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1996年初め、新政治国民会議総裁を務めていた金大中の誘いを受けて政界入り、その年の4月に行われた[[第15代総選挙 (大韓民国)|第15代総選挙]]で初当選した。1997年末の[[1997年大韓民国大統領選挙|韓国大統領選挙]]で金大中が勝利した後、[[青瓦台]]政策企画主席、文化観光部(現・[[文化体育観光部]])長官などを歴任。2002年末の[[2002年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]では、[[盧武鉉]]候補(新千年民主党)と[[鄭夢準]]候補([[国民統合21]])の一本化実現に尽力した。2004年4月の[[第17代総選挙 (大韓民国)|第17代総選挙]]で三選を果たした後、2006年1月に[[ウリ党|「開かれたウリ党」]]の院内代表に就任<ref>{{cite news |title= 与党ウリ党 新院内代表に金ハンギル議員|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2006-1-24|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=20829|accessdate= 2012-6-10}}</ref>。 |
1996年初め、新政治国民会議総裁を務めていた金大中の誘いを受けて政界入り、その年の4月に行われた[[第15代総選挙 (大韓民国)|第15代総選挙]]で初当選した。1997年末の[[1997年大韓民国大統領選挙|韓国大統領選挙]]で金大中が勝利した後、[[青瓦台]]政策企画主席、文化観光部(現・[[文化体育観光部]])長官などを歴任。2002年末の[[2002年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]では、[[盧武鉉]]候補(新千年民主党)と[[鄭夢準]]候補([[国民統合21]])の一本化実現に尽力した。2004年4月の[[第17代総選挙 (大韓民国)|第17代総選挙]]で三選を果たした後、2006年1月に[[ウリ党|「開かれたウリ党」]]の院内代表に就任<ref>{{cite news |title= 与党ウリ党 新院内代表に金ハンギル議員|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2006-1-24|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=20829|accessdate= 2012-6-10}}</ref>。 |
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2007年2月にウリ党を離党、同年6月に中道統合民主党([[民主党 (韓国 2005-2008)|民主党]]とウリ党離党派が合同して結成)の共同代表となった<ref>{{cite news |title= ウリ党議員23人が離党 ウリ党は第2党に|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2007-2-6|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=26541|accessdate= 2012-6-10}}</ref><ref>{{cite news |title= 中道改革統合新党と民主党、「中道統合民主党」を結成|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2007-6-4|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=27555|accessdate= 2012-6-10}}</ref>。同年末に行われた[[2007年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]で[[大統合民主新党]](ウリ党の後継政党)の[[鄭東泳]]候補が敗北した責任を取り、翌2008年4月の[[第18代総選挙 (大韓民国)|第18代総選挙]]には不出馬<ref>{{cite news |title= 「総選挙に出馬せず」大統合民主新党の金ハンギル議員|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2008-1-7|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=29579|accessdate= 2012-6-10}}</ref>を選択したが、2012年4月の[[第19代総選挙 (大韓民国)|第19代総選挙]]で返り咲きを果たした。民主統合党が[[与党]][[自由韓国党|セヌリ党]]に敗北した責任をとって辞任した[[韓明淑]]代表の後任を決める指導部選挙に出馬、地域を巡回して行われた代議員投票では党内主流派である親盧派に反発する非盧派の支持を受け1位となったが、党員・市民選挙人団のモバイル投票も含めた支持では親盧派の[[ |
