に対して、随分と熱心なものだったのですね。
儀間 それは、実に熱心でした。嘉納治五郎先生が考案された『精力善用国民体育の形』をごらんになれば分かる通り、この形の中には、沖縄唐手術の技法が随所に用いられているのです。
藤原 ええ、近頃の空手家と称する人達は、歴史・理念・技法などについては、いずれも生半可な知識しかもっておりませんし、師匠が生半可なものですから、弟子の方も、大体において生半可通が多いのです。しかし、これからの指導者は、空手道の歴史や理念を充分に知っておく必要があるのです。『突き技』『蹴り技』を空手道だけの技術の如く勘違いされては困るのです。嘉納治五郎師範が大正五年の春頃までに体系化し、昭和二年二月に発表した四十八本の『精力善用・国民体育の形』の中には,『当て』『突き』『蹴り』『打ち』『取り』『上げ』『掛け』など、唐手術の技法を援用したものが多数含まれているのです。この形は、私も戦争中に稽古いたしましたので、教本があれば、すぐにでも思い出せますが、いくら体育形と称しても、その基本原理は、どこまでも武術拳法ですから、ちょっと工夫の手を加えれば、組手試合にも応用することができるのです。
儀間 この形は、私も稽古した経験があるのです。確か、五方当てというのは、『左斜当て』『右当て』『後ろ当て』『前当て』『上当て』の五本で、五方蹴りは、『前蹴り』『後蹴り』『左前斜蹴り』『右前斜め蹴り』『高蹴り』など五本だったはずです。
藤原 ええ、当て技には、その他にも、動作の大きな『大五方当て』というのがありました。単独動作の方は、その大部分が、『突き』と『打ち』でしたが、相対動作の方は、『居取り』と『立合』ですから、教本が手許にありませんことには、ちょっと正確な順序を思い出すことができないのです。
儀間 それはともかくとして、嘉納治五郎師範が、沖縄唐手術の形を大変熱心に研究されていたことは事実ですし、演武会の結果についても、当時の状況から考えまして、非常に満足していたように思います」(儀間真謹・藤原稜三『対談近代空手道の歴史を語る』110、111頁)。
>精力善用国民体育の形の独立した項目が柔道形にあるため、詳細はそちらに移動すべきと考えます。
煩雑にならないように書いたつもりですが、記事量に問題があるなら、ご指摘の箇所について検討した上で移動しても構いません。
>ついでに儀間真謹の所属空手団体と現在の代表者を教えてください。
著書をお読みなれば分かると思いますが、「Wikipedia:個人攻撃はしない」に該当するような行為はおやめください。もし納得できないようでしたら、これ以上の議論は「Wikipedia:コメント依頼」にて依頼をだして、第三者の見解を交えたほうがいいと思います。精力善用国民体育以前の講道館の当て身技については、私ももう少し調べてみます。--山元 2012年1月14日 (土) 14:07 (UTC)[返信]

他者に対しては嘉納治五郎の発言記録の刊行物のみを絶対条件として要求し、自身は空手家同士の雑談の刊行物を根拠として認める山元の編集方針には賛同できません。講道館柔道の文書は資料となり得ると考えます(初段や二段の受験者なら普通に触れられる程度のもので、地域によってはテキストもあります)。また、儀間真謹・藤原稜三『対談近代空手道の歴史を語る』110、111頁の内容は空手家同士の雑談でしかなく、「この形に使用されている当身技、特に単独動作の当身技は、嘉納治五郎の唐手(現・空手)研究の成果によるものとの指摘がある」との記述を導くには不十分であり、そもそも単なる空手家同士の雑談を文字化しただけの儀間真謹・藤原稜三『対談近代空手道の歴史を語る』は講道館柔道について記述する際の資料としては適切でないと評価せざるを得ません。(空手界では面白い読み物なのでしょうが、儀間真謹、藤原稜三、ベースボールマガジン社の出版経緯等についてはこちらで調べたいと思います。)
繰り返しになりますが、
・起源との表題を付けていますが、内容からして、○○流空手儀間真謹による柔道当身技空手起源説、です。訂正してください。
・「主として起倒流の投技,天神真楊流の当身技,固技をもとにして集大成した」旨を記載した講道館の資料は昇段試験文で十分と考えますが(これは講道館にとって公式なものであると同時に、学校や警察という公的機関においても通用しているものです)、他の編集者からも希望があれば追加しようと考えてます。(現在手元に無い資料は再度取り寄せるため時間が掛かっています。)また、他の編集者も資料をお持ちでしたらご協力願います。
・現存する団体に対する中傷を含む文により、これからwikiを読んだ人々が損害を被らないことを祈ります。
Wikipedia:コメント依頼にて依頼をだして、第三者の見解を交えたほうがいいという点は賛同します。是非そうして下さい。それまで編集は自粛します。--Bugei 2012年1月14日 (土) 17:24 (UTC)[返信]

