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「リトアニア・ソビエト社会主義共和国 (1918年-1919年)」の版間の差分

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2020年7月18日 (土) 09:49時点における版

リトアニア・ソビエト社会主義共和国
Lietuvos Tarybų Socialistinė Respublika
Литовская Советская Социалистическая Республика
リトアニア共和国 (1918年-1940年) 1918年 - 1919年 リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国
LTSRの国旗
(国旗)
LTSRの位置
赤い斜線の部分がリトアニア・ソビエトの領域とおおよそ一致する
公用語 [1]リトアニア語
ロシア語
ベラルーシ語
ポーランド語
イディッシュ語
首都 ヴィリニュス
人民委員評議会委員長
1918年 - 1919年 ヴィンツァス・ミツケヴィチュス=カプスカスドイツ語版
変遷
暫定政府発足 1918年12月8日
独立宣言1918年12月16日
ロシア・ソビエトが承認1918年12月22日
首都陥落1919年1月5日
白ロシア・ソビエトと合併し消滅1919年2月27日
リトアニアの歴史

この記事はシリーズの一部です。
先史時代
バルト人
リトアニア王国 (1251年-1263年)
リトアニア大公国
ポーランド・リトアニア共和国
ロシア帝国
北西地域ヴィリナ県コヴノ県
リトアニア王国 (1918年) 
リトアニア・ソビエト社会主義共和国 (1918年-1919年)
リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国 (1919年)
リトアニア共和国 (1918年-1940年)
リトアニア・ソビエト社会主義共和国 (1940年-1990年)
リトアニア共和国 (現代)

リトアニア ポータル

リトアニア・ソビエト社会主義共和国(リトアニア・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、リトアニア語: Lietuvos Tarybų Socialistinė Respublikaロシア語: Литовская Советская Социалистическая Республика)とは、1918年から翌年にかけてリトアニアに短期間存在した暫定国家である。1918年12月8日にヴィンツァス・ミツケヴィチュス=カプスカスドイツ語版率いる暫定革命政府によって独立が宣言され、1919年2月27日に白ロシア・ソビエト社会主義共和国[注 1]と合併しリトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国(リトベル共和国)を形成したことで消滅した。

外向きにはリトアニア人自らによる社会主義革命の産物であるかのような体裁がとられていたが、その実態はリトアニア・ソビエト戦争英語版を正当化するためのソビエト・ロシア傀儡政権に過ぎなかった[注 2]。一方でソ連の公的プロパガンダに拠って立つ歴史家によれば「ソビエト・ロシア政府がこの若きリトアニア・ソビエト共和国を承認したという事実は、米英の帝国主義者が宣伝する、ソビエト・ロシアがバルト諸国に対する強欲を抱いているというデマを打ち砕くものである」とされている[2]

前史

1918年11月11日、ドイツ帝国の敗北により第一次世界大戦は終結し、ドイツ軍は東部占領地域フランス語版から撤退を始めた。2日後の11月13日、ボリシェヴィキ政府(ソ連の前身)はリトアニアの独立を保障していたブレスト=リトフスク条約を破棄[3]赤軍プロレタリアによる世界革命を達成するために諸民族の独立運動ソビエトのものに取って換えることを目論み、エストニアラトビア、リトアニア、ポーランドウクライナなどの西方へ侵攻を開始した[4]。その軍は撤退するドイツ軍を追いかける形で続き、12月末までにリトアニアに達した[5]

建国

リトアニアにおける共産主義運動は、1918年の晩夏までは下火だった。リトアニア共産党 (LKP) が設立されたのは、同年の10月1日から3日にかけてヴィリニュスで34の代表により開催されたその第1回の会議でのことである[2]。初代委員長にはプラナス・エイドゥケヴィチュスリトアニア語版が選出され、LKPはボリシェヴィキの路線に従ってリトアニアで社会主義革命を起こすことを決定した。この計画はモスクワから煽動と融資を受けており、アドリフ・ヨッフェドミトリー・マヌイリスキーによって指導されていた[6]。12月8日、LKP幹部のヴィンツァス・ミツケヴィチュス=カプスカスドイツ語版が指導者となり、暫定革命政府が発足した。ソ連からの情報によれば暫定政府はヴィリニュスで発足したとされているが、今日の歴史家はむしろ赤軍に付き従う形で発足した可能性が高いと考えている[6][7][注 3]