2007年2月にウリ党を離党、同年6月に中道統合民主党([[民主党 (韓国 2005-2008)|民主党]]とウリ党離党派が合同して結成)の共同代表となった<ref>{{cite news |title= ウリ党議員23人が離党 ウリ党は第2党に|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2007-2-6|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=26541|accessdate= 2012-6-10}}</ref><ref>{{cite news |title= 中道改革統合新党と民主党、「中道統合民主党」を結成|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2007-6-4|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=27555|accessdate= 2012-6-10}}</ref>。同年末に行われた[[2007年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]で[[大統合民主新党]](ウリ党の後継政党)の[[鄭東泳]]候補が敗北した責任を取り、翌2008年4月の[[第18代総選挙 (大韓民国)|第18代総選挙]]には不出馬<ref>{{cite news |title= 「総選挙に出馬せず」大統合民主新党の金ハンギル議員|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2008-1-7|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=29579|accessdate= 2012-6-10}}</ref>を選択したが、2012年4月の[[第19代総選挙 (大韓民国)|第19代総選挙]]で返り咲きを果たした。民主統合党が[[与党]][[自由韓国党|セヌリ党]]に敗北した責任をとって辞任した[[韓明淑]]代表の後任を決める指導部選挙に出馬、地域を巡回して行われた代議員投票では党内主流派である親盧派に反発する非盧派の支持を受け1位となったが、党員・市民選挙人団のモバイル投票も含めた支持では親盧派の[[李海瓚]]が0.5%の僅差で1位となり、金ハンギルは最高委員となった<ref>{{cite news |title= 民主統合党の新代表 李海瓚氏を選出|author= |newspaper= [[KBSワールドラジオ]]|date= 2012-6-9|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=44005|accessdate= 2012-6-10}}</ref>。11月1日、党指導部の刷新を求める声明を発表し、最高委員職を辞退した<ref>{{cite news |title= 民主統合党 最高委員が刷新訴え辞職|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2012-11-1|url= http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=45827&id=Po&page=1|accessdate=2012-11-3}}</ref>。 |
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2013年3月24日、5月4日の全党大会で行われる党代表選挙への出馬を表明<ref>{{cite news |title= 김한길, 대표 출마선언 "계파패권주의 청산·당혁신"(金ハンギル、代表出馬宣言“系派覇権主義清算・党革新”|author= |newspaper= [[聯合ニュース]]|date= 2013-3-24|url= http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2013/03/24/0200000000AKR20130324019100001.HTML|accessdate=2013-3-24}}</ref>。党員と代議員投票および一般国民向け[[世論調査]]によって行われた選挙の結果、汎主流派の李庸燮を破って民主党(民主統合党から党名改称)の新代表に選出された<ref>{{cite news |title= 民主統合党が民主党に党名変更 金ハンギル氏が党代表に|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2013-5-4|url= http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=46535&id=Po|accessdate=2013-5-4}}</ref> |
2013年3月24日、5月4日の全党大会で行われる党代表選挙への出馬を表明<ref>{{cite news |title= 김한길, 대표 출마선언 "계파패권주의 청산·당혁신"(金ハンギル、代表出馬宣言“系派覇権主義清算・党革新”|author= |newspaper= [[聯合ニュース]]|date= 2013-3-24|url= http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2013/03/24/0200000000AKR20130324019100001.HTML|accessdate=2013-3-24}}</ref>。党員と代議員投票および一般国民向け[[世論調査]]によって行われた選挙の結果、汎主流派の李庸燮を破って民主党(民主統合党から党名改称)の新代表に選出された<ref>{{cite news |title= 民主統合党が民主党に党名変更 金ハンギル氏が党代表に|author= |newspaper= KBSワールドラジオ|date= 2013-5-4|url= http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=46535&id=Po|accessdate=2013-5-4}}</ref> |