ご指摘の昇段試験文は、部外者はどこで閲覧可能なのでしょうか。試験文が出典になりうるとは思えませんが、それすらも出典を明記していただけないと、第三者には内容についての可否は判断不可能かと存じます。また、資料を取り寄せ中で回答できないというのでしたら、せめてそれが届くまで独自研究のタグを貼るような行為は慎んでいただきたかったと思います。また、大手出版社から出版されている定評ある空手研究書を直接閲覧せずにその資料価値を否定するのも理解に苦しみます。いずれにしろ、これ以上の議論は平行線かと存じますので、コメント依頼を出させていただきました。わたくしも第三者の判断に従いたいと思います。--山元 2012年1月14日 (土) 18:04 (UTC)[返信]

資料追加
「講道館柔道の投技は起倒流の技をもとにしているが、固技のような攻撃技は天神真楊流の技に由来している。当身技は攻撃することによって受の急所に痛みを負わせたり、(略)するのに適した護身術である。」 講道館(1995)『決定版 講道館柔道』講談社 第9章当身技、142ページ。
「急所 (略)柔道ではその優れたテクニック同様、こういった攻撃されやすいところという認識は天神真楊流から伝えられてきたものである(図略)。」 講道館(1995)『決定版 講道館柔道』講談社 第9章当身技、144ページ。
他の編集者の方々の参考になるかと考えます。--Bugei 2012年1月16日 (月) 08:42 (UTC) コメント依頼がありましたが、この資料によって、柔術からも当身を取り入れたという記述は適当だという結論が良いと思います。 --Koyakei 2012年2月4日 (土) 14:40 (UTC)[返信]

折角ですので、資料を参考に追加してみました。私の誤りについては改訂してください。ただ、どなたかが他の方の編集を一方的に削除することはおやめください。出典不明なら、要出典タグがあります。--124.85.138.172 2012年1月23日 (月) 12:27 (UTC)[返信]

参考資料の追加ありがとうございます。追加の編集内容からすると、これは講道館の「極(きめ)の形」(居捕8本、立合12本)のことを言っているかと思いますが、これは精力善用国民体育の形では「極式相対練習(相対動作)」に該当するもので、単独動作のほうではございません。単独動作の由来について、その本には何か書かれていますでしょうか。--山元 2012年1月24日 (火) 11:21 (UTC)[返信]

嘉納治五郎の著作を再度精査しましたが、極の形については大正2年の『柔道概説』に言及がありましたが(『嘉納治五郎大系』第3巻、114頁)、これが天神真楊流から来ているとする記述はありませんでした。果たして嘉納治五郎がそのような証言をしていたのか、もう少し文献を調査する必要があると思います。私が調べた限りでは以上です。追加の出典に関しては本文において追記しておきました。--山元会話2012年3月4日 (日) 00:07 (UTC)[返信]

極の形は当初、大日本武徳会の柔術形でした。複数の流派の宗家、師範の先生方が制定に参加しています。履歴を拝見するに、山元さんは専門の空手に専念されてはいかがですか?貴殿の柔道の記述には若干ズレが見受けられます。空手も武徳会で独立して存在した立派な日本武道ですよ。柔道に関わる必要はないのでは?--114.178.137.182 2012年3月5日 (月) 14:58 (UTC)[返信]