政府は12月16日付で独立宣言書を発行し、ここにリトアニア・ソビエト社会主義共和国が成立した[2]。宣言書が最初に公表されたのは12月19日の「イズベスチヤ」(ソ連紙)紙上でのことで、次いでラジオでも放送された[6]。ヴィリニュスでそれが発表されたのはさらに5日経ってからのことである[8]。ミツケヴィチュス=カプスカスが起草した宣言文の草案ではソビエト・ロシアとの緊密な関係の必要性が強調され、「ソビエト・リトアニア(を併合する)ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国万歳!」との文言で締めくくられている[2][注 4]。ミツケヴィチュス=カプスカスは長らく社会愛国主義分離主義、リトアニア独立運動などに反対する活動を行っていたため、独立したソビエト共和国が成立することを望まなかった。むしろルクセンブルク主義者であった彼は民族自決を否定していた[9]

リトアニア・ソビエト社会主義共和国はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国から援助を求め、ロシア・ソビエトは12月22日にリトアニア・ソビエトの独立を正式に承認した[10]。同日、赤軍はリトアニア=ソビエト国境のザラサイリトアニア語版シュヴェンチョニースを引き継いだ。その後の暫定政府は自らの存在を宣伝しようとせず、ほぼ解散状態となった[2]。また、初期のリトアニア軍は赤軍の侵攻を抑えきれず、1919年1月5日にヴィリニュスは陥落し、2月末までにリトアニア領はおよそ3分の2まで縮小した[5]

政府

人民委員評議会メンバー[11]
役職 1919年1月6日のメンバー 同月22日のメンバー
外務人民委員 ヴィンツァス・ミツケヴィチュス=カプスカスドイツ語版(委員長を兼任)
内務人民委員 ジグマス・アンガリエティス(en)(副委員長を兼任)
食糧人民委員 アレクサンドラス・ヤクシェヴィチュス(lt) M. スリフキン(M. Slivkin)
労務人民委員 セミョーン・ディマンシテイン(en)
財務人民委員 カジミエシュ・チホウスキ(pl)
運輸人民委員 プラナス・スヴォテリス=プロレタラス
(Pranas Svotelis-Proletaras)
アレクサンドラス・ヤクシェヴィチュス
農務人民委員 イツハク・ヴェインステイン=ブラノフスキ
(Yitzhak Weinstein-Branovski)
ヴァツロヴァス・ビエルスキス(lt)
教育人民委員 ヴァツロヴァス・ビルジシカ(ru)
通信人民委員 - プラナス・スヴォテリス=プロレタラス
軍事人民委員 - ラポラス・ラシカス(Rapolas Rasikas)
人民経済人民委員 - イツハク・ヴェインステイン=ブラノフスキ
商工人民委員 - イツハク・ヴェインステイン=ブラノフスキ

ロシアにおいて一般にソビエト体制を支えていたのは工業労働者階級だったが、リトアニアではこの階級は脆弱だった[12]。このため新生リトアニア・ソビエトはロシアに頼ることを余儀なくされ[10]、ロシア・ソビエトは1月21日に暫定政府に対し100万ルーブルの融資を認めた[13]

リトアニア・ソビエトは独自の軍を持たなかった。2月のモスクワへの電報において、ミツケヴィチュス=カプスカスは「地元のリトアニア人を赤軍へ徴兵することは、逆に彼らがリトアニア軍へ志願することを煽る結果しかもたらさない」と主張している[1]。一方で赤軍の占領下ではロシアをモデルに革命的な委員会や評議会が設置されたりもした[1]