2020年7月17日 (金) 05:51時点における版
金漢吉 김한길 | |
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生年月日 | 1953年9月17日 |
出生地 | 日本東京 |
出身校 | 建国大学校政治外交学科 |
所属政党 |
(新政治国民会議→) (新千年民主党→) (開かれたウリ党→) (中道統合民主党→) (大統合民主新党→) (統合民主党→) (民主党→) (民主統合党→) (民主党→) (新政治民主連合→) (共に民主党→) (無所属→) (国民の党→) 正しい未来党 |
配偶者 | 崔明吉 |
親族 | 金哲(父親) |
公式サイト | hangillo.net |
国会議員 | |
選挙区 |
(全国区→) (ソウル特別市九老区乙選挙区→) ソウル特別市広津区甲選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2000年9月20日 - 2001年9月18日 |
大統領 | 金大中 |
民主党代表 | |
在任期間 | 2013年5月4日 - 2014年3月27日 |
新政治民主連合共同代表 | |
在任期間 | 2014年3月26日 - 2014年7月31日 |
金漢吉(キム・ハンギル)は、韓国の人物で作家出身の政治家。父親は統一社会党党首などを務めた社会主義運動家の金哲[1]。民主統合党最高委員(2012年6月~11月)。民主党代表(2013年5月~2014年3月)。新政治民主連合共同代表(2014年3月~7月)。
歩み
建国大学校政治外交学科卒、1978年に兵役時代における軍隊生活を書いた『兵隊日記』を発表。その後、1981年に「風と剥製」で作家デビュー、アメリカで韓国日報や中央日報の記者として活動[2]。1987年に帰国後、KBS(韓国放送公社)を経て放送委員会スポークスマンや企画局長や事務総長代理などを勤め、MBC(文化放送)でも司会者として活動した。また東亜日報にコラムを1年余り掲載した他、大手新聞二紙の連載小説、週刊誌や月刊誌に定期コラムを連載するなど小説家、コラムニストとしても活動した。
1996年初め、新政治国民会議総裁を務めていた金大中の誘いを受けて政界入り、その年の4月に行われた第15代総選挙で初当選した。1997年末の韓国大統領選挙で金大中が勝利した後、青瓦台政策企画主席、文化観光部(現・文化体育観光部)長官などを歴任。2002年末の大統領選挙では、盧武鉉候補(新千年民主党)と鄭夢準候補(国民統合21)の一本化実現に尽力した。2004年4月の第17代総選挙で三選を果たした後、2006年1月に「開かれたウリ党」の院内代表に就任[3]。
2007年2月にウリ党を離党、同年6月に中道統合民主党(民主党とウリ党離党派が合同して結成)の共同代表となった[4][5]。同年末に行われた大統領選挙で大統合民主新党(ウリ党の後継政党)の鄭東泳候補が敗北した責任を取り、翌2008年4月の第18代総選挙には不出馬[6]を選択したが、2012年4月の第19代総選挙で返り咲きを果たした。民主統合党が与党セヌリ党に敗北した責任をとって辞任した韓明淑代表の後任を決める指導部選挙に出馬、地域を巡回して行われた代議員投票では党内主流派である親盧派に反発する非盧派の支持を受け1位となったが、党員・市民選挙人団のモバイル投票も含めた支持では親盧派の李海瓚が0.5%の僅差で1位となり、金ハンギルは最高委員となった[7]。11月1日、党指導部の刷新を求める声明を発表し、最高委員職を辞退した[8]。
2013年3月24日、5月4日の全党大会で行われる党代表選挙への出馬を表明[9]。党員と代議員投票および一般国民向け世論調査によって行われた選挙の結果、汎主流派の李庸燮を破って民主党(民主統合党から党名改称)の新代表に選出された[10]
2013年8月13日、韓国政府が実効支配している島根県の竹島(韓国名「独島」)に上陸し、日本政府が防衛白書で竹島を日本の領土と明記したことについて「いかなる妄言や歪曲も独島が韓国の領土であるという事実を変えることはできない」「最近の日本の右傾化と軍国主義復活の兆しは北東アジアの平和と安定を損なう深刻な挑発だ」などと批判し、「新たな韓日関係の未来が開かれるよう、日本政府の覚醒を促す」と述べた[11]。
2014年3月2日、新党(新政治連合)結成を推進していた安哲秀と共に記者会見を行い、6月に予定されている全国同時地方選挙を前に、民主党と新政治連合が統合して新党を結成することを宣言[12]。同月16日に行われた統合新党・新政治民主連合(略称:新政治連合)の創党発起人大会で結成準備委員会の共同委員長に選出[13]、同月26日の創党大会で共同代表に選出された[14]。しかし同年7月の国会議員再補選において同党が15選挙区中4選挙区での勝利に留まって惨敗した責任をとる形で、7月31日に辞任を表明した[15]。