内容が過剰なのでは

履歴を見てみたのですが、ここ数年でKanata0001さんを主執筆者として加筆されて大きな記事に成長してきたことがわかりますが、一読者の意見として、この記事は内容が多すぎて要点がつかみにくく、かなり読みづらい印象を受けました。少し内容を絞って要点をまとめて内容を簡潔に整理した方がよいと思いますが、どうにかならないでしょうか(Wikipedia:過剰な内容の整理)。また、「技術体系」節のサブセクションで、 武術としての柔道(勝負法) 〜娯楽や美育,幅広い目的の柔道(慰心法)までの範囲が出典がほとんどついて無いことや、主語が柔道ではなく「嘉納治五郎は」で始まる記述は、嘉納治五郎が中心であって、主題「柔道」を中心とした文章表現方法で書かれていないので、要点がつかみにくい元になっていると思いますので、このあたりはバッサリ切っても差し支えないのではないかと思えるくらいです。関連項目も「Wikipedia:関連項目」に反してますし、項目数がかなり多すぎると思います。--小石川人晃会話2019年3月4日 (月) 13:23 (UTC)[返信]

提案 現時点の最新の版から、関連項目節の{{関連項目過剰|date=2018年9月|section=1}}が貼られていることから、項目を整理したいと思います。整理する内容は、サブセクション(レベル3)の「柔道を扱った作品」節の一括除去です。根拠となるウィキペディアの方針・ガイドラインは、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」と「Wikipedia:関連項目」です。著作者の作品リストには意味があると思いますが、スポーツの関連作品の箇条書きは、例えば“自動車を扱った作品リスト”と同じようなもので、際限がないリストへ肥大化する恐れがあります。よろしくお願いします。--小石川人晃会話2019年3月11日 (月) 14:40 (UTC)[返信]

終了 提案から1週間以上が経ちましたが、反対意見がなかったので提案通り「柔道を扱った作品」節の一括除去により整理します。--小石川人晃会話2019年3月21日 (木) 01:06 (UTC)[返信]
報告 上記編集の実施により関連項目を整理し、過剰テンプレートを除去しました。--小石川人晃会話2019年3月21日 (木) 01:10 (UTC)[返信]

提案柔道の派閥」節の除去を提案します。理由ですが、

になります。よろしくお願いします。--小石川人晃会話2019年3月21日 (木) 02:00 (UTC)[返信]

終了 提案から1週間以上が経ちましたが、反対意見がなかったので提案通り「柔道の派閥」節の一括除去により整理を行います。--小石川人晃会話2019年3月31日 (日) 04:04 (UTC)[返信]
報告 上記により「柔道の派閥」節を除去しました。--小石川人晃会話2019年3月31日 (日) 04:23 (UTC)[返信]

国際的競技としての普及

国際的競技としての柔道においても礼節は重んじられている。

この写真には問題があります。 1 青い柔道着は相手を明確にするために試合において使用されるもので、競技場面での一時的な状況を除けば、十分に普及した地域の通常の道場ではこういう場面は一般的ではありません。少なくとも、講道館はもちろんIJFや欧州などでも指導者が使用することはないと言って良いでしょう。 2 左側の方々の足は素足ではなく何か靴あるいは靴下をはいているように見えます。こういう場面も未熟な修行者の印象が拭えません。 3 右側手前の人は、正坐がきつそうで、状態が少し前傾しています。正坐は日本人特有の習慣であるなどという説明はもはや陳腐なくらい、完全に柔道人には定着しています。

以上から、国際化した場面を強調したいがための、誤解を招く写真として、排除を提案します。〜〜〜〜

--以上の署名のないコメントは、Sanshiro5304会話投稿記録)さんが 2020年4月23日 (木) 12:36 (UTC) に投稿したものです(小石川人晃会話)による付記)。

古賀塾の古賀稔彦がよく青柔道着を着てるかと思います。1、3の出典か証拠を示してください。2は日本の流儀とは違うにすぎず未熟とは言えないでしょう。--Hiroshi takahashi会話2020年5月22日 (金) 20:24 (UTC)[返信]

出典の明記について

この記事は、現時点で出典として脚注(節)で示されている書誌情報の一部は、著者名や出版年月日、発行者(出版社)、ISBNや、参照したページなどの記載がないものが散見されますので、記事の検証可能性や精度といった点で、多くの問題を抱えている状態にあると思います。従いまして、記事の冒頭に「出典の明記」を追加し、以前から指摘されている独自研究の問題と合わせて、複数の問題とさせていただきました。--小石川人晃会話2020年5月19日 (火) 17:11 (UTC)[返信]