赤軍は占領地域において莫大な戦費の供出を要求し、例えばパネヴェジースでは100万、ウテナでは20万ルーブルに加え住人一人ひとりに10ルーブルずつが要求された[12]。商業施設や大土地は国有化されたが、それらは小農家に分配されるよりむしろ集団農場に割り当てられた[12]。1月には法令によって、すべての住人に週250ルーブル以上を支払うために金融機関を停止することが定められ、財政難と現金の不足が明らかになった[14]

カトリックナショナリズムの根強いリトアニアにおいてソビエトの標榜する国際主義無神論が住人に受け入れられることはなく、これは最終的に赤軍の撤退に貢献した[1][12]

解散とその後

2月8日から15日にかけてリトアニアとドイツの義勇軍は赤軍の侵攻を食い止め、臨時首都であったカウナスの陥落を防いだ[5]。2月末、ドイツ義勇軍はリトアニア北部とラトビアで攻勢に転じた[15]。軍事的困難と地元民からの反発に直面したソビエトは、脆弱なリトアニア・ソビエトと(1919年の)白ロシア・ソビエト社会主義共和国を合併し、ミツケヴィチュス=カプスカスの主導するリトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国(リトベル共和国)を形成することを決めた[16]。それぞれの共産党もまたリトアニア=白ロシア共産党ロシア語版に吸収された。しかし、この新たな国家は影響力に乏しかった。ポーランド・ソビエト戦争中には1919年4月にヴィリニュスを、9月にミンスクポーランド軍に奪われ[17]、リトベル共和国もまた崩壊した。

ポーランド・ソビエト戦争中の1920年7月14日、赤軍はヴィリニュスを奪回した。しかしソビエトは2日前にソビエト=リトアニア講和条約英語版で取り決められた都市の返還を行わず、それどころか逆にリトアニア政府を転覆させ、(1920年からの)白ロシア・ソビエト社会主義共和国で行ったのと同じやり方でソビエト共和国を再建させることを企てた[18]。だが赤軍はワルシャワの戦いで敗北し、ポーランド軍により押し戻された。このポーランドの勝利こそがリトアニアの独立をソビエトのクーデターから守ったと考える歴史家もいる[17][19]

戦間期のリトアニア=ソビエト関係は概ね良好だった。しかし第二次世界大戦勃発から数か月した1940年7月、ソ連はリトアニアを含むバルト諸国を占領した。これは公的なソ連のプロパガンダ英語版によって「革命的大衆によるソビエト権力の回復」であると説明された[2]

ミツケヴィチュス=カプスカス(1957年のソ連の切手より)

脚注

注釈

  1. ^ 1919年1月4日から2月27日まで短期間存在した国家。ソ連崩壊まで存在した白ロシア・ソビエト社会主義共和国とは異なる。
  2. ^ 同様の共和国はラトビアエストニアにも建設されている。
  3. ^ なお、1918年12月16日から翌年1月7日までの間、政府はダウガフピルスに置かれた[6]
  4. ^ その後スターリンロシア共産党が編集した決定稿では、このスローガンは「解放されたソビエト・リトアニア共和国万歳!」に変更された[6]