2016年1月、共に民主党(新政治民主連合から党名改称した政党)を離党、新政治連合を離党した安哲秀が結成を進める新党に参加する事を明らかにした[16]。2016年2月に発足した「国民の党」では選挙対策委員長に就任した[17]。しかし3月17日、同年4月の第20代総選挙における野党間の選挙協力が失敗に終わった責任を取る形で総選挙への出馬を断念した[18]。
略歴
- 建国大学校政治外交学科卒
- アメリカ韓国日報記者
- 中央日報アメリカ支社長
- 放送委員会企画局長・事務総長代理
- 第15代大統領職引継ぎ委員会委員
- 青瓦台政策企画主席・文化観光部長官(2000年9月20日~2001年9月18日)
- 盧武鉉大統領候補選挙対策本部メディア選挙本部長
- 盧武鉉第17代大統領當選者企画特補
- ウリ党第17代総選挙企画団長・総選挙企画本部長
- 第15代・16代・17代国会議員
- 国会建設交通委員会委員長
- ウリ党新行政首都建設特別対策委員長
- ウリ党院内代表(2006年1月~2007年1月)
- 中道統合民主党共同代表
- 民主統合党最高委員(2012年6月~11月)
- 民主党代表(2013年5月~)
- 新政治民主連合創党準備委員会共同委員長(2014年3月)
- 新政治民主連合共同代表(2014年3月~7月)
著書
- 兵隊日記(병정일기)
- 風と剥製(바람과 박제)
- セネカの死骸(세네카의 주검)
- ラクダは別に泣かない(낙타는 따로 울지 않는다)
- 女の男(여자의 남자 )
- 目覚めればいない(눈뜨면 없어라)
- 音痴が歌う恋歌(음치가 부르는 연가)
- 朝は貰い食いして暮らしますか(아침은 얻어먹고 사십니까 )
- 金ハンギルの希望日記(김한길의 희망일기)
脚注
- ^ ‘DJ의 리베로’ 김한길 문화관광부 장관(‘DJのリベロ’金ハンギル文化観光部長官)。新東亜2000年11月号
- ^ “김한길 최고위원 프로필(金ハンギル最高委員プロフィール)”. 朝鮮日報(本国版). (2012年6月9日) 2012年6月10日閲覧。
- ^ “与党ウリ党 新院内代表に金ハンギル議員”. KBSワールドラジオ. (2006年1月24日) 2012年6月10日閲覧。
- ^ “ウリ党議員23人が離党 ウリ党は第2党に”. KBSワールドラジオ. (2007年2月6日) 2012年6月10日閲覧。
- ^ “中道改革統合新党と民主党、「中道統合民主党」を結成”. KBSワールドラジオ. (2007年6月4日) 2012年6月10日閲覧。
- ^ “「総選挙に出馬せず」大統合民主新党の金ハンギル議員”. KBSワールドラジオ. (2008年1月7日) 2012年6月10日閲覧。
- ^ “民主統合党の新代表 李海瓚氏を選出”. KBSワールドラジオ. (2012年6月9日) 2012年6月10日閲覧。
- ^ “民主統合党 最高委員が刷新訴え辞職”. KBSワールドラジオ. (2012年11月1日) 2012年11月3日閲覧。
- ^ “김한길, 대표 출마선언 "계파패권주의 청산·당혁신"(金ハンギル、代表出馬宣言“系派覇権主義清算・党革新””. 聯合ニュース. (2013年3月24日) 2013年3月24日閲覧。
- ^ “民主統合党が民主党に党名変更 金ハンギル氏が党代表に”. KBSワールドラジオ. (2013年5月4日) 2013年5月4日閲覧。
- ^ “韓国の最大野党代表ら独島訪問 日本の右傾化に警告”. 聯合ニュース. (2013年8月13日)
- ^ “「緊急」キム・ハンギル・安哲秀(アン・チョルス) "共同で統合新党創党 推進" 電撃宣言”. ハンギョレ(日本語版). (2014年3月2日) 2014年3月3日閲覧。
- ^ “民主党・安哲秀氏による新党 名前は「新政治民主連合」”. KBSワールドラジオ. (2014年3月16日) 2014年3月16日閲覧。
- ^ “巨大野党誕生 安哲秀氏が共同代表に=韓国”. 聨合ニュース. (2014年3月26日) 2014年3月27日閲覧。
- ^ “野党の共同代表2人 再・補選敗北で辞意表明”. KBSワールドラジオ. (2014年7月31日) 2014年7月31日閲覧。
- ^ 国最大野党の分裂加速へ 前共同代表が離党(聨合ニュース)2016年1月3日
- ^ “「国民の党」発足…安哲秀氏中心に議員17人 ”民団2016年2月10日(2016年4月30日閲覧)
- ^ “김한길 "야권연대 실패 책임" 불출마 선언 천정배 당무 복귀로 동력 상실, 국민의당 당내 입지도 좁아져(金ハンギル"野党連帯の失敗責任"不出馬宣言 千正培党務復帰に動力の喪失、国民の党党内の立場も狭くなって)”. 国際新聞. (2016年3月17日) 2016年8月30日閲覧。
参考文献
- 김한길 홈페이지(金ハンギルホームページ)
- 김한길 국회의원(金ハンギル国会議員)。大韓民国国会ホームページ議員紹介
- 김한길 프로필(金ハンギルプロフィール)。大韓民国憲政会
公職 | ||
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先代 朴智元 |
大韓民国文化観光部長官 第37代:2000.9 - 2001.9 |
次代 ナム・グンジン (ko) |
党職 | ||
先代 文喜相 (非常対策委員長) |
民主党代表 9代:2013.5 - 2014.3 |
次代 無し (新政治民主連合) |
党職 | ||
先代 無し |
新政治民主連合代表 初代(共同代表):2014.3 - 2014.7 |
次代 朴映宣 代表職務代行 |