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2020年7月18日 (土) 09:44時点における版
ミャンマー連邦 | ||||||
ビルマ語: နိုင်ငံတော် အေးချမ်းသာယာရေး နှင့် ဖွံ့ဖြိုးရေး ကောင်စီ Pyidaunzu Myăma Nainngandaw | ||||||
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国歌 ガバ・マ・チェ Till the End of the World | ||||||
首都 | ヤンゴン (1988-2006) ネピドー (2006-2010) | |||||
言語 | ビルマ語 | |||||
宗教 | 上座部仏教 | |||||
政府 | 軍事政権 | |||||
国家平和発展評議会議長 | ||||||
• | 1988–1992 | ソウ・マウン | ||||
• | 1992–2011 | タン・シュエ | ||||
国家平和発展評議会副議長 | ||||||
• | 1988–1992 | タン・シュエ | ||||
• | 1992–2011 | マウン・エイ | ||||
首相 | ||||||
• | 1988–1992 | ソウ・マウン | ||||
• | 2007–2011 | テイン・セイン | ||||
歴史・時代 | 冷戦 | |||||
• | 8888蜂起 | 1988年9月18日 | ||||
• | アウン・サン・スー・チーの自宅軟禁開始 | 1989年7月20日 | ||||
• | サフラン革命 | 2007年8月15日 | ||||
• | 国民投票で新憲法が承認 | 2008年5月10日 | ||||
• | アウン・サン・スー・チーの自宅軟禁終了・政治活動再開 | 2010年11月13日 | ||||
• | SPDCの解散、民政復帰 | 2011年3月30日 | ||||
• | 2015年総選挙 | 2015年11月8日 | ||||
面積 | ||||||
• | 1988年 | 676,578 km² (261,228 sq mi) | ||||
通貨 | チャット | |||||
現在 | ミャンマー連邦共和国 |
国家平和発展評議会(英語:State Peace and Development Council、ビルマ語: နိုင်ငံတော် အေးချမ်းသာယာရေး နှင့် ဖွံ့ဖြိုးရေး ကောင်စီ、略称:SPDC)はミャンマーの軍事政権の最高決定機関。
概要
1988年9月、旧ビルマ軍のクーデターにより国家法秩序回復評議会(State Law and Order Restoration Council、略称:SLORC)が全権を掌握して以来、同国では2011年3月30日まで軍事政権が続いた。このSLORCが1997年11月に改組されたのが国家平和発展評議会である。
SPDC内の序列上位は以下の通り。
- タン・シュエ 議長、上級大将
- マウン・エイ 副議長、上級大将補
- トゥラ・シュエ・マン 国軍統合参謀長、大将
- テイン・セイン 首相、大将
- ティン・アウン・ミン・ウー 第1書記、大将
2010年ミャンマー総選挙後の2011年1月31日にトゥラ・シュエ・マンが下院議長に任命され、2月4日にテイン・セインが大統領に選出された(ティン・アウン・ミン・ウーは副大統領に就任)。同日までにマウン・エイは引退している。テイン・セイン大統領による組閣に伴い、2011年3月30日にSPDCは解散した。