出典

  1. ^ a b c d Eidintas, Alfonsas; Vytautas Žalys, Alfred Erich Senn (1999). Lithuania in European Politics: The Years of the First Republic, 1918–1940 (Paperback ed.). New York: St. Martin's Press. p. 36. ISBN 0-312-22458-3. http://books.google.com/?id=0_i8yez8udgC&pg=PA36 
  2. ^ a b c d e f Jurgėla, Constantine R. (1976). Lithuania: The Outpost of Freedom. Valkyrie Press. pp. 161–165. ISBN 0-912760-17-6 
  3. ^ Langstrom, Tarja (2003). Transformation in Russia and International Law. Martinus Nijhoff Publishers. p. 52. ISBN 90-04-13754-8. http://books.google.com/?id=_Y1ITouKQooC&pg=PA52 
  4. ^ Davies, Norman (1998). Europe: A History. HarperPerennial. p. 934. ISBN 0-06-097468-0 
  5. ^ a b c (リトアニア語) Ališauskas, Kazys (1953–1966). "Lietuvos kariuomenė (1918–1944)". Lietuvių enciklopedija. Vol. XV. Boston, Massachusetts: Lietuvių enciklopedijos leidykla. pp. 94–99. LCC 55020366
  6. ^ a b c d e (リトアニア語) Čepėnas, Pranas (1986). Naujųjų laikų Lietuvos istorija. II. Chicago: Dr. Griniaus fondas. pp. 318–323. ISBN 5-89957-012-1 
  7. ^ (リトアニア語) Lesčius, Vytautas (2004). Lietuvos kariuomenė nepriklausomybės kovose 1918–1920. Lietuvos kariuomenės istorija. Vilnius: General Jonas Žemaitis Military Academy of Lithuania. p. 32. ISBN 9955-423-23-4. http://www.kam.lt/EasyAdmin/sys/files/LIETUVOS_KARIUOMENE_1.pdf 
  8. ^ (リトアニア語) Antanas Drilinga, ed (1995). Lietuvos Respublikos prezidentai. Vilnius: Valstybės leidybos centras. p. 51. ISBN 9986-09-055-5 
  9. ^ White, James D. (1994). “National Communism and World Revolution: The Political Consequences of German Military Withdrawal from the Baltic Area in 1918–19”. Europe–Asia Studies 8 (46): 1363. ISSN 0966-8136. 
  10. ^ a b (リトアニア語) Eidintas, Alfonsas (1991). Lietuvos Respublikos prezidentai. Vilnius: Šviesa. p. 36. ISBN 5-430-01059-6 
  11. ^ Senn, Alfred Erich (1975). The Emergence of Modern Lithuania (2nd ed.). Westport, CT: Greenwood Press. pp. 239–240. ISBN 0-8371-7780-4 
  12. ^ a b c d Lane, Thomas (2001). Lithuania: Stepping Westward. Routledge. pp. 7–8. ISBN 0-415-26731-5. http://books.google.com/?id=fecMC0LXU-sC&pg=PA7 
  13. ^ (リトアニア語) Lesčius, Vytautas (2004). Lietuvos kariuomenė nepriklausomybės kovose 1918–1920. Lietuvos kariuomenės istorija. Vilnius: General Jonas Žemaitis Military Academy of Lithuania. p. 29. ISBN 9955-423-23-4. http://www.kam.lt/EasyAdmin/sys/files/LIETUVOS_KARIUOMENE_1.pdf 
  14. ^ (リトアニア語) Kvizikevičius, Linas; Saulius Sarcevičius (2007). “Pinigų cirkuliacijos Lietuvoje bruožai 1915−1919 m.”. Istorija. Lietuvos aukštųjų mokyklų mokslo darbai (68): 35. ISSN 1392-0456. http://www.ceeol.com/aspx/getdocument.aspx?logid=5&id=01b57668-16b0-4e37-90de-288bc7e1ca30. 
  15. ^ Rauch, Georg von (1970). The Baltic States: The Years of Independence. University of California Press. p. 60. ISBN 0-520-02600-4 
  16. ^ Mawdsley, Evan (2007). The Russian Civil War. Pegasus Books. p. 118. ISBN 1-933648-15-5. http://books.google.com/?id=LUhXZD2BPeQC&pg=PA118 
  17. ^ a b Snyder, Timothy (2004). The Reconstruction of Nations: Poland, Ukraine, Lithuania, Belarus, 1569–1999. Yale University Press. pp. 62–63. ISBN 0-300-10586-X. http://books.google.com/?id=xSpEynLxJ1MC&pg=PA63 
  18. ^ Eidintas, Alfonsas; Vytautas Žalys, Alfred Erich Senn (1999). Lithuania in European Politics: The Years of the First Republic, 1918–1940 (Paperback ed.). New York: St. Martin's Press. p. 70. ISBN 0-312-22458-3. http://books.google.com/?id=0_i8yez8udgC&pg=PA70 
  19. ^ Senn, Alfred Erich (September 1962). “The Formation of the Lithuanian Foreign Office, 1918–1921”. Slavic Review 3 (21): 500–507. doi:10.2307/3000451. ISSN 0037-6779.